104:0.1 啓示的宗教の三位一体の概念は、進化的宗教の3結合体の信念と混同されてはならない。3結合体についての考えは、多くの示唆的関係から生じたが、主としては指の3つの関節からきたものである。というのも、丸椅子の3本の足は、椅子を安定させることのできる最少の数であったからであり、3支点は、天幕を維持することができた。さらに、原始人は、長い間、3以上数えることができなかった。
104:0.2 過去と現在、昼夜、寒暖、男女などの特定の自然の対句は別として、人は、一般的に3結合体で考える傾向がある。昨日、今日、明日。日の出、正午、日没。父親、母親、子供。万歳三唱は勝者に送られる。死者は3日目に埋葬され、幽霊は、水の3つの沐浴で宥められる。
104:0.3 人間の経験のこれらの自然の関係の結果として、3結合体は、宗教にその姿を見せ、そしてこれは、ずっと以前、神格の楽園の三位一体、あるいはそれらの代表のどれでも人類に明らかにされていた。後に、ペルシア人、ヒンズー教徒、ギリシア人、エジプト人、バビロニア人、ローマ人、スカンジナビア人には皆、3結合体の神がいたが、これらは、本当の三位一体ではなかった。3結合体の神にはすべて自然な起源があり、また、ユランチアの聡明な民族のほとんどに、しばしば現れた。時おり、進化的3結合体の概念は、啓示された三位一体の概念と混同されるようになった。これらの例において、1つと他を区別することはしばしば不可能である。
104:1.1 楽園の三位一体の理解へつながるユランチアの最初の顕示は、50万年前のカリガスティア王子の部下によってなされた。この最も初期の三位一体概念は、惑星反逆後、不安定な時代に世界から消えた。
104:1.2 三位一体の2番目の提示は、第一と第二の園でアダームとハヴァーによってなされた。これらの教えは、およそ3万5千年後にメルキゼデクのマキヴェンタの時代にさえ全く抹消されてはいなかった。なぜならセース人の三位一体概念は、メソポタミアとエジプトの2個所に、しかも特定すると、よりインドにおいて存続し、それは、そこでアグニ、3つの頭をもつベーダの炎の神の中に存続した。
104:1.3 三位一体の3番目の提示は、メルキゼデクのマキヴェンタによってなされ、この教理は、シャレイムの賢人が胸当てにつけていた3同心円により象徴された。しかし、マキヴェンタは、パレスチナのベドゥイン族に宇宙なる父、永遠なる息子、無限なる精霊について教えることは非常に難しいとわかった。弟子のほとんどは、三位一体が、ノーランティアデクの3名のいと高きものから成ると考えた。少数の者は、三位一体を体制君主、星座の父、また地域宇宙の創造者たる神格として想像した。それでも少数の者達は、父、息子、精霊の楽園の関連性をわずかに理解したに過ぎなかった。
104:1.4 三位一体に関するメルキゼデクの教えは、シャレイム宣教師の活動を通してユーラシアと北アフリカの多くの中で徐々に広がった。二つの概念がある程度まで混合し融合するとき、後のアンド系とメルキゼデク時代以後の3結合体と三位一体の見分けは、大抵の場合難しい。
104:1.5 三位一体の概念は、存在、知性、喜びとしてヒンズー教徒の間に根づいた。(後のインドの概念は、婆羅門、シーヴァとヴィシュヌであった。)初期の三位一体の描写は、セース人司祭によってインドに持たらされたが、後の三位一体の考えは、シャレイム宣教師によって取り込まれ、インド出身の識者によりこれらの主義を進化の3結合体概念で倍加させることを通してを発展した。
104:1.6 仏教徒の信仰は、三位一体主義の本質の2つの教義を開発した。以前のものは、教師、法、同胞関係であった。それは、釈迦による提示であった。後の考えは、仏陀の信奉者の北部集団の間で発達し、崇高なる君主、聖霊、肉体化の救世主を含んだ。
104:1.7 ヒンズー教徒と仏教徒のこれらの考えは、本当の三位一体主義の公理、すなわち一神教の神の三段構えの顕現の考えであった。真の三位一体概念は、3人の別々の神の集まりであるだけではない。
104:1.8 ヘブライ人は、メルキゼデクの時代のケニ人の伝統から三位一体を知ってはいたものの、一神への、ヤハウェへの一神教信者の熱意は、イエス出現時までにはそのようなすべての教えをおおい隠してしまったので、エロヒーム教理は、ユダヤ教の神学から実質的に根絶されてしまった。ヘブライの心は、三位一体主義の概念と唯一の君主、イスラエルの神への一神教の思考体系と折り合いをつけることができなかった。
104:1.9 イスラム信仰の信奉者は、同様に三位一体の考えを理解しなかった。多神教に阻まれるとき、三位一体を許容することは、新興の一神教にとり常に難しい。三位一体の考えは、安定した一神教の伝統を教義上の順応性に結合させておくそれらの宗教を最もよく把握する。偉大な一神教信者であるヘブライ人とイスラム教徒は、多神教の3柱の神、そして神格と人格の三位一体の顕現に存在する1神格の崇拝である三位一体の崇拝との区別に困難を感じた。偉大な一神教信者であるヘブライ人とイスラム教徒は、3柱の神、多神教の崇拝と三位一体の崇拝、神格と人格の三位一体の顕現に存在する1つの神性の崇拝を区別することに困難を感じた。
104:1.10 イエスは、楽園の三位一体の人格に関する真実を使徒に教えたが、使徒は、イエスが、比喩的に、また象徴的に話したと考えた。ヘブライの一神教で育てられた使徒には、ヤハウェの支配的概念に相反するようないかなる思考体系も受け入れることは困難であった。また、初期のキリスト教徒は、三位一体の概念に対しヘブライの偏見を引き継いだ。
104:1.11 キリスト教の最初の三位一体は、アンチオケで公布され、神、その言葉、その叡智から成っていた。パウーロスは、父、息子、精霊の楽園の三位一体について知っていたが、それについての説教は滅多にせず、新たにできている教会宛てのほんの幾つかの手紙でそれに言及をした。その時でさえ、パウーロスは、仲間の使徒達と同様に、イエス、地域宇宙の創造者たる息子を神性の第二の人格、すなわち楽園の永遠の息子と混同した。[1]
104:1.12 キリスト後の1世紀終盤近くに認められ始めた三位一体のキリスト教の概念は、宇宙なる父、ネバドンの創造者たる息子、サルヴィントンの神性の聖職者—地域宇宙の母なる霊と創造者たる息子の配偶者—から成った。[2]
104:1.13 イエスの時代以来、楽園三位一体の事実上の同一性は、(それが特に明らかにされた幾人かの個人以外は、)これらの啓示的公開の提示までユランチアでは知られていなかった。しかし、三位一体のキリスト教の概念は、事実上誤ちを犯したが、それは、精神的な関係に関しては実際に本当であった。この概念は、単にその哲学の含みと宇宙の因果関係においてのみ困惑を経験した。神格の第二の人格、三位一体の第2構成員が、かつてユランチアに住んだということを信じることは、宇宙的考え方をする多くの者にとっては困難なことであった。またこれは、精神面において本当であるが、現実には、それは事実ではない。マイケルの創造者等は、永遠なる息子の神性を完全に具体化するが、絶対的人格ではない。
104:2.1 一神教は、多神教の矛盾に対する哲学的抗議として起こった。それは、まず、超自然的な活動の部門細分化をもつ神殿組織を通して、それから多くの神の上の1柱の神の単一神教の高揚を通して、ついには最終的な価値の唯一なる神のみを通して発達した。
104:2.2 三位一体主義は、無関係な宇宙重要性の非擬人化された単独の神格の単一性を考えることができないことに対する経験の抗議から起こる。十分な時間があれば、哲学は、純粋な一神教の神格概念から人格的特性を取る傾向があり、その結果、無関係な神についてのこの考えを汎神論的な絶対の位置にまで下げる。他の人格存在体や統一された人格存在体とは質的に関係を持たない神の人格の本質を理解することは、つねに難しいことであった。神格の人格は、そのような神格が、他の、そして対等の人格を持つ神格に関して存在するにということを要求する。
104:2.3 人の心は、三位一体概念の認識により時-空間の創造における愛と法の相互関係の何かをつかむことを望むことができる。人は、精神的な信仰により神の愛への洞察を得るが、この精神的信仰は、間もなく物質界の定められた法には何の影響も持たないと気づく。楽園の父としての神への人の信仰の堅さの如何にかかわらず、彼は、拡大している宇宙の眺望が、普遍の法として楽園の神格の現実を認めるということ、つまりかれは、楽園から外へ延びている、そしてその神格統一が事実であり、現実であり、永遠の不可分性の楽園三位一体である永遠の人格3者である創造者たる息子と創造者たる娘の進化する地域宇宙さえ曇らせる三位一体の主権を認識するということを要求する。
104:2.4 この同一の楽園三位一体は、本当の実体—人格ではないが、それにもかかわらず、真実の、絶対の現実—である。人格ではないが、それにもかかわらず、共存する人格—父、息子、そして精霊の人格—と一致する。 三位一体は、楽園の神格3者の結合からなる神格の現実である。三位一体の性質、特性、機能は、楽園神格3者の属性の単純な合計ではない。三位一体の機能は、何か独特で、独創的であり、父、息子、精霊の属性の分析から全く予測できないものである。
104:2.5 例えば:あるじは、地上にあるとき、正義が決して個人的行為ではないということを追随者に訓戒した。それは常に集団機能である。人格として、神々も、裁かない。しかし、集合的な全体として、楽園の三位一体としてまさしくこの機能を実行する。
104:2.6 父、息子、聖霊の三位一体の連合の概念上の把握は、特定の他の三重の関係のさらなる提示のために人間の心に準備をさせる。神学上の根拠は、楽園の三位一体の概念で完全に満たされるかもしれないが、哲学的、そして宇宙論的根拠は、第一根源と中枢の他の3結合の関連性、すなわち無限者が、宇宙顕示—原動力、エネルギー、力、原因、反応、可能性、現実性、重力、緊張、型、原則、および統一の神の関係—の父ではない様々な受容能力において機能するそれらの3結合体の認識を要求する。
104:3.1 人類は、時として神格の3名の三位一体の理解をしてきたが、一貫性は、人間の知力が、7絶対すべてと特定の関係があると認めることを要求している。しかし、楽園の三位一体にとって真実であるそのようなものすべてが、必ずしも3結合体にも真実であるというわけではない。3結合体とは、三位一体以外の何かであるので。特定の機能的な局面において、3結合体は、三位一体に類似しているかもしれないが、それは、決して本質的には三位一体に相応しない。
104:3.2 必滅の人間は、広がる眺望とユランチアに関する概念を拡大して長い時代を通過しており、またその宇宙哲学は、人間の思考の知的な活動領域の拡大と足並みを揃えるために進化において加速しなければならない。人間の宇宙意識が広がるにつれ、人は、その物性物理学、知的哲学、および精神的洞察に見い出す総ての相関性に気づく。さらに、宇宙統一に対するこのすべての信念において、人は、すべての存在の多様性に認める。神格の不変性に関するすべての概念にもかかわらず、人は、不断の変化と経験の成長をする宇宙に住んでいると認める。人は、精神的な価値の存続の認識にかかわらず、原動力、エネルギー、力の数学と前数学を考慮に入れなければならない。
104:3.3 何らかの方法で、無限の永遠の充満は、進化している宇宙の時間-成長、そしてそれらの宇宙の経験的な住民の不完全さと一致しなければならない。何らかの方法で、全無限に関する概念は、人間の識者とモロンチア魂が、究極的価値と精霊化する重要性に関するこの概念を理解できるように区分され、明示されなければならない。
104:3.4 理性が宇宙現実の一神教的統一を要求する傍ら、有限の経験は、複数の絶対者の、そして宇宙関係における各連携の仮定を必要とする。調和した存在なくしては、絶対の関係の多様性の出現の可能性はなく、差異、可変、変更、減衰、限定、または減少の見込みもない。
104:3.5 これらの論文においては、全体の現実(無限)は、それが7絶対者に存在していると提示されてきた。
104:3.6 1. 宇宙なる父
104:3.7 2. 永遠なる息子
104:3.8 3. 無限の精霊
104:3.9 4. 楽園の小島
104:3.10 5. 神格絶対者
104:3.11 6. 宇宙の絶対者
104:3.12 7. 無条件絶対者
104:3.13 永遠なる息子にとっての父である第一根源と中枢は、楽園の小島にとっての型である。かれは、息子においては無条件の人格であるが、神格絶対者においては可能にされる人格である。父は、楽園-ハヴォーナで明らかにされるエネルギーであると同時に、無条件絶対では隠されたエネルギーである。無限なるものは、宇宙の絶対者の補正の、だが包み隠された活動で永遠に機能し、結合活動者の絶えざる行為でつねに明らかにされる。このように父は、6名の調和した絶対者に関連しており、このように、7名全てが、永遠の終わりのない循環全体に渡って無限の円を取り囲むのである。
104:3.14 絶対関係の3結合体は回避不能であるらしい。人格は、他のすべての段階はもちろん絶対段階での人格の繋がりを追求する。そして楽園の3人格の繋がりは、第一の3結合体、すなわち父、息子、精霊の人格結合を永遠化する。これらの3人格が、人格として連合的な機能のために結合する時、かれらは、機能的統一の3結合体、三位一体—有機的実体—ではないが、それでもなお三段構えの集合体の機能的合意をそれによって構成する。
104:3.15 楽園の三位一体は、3結合体ではない。それは機能的合意ではない。むしろ、それは分裂してはおらず、分割できない神格である。父、息子、精霊(人格として)は、三位一体が、それぞれの分裂していない神かくであるがゆえに、楽園三位一体との関係を継続することができる。父、息子、精霊は、3人格としての機能的結合であることから、最初の3結合体とのそのような人格関係を維持しない。三位一体だけとして—分裂していない神格として—かれらは、人格集合体の3結合体との外部の関係を全体的に支える。
104:3.16 このように楽園の三位一体は、絶対の関係の間において独特な立場にあり、いくつかの実存的な3結合体があるが、実存的な三位一体は一つしかない。3結合体は実体ではない。それは、有機的であるよりもむしろ機能的である。その構成員は、協力的であるよりもむしろ仲間である。3結合体の構成要素は、実体であるかもしれないが、3結合体自体は、連合というものである。
104:3.17 しかしながら、三位一体と3結合体の間には1つの比較する点がある。双方ともに構成要員の認識できる全属性以外の何かである機能に行きつく。しかし、機能的な見地からこのように相当する一方、その他の点では双方ともに、明確な関係を示さない。それらは、構造への機能の関係として大雑把に関連がある。しかし、3結合体連合の機能は、三位一体体制、あるいは実体の機能ではない。
104:3.18 それにもかかわらず、3結合体は、本当である。かれらは、非常に本物である。現実のすべては、3結合体において機能的にされ、そして宇宙なる父は、3結合体を通じて無限のあるじの機能への直接の個人的調整を行使するのである。
104:4.1 7つの3結合体の説明を試みるにあたり、注意は、宇宙なる父がそれぞれの第一構成員であるという事実に向けられる。宇宙なる父は、今いて、過去にもいて、またずっといるであろう。宇宙なる父の第一根源、絶対的中枢、第一原因、宇宙の統制者、無限の活力者、最初の統一、無条件の擁護者、神格の第一人格、宇宙の根本の型、および無限の本質。宇宙なる父は、絶対者の人格的原因である。絶対者の中の絶対者である。
104:4.2 7つの3結合体の本質と意味は、次のように示すことができるかもしれない。
104:4.3 第一3結合体—人格-目的の3結合体。これは、神格の3人格の集団である。
104:4.4 1. 宇宙なる父
104:4.5 2. 永遠なる息子
104:4.6 3. 無限の霊
104:4.7 これは、愛、慈悲、奉仕、の三重の結合—永遠の楽園の3人格の目的をもつ人格の繋がり—である。。これは、神々しく兄弟らしく、被創造物を愛し、父親らしく振る舞い、そして、上昇を促進する繋がりである。この第一の3結合体の神性人格は、人格を遺贈し、精神を与え、心を授ける神である。
104:4.8 これは無限の意志の3結合体である。それは、永遠の現在を通して、また時間の過去-現在-未来の流れの全てにおいて行動する。この繋がりは、無限の意志をもたらし、それによって人格の神格が、進化する宇宙の被創造物への自己天啓になる仕組みを提供する。
104:4.9 第二の3結合体—力の型の3結合体。最小の物質組織から最大の物質組織まで、それは、小究極子、燃える星、または渦巻く星雲、中央、あるいは超宇宙でさえあることにかかわらず、いつも3結合体の機能に由来するこの物理的な型—宇宙構成—である。
104:4.10 1. 父-息子
104:4.11 2. 楽園の小島
104:4.12 3. 連合活動者
104:4.13 エネルギーは、第三根源と中枢の宇宙代行者により組織される。エネルギーは、楽園の型、絶対の具体化に基づいて作成される。しかし、この絶え間ない操作のすべての後に、その結合が、無限の精霊、結合活動者の誕生に伴うハヴォーナの同時の出現における楽園の型を最初に起動させた父-息子の存在がある。
104:4.14 宗教経験において、被創造者は、愛である神に接触するが、そのような精神的洞察は、楽園である事実の宇宙の型の知的認識を決しておおい隠してはいけない。楽園の人格は、神性の愛の無視できない力によってすべての被創造者の自由意志の崇敬を得て、そのような精神生まれのすべての人格を神の終局者の息子の果てしない奉仕からの天上の喜びに導く。第二の3結合体は、これらの事象が展開する空間舞台の建築家である。それは、宇宙構成の型を決定する。
104:4.15 愛は、第一の3結合体の神性を特徴づけるかもしれないが、型は第2の3結合体の星雲の顕示である。第一の3結合体が進化宇宙に関係するものが、第二の3結合体が発展する宇宙に関係している。型と人格は、第一根源と中枢の行為の2つの巨大な顕示である。そして、いかに理解し難くとも、それでもなお、力の型と情愛深い人格は、一つであり同じ宇宙の現実である。楽園の小島と永遠なる息子は、宇宙なる父の根源力の測り知れない自然の調和はしているものの正反対の顕示である。
104:4.16 第三の3結合体—精霊-進化の3結合体。精霊的な顕現の全体のその始まりと終わりがこの繋がりにある。次なるものを有して。
104:4.17 1. 宇宙なる父
104:4.18 2. 息子-精霊。
104:4.19 3. 神格絶対者
104:4.20 精霊の可能性から楽園の精霊まで、すべての精霊は、父の純粋な精霊本質のこの三位一体の繋がりに、息子-精霊の活動的な精神的価値に、そして、神格絶対者の無制限な精神の可能性において現実表現を見い出す。。精神の実存的価値は、この3結合体にそれぞれの原始の起源、完全な顕現、最終的な目標を持っている。
104:4.21 父は、精神に先立って存在する。息子-精霊は、活発な創造的な精神として機能する。神格絶対者は、精神をすべて包含し、霊を超えてさえも存在している。
104:4.22 第四の3結合体—エネルギー無限の3結合体。この3結合体の中で、空間からモノタまでの総てのエネルギー現実の始まりと終結末を永遠化する。この集団は、次を包含する。
104:4.23 1.父-精霊
104:4.24 2.楽園の小島
104:4.25 3. 無条件絶対
104:4.26 楽園は、宇宙の原動力-エネルギー起動の中心—第一根源と中枢の宇宙の位置、無条件の絶対の宇宙の焦点、および総エネルギーの源—である。この3結合体の中に実存的に存在しているのは、壮大な宇宙と主たる宇宙が部分的な顕現に過ぎない宇宙無限のエネルギーの可能性である。
104:4.27 第四の3結合体は、絶対的に宇宙エネルギーの基本単位を支配し、変化している宇宙を管理し、安定させる準絶対的能力の経験の神格における出現に正比例して無条件の絶対の握りから開放する。
104:4.28 この3結合体は、原始力とエネルギーである。無条件絶対者の無限の可能性は、楽園の小島の絶対的物質の周りに集中しており、無条件のそれ以外は、静的休止の想像もおよばない揺れを発散している。そして、無限宇宙の楽園の物質の中心の絶え間ない鼓動は、無限の活性者、第一根源と中枢の測り難い型と探り当てられない計画と調和して脈打っている。
104:4.29 第四の3結合体—反応無限の3結合体。この繋がりは次から成る。
104:4.30 1. 宇宙なる父
104:4.31 2. 宇宙の絶対
104:4.32 3. 無条件絶対
104:4.33 この集団は、非神格現実の領域内で実現可能であるすべての機能的な無限の実現の永遠化をもたらす。この3結合体は、他の3結合体の意志、原因、緊張、そして型の行動と臨場への無制限の反応能力を明らかにする。
104:4.34 第六の3結合体—宇宙的に関連している神格の3結合体。この集団は次から成る。
104:4.35 1. 宇宙なる父
104:4.36 2. 神格絶対者
104:4.37 3. 宇宙の絶対者
104:4.38 これは、宇宙の中の神格、すなわち神格の超越と連携した神格の内在、の関係である。これは、神性化された現実の領域の外にあるそれらの現実に向けての無限の段階における神性の最後の援助活動である。
104:4.39 第七の3結合体—無限の統一の3結合体。これは、時と永遠における、現実と永遠の調和の統一における機能上明白な無限の統一である。この集団は次から成る。
104:4.40 1. 宇宙なる父
104:4.41 2. 結合活動者
104:4.42 3. 宇宙の絶対者
104:4.43 結合活動者は、有限から超自然までの顕現の全段階における顕在化されたすべての現実の異なる機能的な局面をあまねく統合する。宇宙絶対は、活動的-意志の、また原因となる神格現実の限りない可能性から無条件絶対の理解不可能な領域における静的、反応的、非神格の無限の可能性までのすべての不完全な現実の異なる局面において固有の差異を完全に補正する。
104:4.44 結合活動者と宇宙絶対者は、この3結合体において機能するように、神格に、そして非神格の臨場に対し同様に反応し、またこの関係においてどの点から見ても私はあるからは概念的に見分けのつかない第一根源と中枢もまた同様に反応する。
104:4.45 これらの近似は、3結合体の概念を解明するには十分である。人は、3結合体の究極段階を知ることなく、最初の7組を完全に理解することはできない。これ以上の詳述の試みが賢明であるとは考えないが、我々は、第一根源と中枢の15組の3結合体の繋がりがあると述べることができ、そのうちの8組は、これらの論文では明かされていない。こ明かされていないれらの繋がりは、至高の経験的段階を超えてある現実、実在、および可能性に関係がある。
104:4.46 3結合体は、無限の機能的なはずみ車、つまり無限の七絶対者の独自性の統一である。7絶対者への無限の多様化にもかかわらず、機能的な無限の統一を経験することは、父-私はあるを可能にする3結合体の実存的な存在である。第一根源と中枢は、統一されるすべての3結合体の構成員である。万物は、彼にあるすべて事物は、それぞれの無条件の始まり、永遠の存在、無限の運命があり、「万物は彼にあって成り立っている。」[3]
104:4.47 これらの繋がりは、父-私はあるの無限を増大することはできないとはいえ、それらは、実にその現実の準無限と準-絶対の顕示を可能にするように見える。七つの3結合体は、多様性を拡大し、新たな深さを永遠化し、新価値を神格化し、新価値を明らかにし、新たな意味を浮き彫りにする。そして、時と空間における、また永遠の宇宙におけるこれらのすべての様々な顕現は、 私はあるの最初の無限の仮定的停滞で存在する。
104:5.1 構成上は父を含まない特定の3結合体の関係があるが、それらは、真の3結合体ではなく父の3結合体とは常に区別される。それらは、準3結合体、調和の3結合体、3名組みとさまざまに呼ばれている。それらは、3結合体の存在の結果である。これらの繋がりのうち2組は次のように構成される。
104:5.2 現実の3人組。この3人組は3名の絶対実存の相互関係で成る。
104:5.3 1. 永遠なる息子
104:5.4 2. 楽園の小島
104:5.5 3. 結合活動者
104:5.6 永遠なる息子は、精神現実の絶対者、つまり絶対人格である。楽園小島は、宇宙現実の絶対、つまり絶対の型である。結合活動者は、心の現実の絶対者、精神の絶対現実の調和、そして人格と力の実存的な神格の統合である。この3結合体の繋がりは、顕在化された現実の総和の調和—精神の、宇宙の、または心の現実—に終わる。それは実際には無条件である。
104:5.7 可能性の3人組。この3人組は、可能性の3絶対者の繋がりにある。
104:5.8 1. 神格絶対者
104:5.9 2. 宇宙の絶対者
104:5.10 3. 無条件絶対者
104:5.11 すべての潜在的エネルギーの—精霊の、心の、宇宙の—現実の無限の貯蔵所は、このように、相互に繋がっているのである。この繋がりは、すべての潜在的エネルギー現実の統合をもたらす。それは可能性において無限である。
104:5.12 3結合体が、主として無限の機能的な統一に関係があり、三人組も、ちょうど同じように経験的神格の宇宙の実現に関与している。3結合体は間接的に関係があるが、三人組は、経験的神性に直接的に関係がある。—崇高の、究極の、絶対の経験的神格。彼らは、崇高なるものの新興の力-人格の統合に現れる。そして、空間の時間の生物にとって崇高なるものは、私はあるの統一の顕示である。
104:5.13 [ネバドンのメルキゼデクによる提示]