111:0.1 人間の心の神性調整者の臨場は、科学または哲学のいずれかが、人間人格の進化する魂の満足な理解に達することを永遠に不可能にする。モロンチア魂は、単に宇宙の子であり、宇宙洞察と精神的な発見を通してのみ真に知られることができる。
111:0.2 魂と内住する精霊についての概念は、ユランチアにとって新しくはない。それは惑星の思考体系の様々な方式に頻繁に登場した。西洋の信仰の幾つかはもとより東洋の多くの信仰もまた、人が遺伝において人間であるのみならず遺産において神性であるということを認識してきた。神格の外部遍在に加え内部臨場は、長い間、多くのユランチア宗教の一部をなしてきた。人は、人間性の範囲内で成長している何か、この世の人生の短い間を越えて持続する運命にある何か重大なものがあると、長い間信じてきた。
111:0.3 人が、進化する魂は、神性の霊により創られたと気づく前には、魂は、異なる身体的的な器官—目、肝臓、腎臓、心臓、後には脳—に住んでいると考えられていた。未開人は、魂を血液、息、影、それに水の中の自身の反映に関連づけた。
111:0.4 アトマンの概念において、ヒンズー教教師は、調整者の本質と臨場の真価の認識に実際に近づいたのだが、進化的、かつ潜在的に不滅の魂の共同臨場の識別はできなかった。しかしながら、中国人は、陽と陰、魂と精霊の人間の2局面を認識した。エジプト人と多くのアフリカ種族は、2つの要素、カー、バーを信じた。精霊だけは前存在であり、魂は、通常、前存在であるとは信じられてはいなかった。
111:0.5 ナイル渓谷の住民は、好まれた各個人には、出生時に、もしくはその後に、彼らがカーと呼んだ守りの精霊を授与されたと信じた。彼らは、この守護霊が生涯にわたって人間の対象と共にあり、その人間より先に未来の場所へと向かうと教えた。アメンホテプ三世の生誕が描かれているルクソールの寺院の壁には、幼い王子がナイル神の腕に描かれ、王子の近くには外見上は王子に似た別の子供がおり、それは、エジプト人がカーと呼んだその実体の象徴である、この彫刻は、紀元前15世紀に完成された。
111:0.6 カーは、対応する人間の魂をこの世の生活のより良い軌道へと誘導することを、さらに具体的に言えば、人間の対象の今後の運勢に影響することを望む優れた精霊の感化を与えるものであると考えられた。この時代には一人のエジプト人が死ぬと、その人のカーが、三途の川の反対側でその人を待っていると予想された。最初は、王だけにカーがいると思われたが、やがて、すべての公正な人にはカーがいると信じられた。一人のエジプトの支配者が、自分の心の中のカーについて「私はその話を無視しなかった。その先導に違反することを恐れた。それによって、私は大いに成功した。それが私にさせてくれたお蔭で私は、このように成功した。私はその先導により特徴づけられた。」と言った。多くの者が、カーは「神からのお告げを伝えるもので皆の中に」いると信じた。彼らが「あなたの中の神の好意で喜びに満ちた心で永遠に過ごすことになっている」と信じた。
111:0.7 ユランチアの進化的人間のあらゆる人種には、魂の概念に相当する言葉がある。多くの原始民族は、魂が人間の目を通して世界の外を見ると信じた。この為、かれらは、邪眼の悪意を憶病にもとても恐れたのであった。彼らは、長い間、「人の霊は主の明かりである。」と信じてきた。リグヴェーダは、「私の心は私の核心と話す」と伝える。
111:1.1 調整者の仕事は、本質的には精霊的であるが、必然的に、知的な基盤においてすべての仕事をしなければならない。心とは、精霊訓戒者が、内住する人格の協力に従いモロンチア魂を発展させなければならない人間の土壌である。
111:1.2 宇宙の中の宇宙のいくつかの心の段階には、宇宙統一がある。知的な自己には、星雲が、宇宙空間の宇宙エネルギーに起源があるのとほぼ同様に、宇宙の心にその起源がある。知的自己の人間の(したがって、個人的)段階において、精霊進化の可能性は、そのような人間の自己の絶対価値の実体-点の創造的な存在と共に人間の人格の精霊の贈り物のために優位になる。しかし、物質の心のそのような精霊の支配は、2つの経験を条件とする。この心は、7名の心-精霊の補佐の活動を通して発展してきたに違いなく、物質的(人格的)自己は、モロンチアの自己、すなわち進化の、潜在的に不滅の魂を創り出し、育てるに当たっては内住調整者との協力を選択しなければならない。
111:1.3 物質の心は、人間の人格が、生きているか、自意識が強いか、決定をするか、神を選ぶのか、または神を見捨てるか、自分自身を永遠化するのか、もしくは滅ぼす領域なのである。
111:1.4 物質的進化は、あなたに生命の機械、すなわちあなたの身体を提供した。父自身は、あなたに、宇宙で知られている最も純粋な精霊現実を、つまりあなたの思考調整者を授けた。しかし、あなたの手には、あなた自身の決定を条件とする心が与えられており、あなたが生きるか、死ぬかは心によるのである。そして、それは、この心の中で、またこの心をもってあなたが調整者に似ること、そして、神に似ることが達成できる道徳的判断をさせるのである。
111:1.5 人間の心は、物質的な生涯の間、使用目的のために人間に貸与される一時的な知性の組織であり、人間がこの心を使用する間、かれらは、永遠の存在の可能性を順応するか、またはそれを拒絶している。手にしている宇宙現実のなかであなたの意志の支配下にあるのは、心だけであり、また魂—モロンチア自己—は、人間の自己がしているこの世の決定の収穫を忠実に描写するであろう。人間の意識は、電気化学的構造上に穏やかに寄りかかり、精霊-モロンチア エネルギー構造下に微妙に触れている。これらの2構造のいずれをも、人間はかつて、その必滅の人生において完全に意識してはいない。したがって、人間は、心で働かなければならず、それを意識している。またそれは、心が生存を保証することを理解することではなく、むしろ心が、生存保証の理解を望むことである。それは、心が似ることが、精霊の自己性を構成するのではなく、むしろ心が似るように努力することが、精霊の自己性を構成するのである。それは、人が神を意識することではなく、むしろ神を慕うことが人に宇宙上昇をもたらす。あなたが今日何者であるかということではなく、むしろあなたが日毎に、また永遠になろうとしていることが重要なのである。
111:1.6 心とは、人間の意志が破壊の不協和音を演奏することができる宇宙の楽器、あるいはこの同じ人間の意志が、神識別とその後の永遠の生存の絶妙の旋律を生み出すことができる宇宙の楽器である。人に授与される調整者は、要するに、悪に動じず、しかも、罪を犯すことができないが、人の心は、道理に反する罪深い企みや人間の身勝手な意志によって歪み、歪曲され、邪悪にそして醜くなることがある。同様に、この心は、髪を知る人間の精霊に照らし出される意志に従って、気高く、美しく、本当で、善に—本当に素晴らしく—されることができる。
111:1.7 進化する心は、宇宙の知性の二つの極端なもの—完全に機械化されたものと完全に精霊化されたもの—に現れるときにだけ、完全に安定し、信頼できるのである。純粋な機械的支配と真の精霊の特質の間には、その安定性と平静が、人格の選択と精霊識別に依存している進化し上昇する心の巨大な集団が介在する。
111:1.8 だが人は、消極的にも、従属的にも調整者に自分の意志を引き渡しはしない。むしろ、そのような導きが、人間の自然な心の願望や衝動と意識的に異なるとき、積極的に、肯定的に、また協力的に調整者の導きに従うことを選ぶのである。調整者は、巧みに扱いはするが、意志に反して人の心を決して支配はしない。調整者にとっては人間の意志が主権を有する。そして、調整者は、進化する人間の知性のほとんど無限の活動領域において思考の調整と人格変化の精霊的な目標達成に向けて努める間、人間の意志をそのように見なし、重んじる。
111:1.9 心はあなたの船であり、調整者はあなたの水先案内人であり、人間の意志は船長である。人間の船の主は、神の水先案内人が上昇する魂を永遠の生存のモロンチア港へと誘導すると信じる知恵がなければならない。身勝手さ、怠惰、罪深さだけが、人の意志に、そのような情愛深い水先案内人の導きを拒絶させ、ついには拒絶された慈悲の悪の浅瀬や抱き込んだ罪の岩礁で人間の前途を難破させることができるのである。あなたの同意で、この誠実な水先案内人は、神性の心のまさしくその源へと、そしてその向こう側へと、さらには調整者の楽園の父へとあなたを運ぶであろう。
111:2.1 宇宙の知性ある心の機能を通して、心全体は、知的機能部分に優位である。心は、要するに機能的な統一体である。したがって、心は、たとえ見当違いの自己の賢明でない行動と選択に、妨げられて邪魔されようとも、この構成統一体を必ず明らかにする。そして、心のこの統一は、つねに意志の尊厳と上昇特権をもつ自己とのその連合の全段階における魂の調整を追求する。
111:2.2 人間の物質的な心は、内住する思考調整者が、永続的な価値と神性の意味の宇宙の特徴—究極の目標と終わることのない経歴、潜在的終局者の生残している魂—の精霊の型を織り混ぜるモロンチアの織物を携行する宇宙の織機である。
111:2.3 人間の人格は、物質的な肉体の生命による機能的な関係で結合された心と精霊とが連動される。そのような心と精霊のこの機能的関係は、心と魂の特質あるいは属性の何らかの組み合わせをもたらすのではなく、むしろ潜在的に永遠の持続性にある完全に新しく、独創的かつ独自の宇宙の価値、つまり魂をもたらす。
111:2.4 そのような不滅の魂の進化的創造には2つではなく3つの要因がある。モロンチアの人間の魂のこれらの3つの先行要素は次の通りである。
111:2.5 1. 人間の心とその心に先行し、しかも、それに加えて影響を及ぼす宇宙の影響すべて
111:2.6 2. 人間の人生に関連するすべての精神的影響と要素と共に絶対的精神性のそのような断片に固有であるこの人間の心とすべての可能性に宿る神性精霊
111:2.7 3. 物質の心と神性精霊間の関係、それは、そのような関係に貢献している要因のいずれにも見い出せない価値を暗示し、意味をもつ。この独特の関係にある現実は、物質的でも精霊的でもなくモロンチア的でもない。それは魂である。
111:2.8 中間被創造者は、長い間、人のこの進化する魂を、下級であるかまたは物質的な心と、上級であるかまたは宇宙の心と対比して中間-心と呼んできた。この中間-心は、物質界と精霊界の間の領域に存在しているので、本当にモロンチア現象である。そのようなモロンチア進化の可能性は、心の2つの宇宙的衝動に固有である。神を知り、創造者の神性に至ろうとする被創造者の有限の心の衝動と人間を知り、被創造者の経験に至ろうとする創造者の無限の心の衝動。
111:2.9 進化する不滅の魂のこの崇高なやりとりは、人間の心が、第一に人格的であり、第二に超動物の現実に接触しているがゆえに可能にされる。それは、道徳的判断のできる徳性の進化を保証する宇宙の恩恵である超物質の贈り物を所有し、その結果、関連する精神的活動と内住する思考調整者との真実かつ創造的な接触をもたらす。
111:2.10 人間の心のそのような接触の精霊化の必然の結果は、全創造の他ならぬ神の実際の断片—神秘訓戒者—の総括的管理下にある宇宙の精霊的根源力と関係して働く神を知ることを切望する人間の意志で占められている補助の心の結合の子孫である魂の段階的な誕生である。そして、その結果、自己の物質的で必滅の現実は、物理的な生命機械の一過性の限界を超え、自己の連続性のための進化媒体、すなわちモロンチアの魂と不滅の魂において新しい表現と新しい同一性に到達する。[1]
111:3.1 人間の心の誤りと行為の過失は、それが一度創造物の同意によって内住する調整者によって開始されてしまうとそのようなモロンチア現象を妨げることはできないものの、魂の発展を著しく遅らせるかもしれない。しかし、人間の意志は、人間の死の前のいかなる時点でもそのような選択を無効とし、生存を拒絶する権限が与えられている。生き残りの後でさえ、上昇する人間は、永遠の命を拒絶するほうを選ぶこの特権を依然と保持している。いつでも調整者との融合前、進化し上昇している創造物は、楽園の父の意志を放棄するほうを選択できる。調整者との融合は、上昇する人間が、父の意志を為すことを永遠に、遠慮なく選択をしたという事実を際立たせている。
111:3.2 生身の人生の間、進化している魂は、人の心の超物質的決定を補強する力を与えられる。超物質である魂は、人間の経験の物質的段階においてそれ自体の機能はしない。調整者のような神格の何らかの精霊の共同なくしては、この準精霊の魂も、モロンチア段階を上回る機能することはできない。この物質の心は、関連する機能のそのようなモロンチア魂に自由に、また進んでそのような権威を委託しない限り、魂は、人間の心との物質的関係から死、または移動が離すまで最終的決定をしない。生涯を通して、人間の意志、決定-選択の人格の力は、物質的な心の回路に居住している。この自己は、この世の人間の成長が進むにつれ、選択の極めて貴重な力に従って、新生のモロンチア-魂の実体とますます一体感を連動させる。死後と大邸宅世界復活の後、人間の人格は、モロンチア自己と完全に連動される。魂は、このように、人格同一性の将来のモロンチア媒体の胎児である。
111:3.3 この不滅の魂は、最初は本質的に完全にモロンチアであるが、それは、神格の精霊との融合、つまり通常はそのような創造的現象を起こした宇宙なる父と同じ精霊との融合の価値の真の精霊段階へと常に昇るようなそのような発展の能力を備えている。
111:3.4 人間の心と神性調整者の両者は、進化している魂の臨場と異なる本質を—調整者は完全に、心は部分的に—意識している。魂は、それ自身の発展的成長に比例して、ますます心と関連する自己性として調整者の意識するようになる。魂は、人間の心と神霊の両方の特質をいくぶん帯びているが、その働きの意味が精霊の真価と調整しようとする心の機能の促進を通して、精霊の支配と神の支配の拡大の方へ持続的に進化する。
111:3.5 人間の経歴は、つまり魂の進化は、保護観察ではなくむしろ教育である。最高価値の生存を信じることが、宗教の核心である。本物の宗教経験は、宇宙の現実の実現として、最高の価値と宇宙的意味の結合にある。
111:3.6 心は量、現実、意味を知っている。しかし、質—価値—は感じられるものである。魂が感じるものは、心と関連する魂との相互的創造であり、心は知り、その魂は現実化する。
111:3.7 真、美、善により神-意識の価値-認識として人の進化するモロンチア魂が浸透するようになる限り、そのような結果として生じる存在は、破壊できなくなる。人の進化している魂に永遠の価値の生存がないならば、人間の生活には意味がなく、人生自体は悲惨な幻想である。しかし、それは永遠に真実である。時間で始めることは確かに永遠に終わるであろう—終わる価値があるならば。
111:4.1 認識とは、個人の記憶の型に外界から受け取られた感覚的印象をはめ込む知的過程である。理解とは、これらの認識された感覚的印象と関連するそれらの記憶の型が、法則の動的な網状組織に統合されるか、または体系づけられたということを意味する。
111:4.2 意味とは、認識と理解の組み合わせから引き出される。意味は完全に知覚の世界には、または物質の世界には実在しない。意味と価値は、人間の経験の内側あるいは超物質界で認められるだけである。
111:4.3 本当の文明の進歩のすべては、人類のこの内側の世界で生まれる。真に創造的であるのは内面の人生である。文明は、いかなる世代であろうともその若者の大多数が、その関心と精力を知覚の、または外界の物質追求に向けるとき、ほとんど進歩することはできない。
111:4.4 内面世界と外面世界には、異なる価値がある。いかなる文明も、その3/4の若者が物質主義的職業に就き、外面世界の感覚の活動の追求に専念するとき、危険にさらされている。文明は、若者が、倫理学、社会学、優生学、哲学、美術、宗教、宇宙学への興味をなおざりにするとき、危険にさらされている。
111:4.5 あなたは、それが、人間の経験の精霊の領域に影響を与えるように、より良く、より永続する文明を建設することに貢献する効を奏する支配的な型と関連するそれらのより高い概念を超意識の心のより高い段階においてのみ見つけることができる。人格は、本来創造的であるが、個人の内面生活においてのみこのように機能する。
111:4.6 雪の結晶は、常に六角形であるが、2つとして決して同じではない。子供は型に従うが、2人として、双子の場合でさえ、全く同じではない。人格は型に従うが、常に他とは異なる。
111:4.7 幸せと喜びは、内面生活に起源がある。あなたは一人きりで本当の喜びを経験することはできない。孤独の生活は、幸福にとっては致命的である。家族や国でさえ、それを他と共有するならば一層生活を楽しむであろう。
111:4.8 あなたは、外界—環境—を完全には制御できない。あなたの人格が先行する因果関係の法則の足枷からそれほどまでに大幅に解放されるので、内面世界の創造性こそがあなたの方向づけに最も支配されている。意志の有限の主権は、人格に関連づけられている。
111:4.9 人のこの内面生活が誠に創造的であるので、この創造性が自然発生的であり、その上完全に場当たり的であるか、あるいは制御され、指示され、その上建設的になるかどうかの選択責任は、各人の肩にかかっている。機能する舞台が、偏見、憎しみ、恐怖、憤り、報復、偏狭にすでに心が奪われているとき、創作への想像力はいかにして価値ある子供を生み出すことができるのか。
111:4.10 考えは、外界の刺激に起源があるかもしれないが、理想は、内界の創造の領域だけで生まれる。今日、世界の国々は、過剰の考えを持つ人に導かれているが、かれらは、理想においては極貧である。それが、貧困、離婚、戦争、人種的憎悪についての説明である。
111:4.11 これは問題である。自由意志の人間に内なる心の創造性の力が与えられているならば、我々は、自由意志の創造性が自由意志の崩壊性の可能性を迎え入れると認めなければならない。そして、創造性が破壊性に向けられるとき、あなたは、悪と罪の荒廃—圧迫、戦争、破壊—と直面している。悪は、創造性に対しての崩壊と最終的な絶滅に向かう傾向の妨害である。内面生活の創造的機能を妨げるという点で、すべての闘争は、邪悪である—それは、人格における内戦の一種である。
111:4.12 内面的創造性は、人格統合と自己統一を通じて性格の品位を高めることに貢献する。それは永遠に真実である。過去は不変である。未来だけは、内側の自己の現在の創造性の活動によって変わることができる。
111:5.1 神の意志を為すことは、内面生活を神—内面の意味-価値のそのような創造物の生活を可能にしたまさしくその神—と共有するという創造物の意欲の提示に他ならない。共有は、神—神性—に似た行為である。神は、すべてを永遠なる息子と無限なる精霊と共有するが、彼らは、次に、すべての物を宇宙の神性の息子と精霊の娘と共有する。
111:5.2 神を摸倣することは、完全性への鍵である。神の意志を為すことは、生存の秘密であり、生存における完全性である。
111:5.3 人間は神の中に生き、同じように神は、人間の中に生きることを決意した。人が神を信頼するように、神は同じように—最初に—自分の一部が人といることを確信した。人間の意志を前提として人の内に生き、人の中に宿ることを同意した。
111:5.4 この人生における平和、死からの生存、来世における完全性、永遠における奉仕—これらはすべて、(精霊的に)いま、創造物の人格が、父の意志に創造物の意志が従うことに同意する—選ぶ—とき、達成される。そして、父は、すでに、神自身の断片が、創造物の人格の意志に従うことを選んだのであった。
111:5.5 創造物のそのような選択は、意志の降伏ではない。それは、意志の奉献 、意志の拡大、意志の賛美、意志の完成である。また、そのような選択は、創造物の意志を世俗の重要性の段階から創造物の息子の人格が精霊の父の人格と親しく交わる高い段階へと高める。
111:5.6 たとえ一時代が、創造物の息子が、実は楽園の神の実際の臨場にたつかもかもしれない前に過ぎなければならないとしても、父の意志のこの選択は、人間による精霊の父の精霊的な発見である。この選択は、「あなたの意志が為されるということが、私の意志である。」という創造物の肯定的な確認ほどには、「私の意志ではなく、あなたの意志が為される」という創造物の意志の否定ではない。そして、この選択がなされるならば、遅かれ早かれ神-選択の息子は、内在する神の断片との結合(融合) —人の意志と神の意志の永遠の別の協調関係の誕生—を見い出すであろし、一方、この同じ完成に近づいている息子は、創造的属性が表現の各自の意志に基づく相互関係に永遠に参加している人の人格とその造物主の2つの人格の崇拝と親交における崇高な人格的満足を見い出すであろう。。[2]
111:6.1 人間の世俗的問題の多くは、人間の宇宙との二つの関係から芽生える。人は自然の一部である—自然の中に存在する—なおかつ、自然を超えることができる。人は有限であるが、無限の火花が内住している。そのような二重状況は、可能性を悪に提供するだけではなく、大きな不確定要素と大いなる不安をはらむ多くの社会的、道徳的状況をも引き起こす。
111:6.2 自然の征服をもたらし、自らを超越することを求める勇気というものは、自負の誘惑に屈するかもしれない勇気である。自己を超えることができる人間は、自意識を神聖視する誘惑に屈するかもしれない。人間の窮地は、 人が自然に束縛され、同時に独自の自由—精霊的な選択と行動の自由—をもつという二重の事実にある。物質的段階では、人は、自然に副次的あることに気づくが、精霊的段階では、自然、そして一時的かつ有限な全てのものに対して勝利を収めている。そのような矛盾は、誘惑、潜在的悪、決断上の誤りから切り離せないものであり、また、自己が誇り高くなったり、横柄になるとき、罪が展開するかもしれない。
111:6.3 罪の問題は、有限の世界においては独立的存在ではない。有限性の事実は、邪悪でも罪深くもない。有限の世界は、無限の創造者によって作られた—それは、その神性の息子の業である—したがって、それは良いはずである。悪と罪に起源を与えることは、有限の誤用と歪みと堕落である。[3]
111:6.4 精霊は、心を支配することができる。同様に心は、エネルギーを制御することができる。しかし、心は、原因と結果の物理的領域の数学段階に固有である変成の可能性のそれ自身の知的操作を通してだけエネルギー制御ができる。被創造物の心は、本来エネルギーを制御しない。それは神性特権である。しかし、被創造物の心は、物理宇宙のエネルギーの秘密の熟練者者になる限りにおいてエネルギーを操ることができるし、そうする。
111:6.5 人が物理的現実の修正を願うとき、それが自分自身かその環境であることにかかわらず、人は、物質を制し、エネルギーを導く方法と手段を発見するまでに功を奏する。助けを受けない心は、自身の物理的な仕組を除いては、物質的な何物にも影響を及ぼすことができない。しかし、肉体の仕組みの知的な活用を通して、この心が、ますます制御することができ、宇宙におけるその物理的段階を支配することさえできるその活用により、心は、他の仕組みを、エネルギー関係と生命関係さえも創造することができる。
111:6.6 科学は事実の源であり、心は事実なしで作動はできない。それらは、人生経験が知恵の建設においてセメントで結合される建築用ブロックである。人は、事実なしで神に対する愛を見つけることができ、愛なしで神の法を発見することができるが、人は、神の法と神の愛を見つけ、進化している宇宙哲学において経験的にこれらを統一するまでは、第一根源と中枢の全包括的な自然に属する無限の対称性、崇高な調和、絶妙の充実さを決して評価し始めることができない。
111:6.7 物質的知識の拡大は、思考の意味と理想の価値へのより優れた知的評価を可能にする。人間は、自分の内面の経験において真実を発見することはできるが、真実にの個人の発見を日常生活の冷酷なまでに実用的な要求に適用するための事実に関する明確な知識を必要とする。
111:6.8 人間は、一時的で有限なすべての事に完全に卓越した精神力をもつ一方で、動きがとれないほどに自然に縛られる自分自身を眺めるとき不安定な気持ちに悩ませられるということはもっともなことである。ただ宗教上の確信—生きている信仰—だけが、人をそのような難しく、面倒な問題の真ん中で支えることができる。
111:6.9 人の必滅の本質を脅かしたり、精霊的清廉さを危険にさらす全ての危険の中では、誇りというものが最も大きなものである。勇気は勇しいが、自惚れは虚栄が強く自滅的である。理に適った自信を遺憾に思うことはない。自身を超える人の能力こそが、動物界と人を区別する一つのものである。
111:6.10 誇りは、個人、集団、人種、または国家に見られるか否かに関係なく、欺きであり、陶酔であり、罪の養育である。「おごれる者久しからず」ということは文字通り本当である。[4]
111:7.1 保障の不確実性は、楽園冒険の本質である—時間の、そして心の不確実性、展開する楽園上昇の事象に関する不確実性。精霊と永遠における安全性、すなわち、宇宙なる父の神性の思いやりと無限の愛における創造物の息子の無条件の信頼における安全性。宇宙の未経験な公民としての不確実性。全能の、全賢の、そしてすべてを愛する父の宇宙の大邸宅を上昇する息子としての保障。[5]
111:7.2 あなたの魂への調整者の誠実な呼び出しである遠くからの木魂に心を留めるようにあなたに訓戒してもよいであろうか。内住する調整者は、止まることができないし、あなたの経歴の時間の中での戦いを実質的には変更さえできない。調整者は、あなたが労苦のこ現世で旅をする間、人生の苦難を減少させることはできない。それが、あなたの惑星で住んでいるように、人生であなたが生きるために戦う間、神性内住者は、ただ我慢することしかできない。だが、あなたは、ただ望みさえすれば—あなたが働き、気を揉みつつ、戦い、骨折りながらも—勇敢な調整者があなたと共に、またあなたのために戦うことを許す。あなたが、あなたの現在の物質界の平凡な問題とのすべての上りの闘いであるこの難しい真の動機の絵、最終的目標の絵、そして、その永遠の目的の絵を絶えずもたらすことを調整者に許しさえすれば、あなたはとても慰められ奮起させられ、とてもに魅了され、好奇心をそそられることができる。
111:7.3 奮闘を要する物質的なこれらのすべての努力の精霊的な類似体をあなたに見せる任務において調整者を支援してはどうか。あなたが創造物の生活の一時的な困難と取り組んでいる間、あなたはなぜ、調整者に宇宙の力の精霊の真実であなたを強くさせないのか。あなたが過ぎ行く時間の問題を当惑してじっと見つめる間、あなたはなぜ調整者に宇宙の人生の永遠の前途からくる明確な見通しであなたを元気づけさせてはどうか。あなたが時間の不利な条件の中でこつこつと働き、人生旅行を悩ます不確実性の迷路でもがく間、あなたはなぜ、宇宙の視点に啓発され、奮い立たせられることを拒むのか。たとえあなたの足は現世の努力の物質的進路を踏み均さなければならないとしても、あなたはなぜ調整者にあなたの考えの精霊化を許してはどうか。
111:7.4 ユランチアのより高等の人類は複雑に混合される。それらは、異なる起源をもつ多くの人種と民族の混合である。この合成の特質は、訓戒者が、生涯を通じて効果的に働くことをきわめて難しくし、死後確実に、調整者と保護者である熾天使の両者の問題を増やす。私はつい先頃サルヴィントンにいて、人間の対象に役立つ難しさの軽減について、将来の目標の保護者の正式声明を聞いた。この熾天使は言った。
111:7.5 「私の困難の多くは、私の対象の2つの特質、動物的怠惰に相対する野心の衝動、の果てしない対立が原因であった。劣性人種の本能に妨げられた優れた民族の理想。原始的遺産の衝動に敵対される偉大な心の高い目的。時間の創造物の近視に歯止めをかけられる先を見ている訓戒者の長期的視点。物質的性質の願望と切望に変更される上昇する存在体の進歩的計画。進化する人種の化学エネルギーの必要性に取り消される宇宙の知性の閃き。動物の感情の妨害をうける天使の意欲。本能の傾向に無効にされる知力の養成。人種の蓄積された傾向に妨害される個人の経験。最悪の者達の偏流に暗くされる最善の者達の目標。凡庸の引力に中和される才能の飛翔。悪しき者達の不活発さに遅らされる善き者達の進歩。悪の存在に汚される美の芸術。病気の衰弱に中和される健康の回復力。恐れの毒に汚染される信仰の泉。悲しみの海に苦しめられる喜びの泉。実現の苦さに幻滅させられる期待の喜び。死の悲しみに常に脅かされる生きる喜び。そのような惑星でのそのような人生であることよ。だがこの魂は、思考調整者の絶えず存在する助けと意欲のために、かなりの程度の幸福と成功を成し遂げ、大邸宅界の審判の大広間に今でも上昇した。」
111:7.6 [オーヴォントンの単独使者による提示 ]