107:0.1 宇宙なる父は、自らは楽園に、宇宙の真ん中に居住しているものの、神秘訓戒者として彼らに宿っているので、時の無数の子供の心のなかで空間の世界に実際に臨場している。永遠なる父は、自己の惑星の必滅の息子達と一つであり、同時に最も遠くに隔たっており、かつ最も親密に関わっている。
107:0.2 調整者は、人の魂に具現した父の愛の現実である。調整者は、必滅者の心の中に閉じ込められる人間の永遠の経歴への実際の約束である。調整者は、人の完成された終局者の人格の本質であり、それは、一歩一歩、かれが、実際に楽園の父の神性臨場に達するまで、次から次へと宇宙の上昇を通して父の意志の生活を成し遂げる神性手段を習得するにつれ、いつかは味わうことのできる終局者の完成された人格の本質である。
107:0.3 神は、まさに自分が完全であるように、完全であることを人間に命じ、このようにして定められた崇高な目標の達成において人間の経験上の共同者になるように調整者として下ったのであった。人の心に宿る神の断片は、人がこの神性の調整者との関連において宇宙なる父を見つけることができるという絶対的、かつ無条件の保証であり、それは、肉体の時代にさえ神から人間に息子の資格を与えにやって来た。[1]
107:0.4 創造者の息子を見た人間は、誰でも宇宙なる父を見たのであり、神性の調整者が内在する人間には楽園の父が内在するのである。意識的にせよ無意識的にせよ、内在する調整者の導きに続く死すべき者のすべては、神の意志に従って生きている。調整者臨場の意識は、神臨場の意識である。人の進化の魂との調整者の永遠の融合は、神格の宇宙での仲間としての神との永遠の結合の事実経験である。[2]
107:0.5 神に似ること、楽園に到達すること、そしてそこで神性の贈り物である無限の源を崇拝するために神格の本当の人の前にありたいというその抑え難い思慕と絶えざる切望を人の心の中に引き起こすのは調整者である。調整者は、実際に必滅の息子を楽園の父に連結し、また父により近く引きつけていく生ける存在である。調整者は、人が、神からの移動によりもたらす距離、そして永遠なる父の普遍性と対照をなす人の一面性の度合いにより引き起こされる宇宙の非常な緊張の我々の補償的均等化である。[3]
107:0.6 調整者は、そのような人間の選択によって、ついには神と人とのこの一時的結合を完成することができ、終わることのない宇宙奉仕への新系列を実際に顕在化する有限生物の心の中に閉じ込められている無限存在体の絶対的本質である。調整者は、神は人の父であるという真実を事実化する宇宙の神性現実である。調整者は、常に、しかも的確に神の方角に魂を向けている人の絶対確実な宇宙の羅針盤である。
107:0.7 進化する世界では、意志をもつ創造物は、存在の一般的な発達上の3段階を通過する。訓戒者は、調整者の到着から比較的に完全な成長の間、つまりユランチアでのおよそ20歳まで、ときおり思考変更者と称される。この時から、およそ40年間、明察時代の到達まで、神秘訓戒者は、思考調整者と呼ばれる。明察力への到達から肉体からの救出まで、それらは、しばしば思考管理者と呼ばれる。必滅者の人生のこれらの三局面には、心の複製と魂進化における調整者のの進歩3段階とはいかなる関係もない。
107:1.1 思考調整者は最初の神格の根本的要素をもっているので、誰も厳然とその特質と起源について論じるつもりはないかもしれない。私は、ただサルヴィントンの伝統とユヴァーサの信念を伝えることができるだけである。我々がどのように壮大な宇宙の至る所でこれらの神秘訓戒者らとその関連する実体に注意するかを説明することができるだけである。
107:1.2 思考調整者の贈与の形態に関するさまざまの意見はあるが、それらの起源に関するそのような違いは何も存在しない。全員が、思考調整者は、宇宙なる父、すなわち第一根源と中枢から直接生じるということに同意している。それらは作り出された存在体ではない。思考調整者は、無限の神の実際の臨場を構成する破片化された実体である。彼らの多くの明かされていない仲間と共に、調整者は、薄められても、混ざってもいない神格、無条件の、弱力化されていない神格の部分である。調整者は、神から来ており、我々が認め得る限り、彼らは神である。
107:1.3 我々は、第一根源と中枢の絶対性は別として、調整者の別々の存在開始時に関して知らない。調整者の番号についても知らない。我々は、思考調整者が、人間の心に宿るために時間の惑星に到着するまで、かれらの経歴に関してはわずかしか知らないが、それ以後は、それらの三位一体の目標達成まで、そしてその目標成就を含むそれらの宇宙進行を多少なりとも知っている。ある人間の上昇者との融合による人格到達、宇宙なる父の決定による人格到達、または思考調整者の既知の任務からの解放。
107:1.4 我々は、知らないのだが、調整者は、宇宙の拡大につれ、調整者融合候補者数の増加につれ、絶えず個別化されていると思っている。しかし、調整者に数字上の我々の割り当ての試みは、等しく間違っているかもしれない。神自身のように、推測できない神の本質のこれらの断片は、実存的には無限であるかもしれない。
107:1.5 思考調整者の始まりの方法は、宇宙なる父の非顕示の機能の1つである。我々には、第一根源と中枢の他の絶対の仲間のだれにも父の断片の生産にはどう考えても何の関係もないと信じるありとあらゆる理由がある。調整者は単に、また永遠に神の贈り物である。それらは神の本質をもつ、神から来ており、また神のようである。
107:1.6 融合の被創造者との関係において、かれらは、神は霊であるという宣言を大いに確認する高邁な愛と精神的な活動を明らかする。しかし、ユランチアの必滅者にはこれまで明らかにされたことのないこの人知の及ばない活動とは別に起こる多くのことがある。我々は、宇宙なる父が、時間の世界の被創造者の人格の一部であるために自分自身を与えるとき、何が、本当に生じるかを完全に理解するというわけでもない。また、楽園終局者の上昇経過は、まだ人と神のこの崇高な共同者関係に固有の完全な可能性を明らかにはしていない。煎じ詰めれば、父の断片は、絶対としての神への到達の可能性を包含する被創造者の目標への絶対の神の贈り物であるに違いない。
107:1.7 宇宙なる父が、前人格の神格を断片化するように、無限なる精霊は、打ち続く精霊融合で生き残っている死すべき者の進化の魂と実際に融合し、宿るために心以前の自身の精霊部分を個別化する。しかし、永遠なる息子の特質は、このように断片化が可能ではない。第一の息子の精霊は、拡散しているか、または個々に人格的である。息子-融合された被創造者は、永遠なる息子の創造者の息子からの精霊の個別化された贈与と結合される。
107:2.1 調整者は、未経験の実体として個別化され、全員が、解放されるか、融合されるか、または専属訓戒者になるように運命づけられている。これらの区分けを完全に理解するというわけではないが、我々は、思考調整者の7系列があると理解している。我々は、次のように異なる系列についてしばしば言及する。
107:2.2 1. 未経験調整者、永遠の生存の進化的候補者の心において、それぞれの初期の課題に携わるものたち。神秘訓戒者は、神の特質において永遠に一定である。神性球から最初に出かけるとき、それらも経験的特質において一定である。その後の経験的分化は、宇宙の活動における実際の経験の結果である。
107:2.3 2. 上級調整者、最終的融合が、時間の被創造者の同一性と、第三根源と中枢の局部宇宙の顕現の人格化された精霊部分との間に生じる世界において1期あるいは、それ以上の期間奉仕したものたち。
107:2.4 3. 最高調整者、進化的世界において時間の冒険に携わったにもかかわらず、その人間共同者が何らかの理由で永遠の生存を拒んだが故に、後に他の発展する世界において他の必滅者に冒険を割り当てられたそれらの訓戒者。最高調整者は、未経験の訓戒者ほど神性ではないが、より多くの経験があり、人間の心においてそれほど経験豊富ではない調整者ができなかったことをすることができる。
107:2.5 4. 消滅調整者。ここに神秘訓戒者の経歴に続く我々の努力に中断が生じる。我々には確信のない4番目の奉仕段階がある。メルキゼデクは、4番目の段階の調整者は、課題から離れ宇宙の中の宇宙に留まると教える。単独使者は、調整者は、父自身との爽やかなつながりの一区切りを楽しんで、第一根源と中枢と共にいると信じる傾向にある。そして、調整者が、主たる宇宙であちこと移動し、同時に遍在する父と一体となって共にいることができるということは十分にあり得る。
107:2.6 5. 解放調整者、進化する球体の死すべき者への時間の奉仕から永遠に解放されたそれらの神秘訓戒者。我々は、彼等の機能が何たるかを知らない。
107:2.7 6. 融合調整者—終局者—超宇宙の上昇している被創造者と一体となったものたち、すなわち終局者の楽園部隊の時間の上昇者の永遠の共同者たち。通常、思考調整者は、時間の上昇する死すべき者と共に融合し、そのような生き残りの人間との上行球への出入りが記録される。それらは、上昇の存在体の進路をたどる。調整者は、上昇する進化の魂との融合時点で、宇宙の絶対実存の段階から上昇する人格との機能的なつながりの有限経験的段階へと移行するようである。実存的神性の特質の全てを保持するとともに、融合された調整者は、生き残った上昇する必滅者の経歴に固く繋がるようになる。
107:2.8 7. 人格化調整者、具現化された楽園の息子と共に奉仕したものたち、合わせて、人間に内在する間、並々ならぬ働きをしたものの、その対象が生存を拒絶した多くのものたち。我々には、そのような調整者が、超宇宙における任務のために高齢者達からの推薦に基づき人格化されると信じる根拠がある。
107:2.9 これらの神の神秘的な断片を分類できる多くの方法がある。宇宙任務による、個々の人間の内在における成功の度合、または融合に対しての人間候補者の人種的祖先にさえよる分類。
107:3.1 全宇宙活動は、神秘訓戒者の7超宇宙のすべての奉仕からの派遣、管理、指示、そして神性球の神聖な球体の中心からの帰還に置かれているようである。私が知る限り、調整者と父の他の存在者しか、その球体にはいなかった。おそらく、明らかにはされていない多数の前人格的実体が、故郷の球体として神性球を調整者と共有するようである。我々は、仲間のこれらの実体が何らかの方法で神秘訓戒者の現在と将来の活動に関連づけられるかもしれないと推測する。しかし、我々は実のところは知らない。
107:3.2 思考調整者が、父の元に戻る際は、想定される基点の領域、すなわち神性球に帰る。そして、おそらくこの経験の一部として、この秘密の球体に位置すると報告される父の神性の特殊化された顕現との接触のみならず父の楽園人格との実際の接触がある。
107:3.3 我々は、楽園の秘密の7球体の全てについて何かを知ってはいるが、神性球についてよりも他の球体について知っている。高い精霊系列の存在体は、神性の3つの命令だけを受ける。それらは次の通りである。
107:3.4 1. 常に年長者と上司の経験と資性に対し適切な敬意を示すこと。
107:3.5 2. 常に年少者と部下の限界と無経験に思いやりがあること。
107:3.6 3. 決して神性球の岸に着陸を試みないこと。
107:3.7 私は、神性球に行っても、私には全く無駄であろうとしばしば考えた。私は、例えば人格化調整者を除いては、おそらく、何の居住者も見ることはできないであろうし、また私は、他の場所で彼らに会った。私は、神性球には私にとって真の価値あるものや利益となるものは何も無いと、自分の成長と発達に不可欠なものは何も無いと、しかと確信しており、さもなければ、私がそこに行くことを禁じられるはずはない。
107:3.8 我々は、調整者の特質や起源について何も神性球からは知ることができないが故に、無数の異なる情報源からの収集を強いられるが、そのような知識が有益となるには、この蓄積された情報を収集し、分類し、相関させる必要である。
107:3.9 思考調整者が示す勇気と知恵は、彼らが、相当な幅と広さの修練を耐え忍んできたということを示唆する。かれらは人格ではないので、この修練は、神性球の教育機関で与えらなければならない。固有の人格化調整者は、確かに神性球の調整者養成所の構成員である。そして、我々は、宇宙の領域の人種と民族に七重の贈与の完了のためにマイケル系列の楽園の最初の息子の現在の人格化調整者が、この中心的管理部隊を取り仕切っているということを知っているのである。
107:3.10 我々は、無人格化調整者に関し本当にほとんど知らない。我々は、人格化の系列しか接触も通信も行なわない。これらは、神性球で洗礼をうけ、数によらず前々から名前によって知られている。人格化調整者は、永久に、神性球に住所が定められている。その神聖な球体が、それらの故郷である。彼らは、宇宙なる父の意志だけによってその住まいから出かけて行く。ほんのわずかなものが局部宇宙の領域で見掛けられるが、より多数は中央宇宙にいる。
107:4.1 思考調整者が神であると言うことは、単に起源の本質を認めるだけである。神性のそのような純粋さは、永遠無限の楽園の父の宇宙存在の絶対的本質をもつそのような断片に含まれ得る神格の全属性の本質的可能性を迎え入れるということは、大いにあり得る。
107:4.2 調整者の実際の源は、無限でなければならず、進化の人間の不滅の魂との融合の前に、調整者の現実は、絶対性に接しなければならない。神格的な意味において、調整者は、宇宙的な意味の絶対的なものではないが、それらは、断片化した特質の可能性の範囲内においておそらく真の絶対的なものであろう。それらは、特質に関してではなく、普遍性に関して限りがある。それらは、広範さにおいては制限されるが、意味、価値、および事実においては絶対である。だからこそ、我々は、父の制限的絶対の断片として神性の贈り物と時々命名する。
107:4.3 どの調整者も、未だかつて楽園の父に不忠実であったことはない。人格の低い創造物の系列は、時々不忠実な仲間を相手に苦労するかもしれないが、調整者には、決してそういうことはない。それらは、被創造者の活動と宇宙機能の崇高な球体において最高であり、絶対確実である。
107:4.4 無人格化の調整者は、人格化調整者だけに見える。私の系列は、つまり単独使者は、鼓舞された三位一体の精霊同様に、精霊の反応的現象手段によって調整者の存在を探知することができる。そして、熾天使でさえも時々、訓戒者のの人の物質的な心への臨場との想定されたつながりの精霊の光度を明察することができる。しかし、例え調整者の特質が、進化世界から上昇する人間の融合された人格と一体となって知覚できるとしても、調整者が人格化されない限り、我々の中の誰も、実際に調整者の本当の存在を裁量することはできない。調整者の普遍的不可視性は、かれらの高い、独自の神性起源と特質を強く示唆している。
107:4.5 特徴ある光、つまり精霊の明度があり、それは、この神性存在を伴い、また思考調整者と一般的に関連するようになった。ネバドンの宇宙では、楽園のこの明度は、「種火」として広範囲に知られている。ユヴァーサでは、これは、「命の光」と呼ばれる。ユランチアでは、この現象は、時々その「世界に入るすべての人を照らす真の光」と呼ばれてきた。[4][5][6][7]
107:4.6 宇宙なる父に到達したすべての存在体には、人格化思考調整者が見える。実体、精霊、人格、および精霊顕現の他のすべての存在と合わせて全段階の調整者は、楽園の神格に始まる、また壮大な宇宙の主要な政府を統轄するそれらの崇高なる創造者の人格により常に識別できる。
107:4.7 あなたは、調整者の内在の真の重要性を確かに理解することができるのか。あなたは、有限の必滅の創造物に内在し、融合する絶対と無限の神格、すなわち宇宙なる父の絶対的断片を持つことが、何を意味するのか本当に推し測ることができるのか。必滅の人間が、全宇宙の実存的原因の実際の断片と融合するとき、いかなる制限もそのような先例のない、想像もおよばない共同者関係の目標に決して置かれることはできない。永遠には、人は、客観的な神格の無限だけではなく、この同じ神の主観的断片の果てしない可能性も発見していくであろう。常に、調整者は、必滅の人間の人格に神の驚異を顕示しているであろうし、また、この崇高な顕示には決して終わりがない。というのも調整者は、神の出であり、必滅の人間にとっての神であるがゆえに。[8]
107:5.1 あなたが認識するように、それは、本当に心の主要な活動であるので、進化の人間は、心を精霊と物質の間の宇宙的仲介として見る傾向がある。故に、人間が、思考調整者には心があると知覚することは、かなり難しい。なぜならば、調整者は、前人格であるばかりではなく、すべてのエネルギーと精霊相違にも先立つ現実の絶対段階における神の断片であるので。エネルギーと精神分化への一元的段階においては、調停される何の相違もないので、心の何らかの仲介機能は、あるはずがなかった。
107:5.2 調整者は、計画し、働き、愛することができるので、心に相応する個性の力を持たなければならない。かれらは、互い、つまり最初の、または未経験の団体より上の訓戒者のすべての形と伝え合う無制限の能力を備えもつ。我々は、、それらの相互通信の性質と趣旨に関しては知らないので、ほとんど明らかにすることはできない。そして我々は、調整者が何らかの方法で心を持たれなければ、決して人格化できないということも、さらに知っている。
107:5.3 思考調整者の関心は、宇宙なる父と永遠なる息子の心ばえに似ている—そのような心ばえは、結合活動者の心に原型をとる。[9]
107:5.4 調整者に仮定される心の型は、おそらく第一根源と中枢から同様に始まる前人格の実体の多数の他の系列の心の贈り物と同様であるに違いない。これらの系列の多くが、ユランチアでは明らかにされていなかったが、それらは皆、心髄の特性を明らかにする。起源とする神格のこれらの個別化が、多数の進化の型の死を免れない存在体と、またそのような神格の断片との融合のための可能性を既に開拓した限られた数の非進化型の存在体とさえ統一されることも可能である。
107:5.5 思考調整者が、生残している人間の進化している不滅のモロンチア魂に融合されるとき、上昇する人間が、宇宙進歩の精霊水準に達するまでは、調整者の心は、被創造者の心から離れて確認され得るだけである。
107:5.6 上昇経験の終局者段階への到達において、第6段階のこれらの精霊は、そのような上昇する人格の神性と人間の局面との連結の役目を以前に果たした人間と調整者の心の特定の局面の結合を表す何らかの心の要因を変えるようにみえる。この経験的な心の特性は、おそらく「崇高化」し、次には、進化的神格—崇高なるもの—の経験的授与を増やすであろう。
107:6.1 思考調整者は、被創造者の経験に遭遇するとき、精霊影響の存在と導きを明らかにする。調整者は、本当に精霊、純粋な精霊であるが、精霊以上である。我々は、これまで満足に神秘訓戒者を分類することができなかった。それらについて確かに言えるすべては、それらが、本当に神に似ているということである。
107:6.2 調整者は、人の永遠の可能性である。人は、調整者の人格可能性である。あなたの個々の調整者は、あなたの一時的同一性を永遠化することを願ってあなたの精霊化に向けて取り組んでいる。調整者は、精霊の父に対する美しい、そして自己を与える愛で満ちている。調整者は、あなたを本当に、そして神々しく愛している。彼らは、人の心に閉じ込められた精霊の望みの捕虜である。調整者は、孤独が終わるかもしれないという、かれらが、物理的な衣服と時間の衣装の制限からあなたと自由になれるかもしれないという、あなたの必滅の心の神性到達を切望している。
107:6.3 楽園へのあなたの道は、精霊到達への道であり、調整者の特質は、宇宙なる父の精霊の特質顕示を忠実に繰り広げるであろう。楽園上昇の向うに、そして永遠の経歴の後終局者の段階において、調整者は、おそらく精霊活動より他の以前の人間のかつての共同者と接触するかもしれないが、楽園上昇と終局者の経歴は、神を知り、精霊化している人間と神-顕示の調整者の精霊的な活動との共同者関係である。
107:6.4 我々は、思考調整者が精霊である、純粋な精霊である、おそらく絶対的精霊であるということを知っている。しかしまた、調整者は、占有的に精霊の現実であるに違いない。推測される心髄に加え、純粋なエネルギーの要素も存在している。あなたが、神は、純粋なエネルギーと純粋な精霊の源であるということを思い出するならば、神の断片は、両方であると知覚することはそれほど難しくないであろう。調整者が、楽園小島の瞬間的で、普遍の重力回路の空間を通るということは、事実である。
107:6.5 神秘訓戒者が、宇宙の中の宇宙の物理回路とこのようにつながっているということは、誠に説明のつかない事である。しかし、それは、かれらが、物理重力回路を通って壮大な宇宙の全体をよぎるということは事実として残る。神秘訓戒者が、外部空間段階を射通しさえするということは、全く可能である。かれらは、これらの領域に確かに、壮大な宇宙の境界をも超えた結合活動者の心の回路を横断できるとはいうものの、私の人格の系列は、楽園の重力の臨場に続いてこれらの領域に入ることができ、我々は、外部空間の未知の領域での調整者臨場を決して見つける確信はなかった。
107:6.6 にもかかわらず、調整者が物理-重力回路を利用するとき、かれらは、物質創造のようにはそれに服従しない。調整者は、重力の結果として起こるものではなく、重力の原型の断片である。それらは、重力出現に仮定的に先立つ存在の宇宙段階で断片化した。
107:6.7 思考調整者には、その贈与の時から人間対象者の自然な死による神性球への出発の解放の日まで何の息抜きもない。そして、対象者が自然の死の入り口を潜り抜けない思考調整者は、この一時的休止期間さえ経験しない。思考調整者は、エネルギー摂取を必要としない。それらは、エネルギー、すなわち最高の、最も神性な系列のエネルギーなのである。
107:7.1 思考調整者は人格ではないが、それらは本当の実体である。それらは実際に、かつ完全に人格化されており、人間に宿ってはいるものの、決して人格化されない。思考調整者は、真の人格ではない。それらは、真の現実、宇宙の中の宇宙で知られる最も純粋な系列の現実である—それらは神性臨場である。人格ではないが、父のこれらの驚異の断片は、一般的には存在体として、また時として、死すべき者への現在の活動の精神的局面から見た精神実体として呼ばれる。
107:7.2 思考調整者が、意志の特権と選択の力を持つ人格でないならば、では、どのようにして必滅の対象を選択し、進化の世界のこれらの被創造者に宿ることが出きるのか。これは容易い質問ではあるが、おそらく宇宙の中の宇宙のいかなる存在体もこれまでに正確な答えを見つけなかった。私の人格の系列、すなわち単独使者でさえ人格的でない実体における意志、選択、愛の恩恵を完全には理解していない。
107:7.3 我々は、思考調整者は、前人格の全段階において選択の意志力を持たなければならないと、しばしば推測してきた。思考調整者は、人間に宿ることを志願し、人の永遠の経歴の計画を立て、情況に応じて適合し、変更し、そして、これらの活動は、本物の意志を内包している。思考調整者は、死すべき者に対する愛情を持ち、宇宙の危機に際し機能し、人間の選択に応じ決定的に行動するために待機しており、かたこれらはすべて、高度な意志の反応である。人間の意志の領域に関心をもたないすべての状況において、かれらは、あらゆる意味において意志、つまり最大限の決定に相当する力の行使を意味する行為を明白に示している。
107:7.4 では、もし意志があるならば、思考調整者は、なぜ人間の意志に補助的であるのか。我々は、調整者意志は、特質においては絶対であるが、顕現においては前人格であるからだと信じる。人間の意志は、宇宙現実の人格段階で機能し、全宇宙にわたり、非人格—無人格、準人格、および前人格—は、常に、意志と実存の人格の行為に応じるのである。
107:7.5 被創造の存在体と無人格的エネルギーの宇宙全体にわたり、我々は、人格から離れて顕示された意志、決意、選択、愛を観測しない。調整者と他の同様の実体を除いては、我々は、非個人的な現実と関連して機能する人格のこれらの属性を目撃しない。調整者を準人格と示すのは正しくないであろうし、そのような実体を超人格と暗に指すのも妥当ではなかろうが、前人格の存在体と称することは全く許されるであろう。
107:7.6 神性のこれらの断片は、我々の系列には神性の贈り物として知られている。我々は、調整者の起源は神性であるということ、宇宙なる父が、事実上は無限である領域全体におけるいかなる、あるいは全ての物質的被創造者との直接的、かつ無制限の意志疏通、また、まったく楽園の息子の人格のその臨場から、あるいは、無限なる精霊の人格の間接的な活動を通して起こるこの全ての可能性を留保する見込みのある証明と実証を構成するということを認識している。
107:7.7 神秘訓戒者の主人役であることを喜ばない被存在体はないが、終局者の目標に向かう意志をもつ進化的被創造者以外には、いかなる存在体の系列もこのようには内在しない。
107:7.8 [オーヴォントンの単独使者による提示]