12:0.1 宇宙なる父の広範囲にわたる創造のその広大さというものは、有限の想像力の把握を完全に越えるものてある。主たる宇宙の膨大さは私が属する系列存在体のもつ概念をさえたじろがせる。しかし、人間の心に宇宙の計画と配列に関し多くのことを教えることは可能なのである。あなたはそれらの物理的組織と驚異の管理について何かを知ることができる。あなたは、時間の7超宇宙と永遠の中央宇宙に生息する様々な集団の知力ある存在体に関し多くを学ぶことができる。
12:0.2 原則として、つまり、永遠の可能性に関し、我々は、発想する宇宙なる父が実際に無限であるがゆえに無限であると物質的創造を思い描くものの、物質的全創造を研究し観測するとき、それは、あなたの有限心には比較的限りがなく、実際には無限であるが、いかなる時点においても制限されるということを知っている。
12:0.3 我々は、自然界の法則の研究により、また星の世界の観測により、無限の創造者は宇宙表現の最終的状態においてまだ顕示されていないと、無限者の宇宙可能性の多くが、まだ自己充足的で非顕示であると思い描く。創造された存在にとり、主たる宇宙は、ほとんど無限であるように見えるかもしれないが、それは完成からは程遠い。物質的創造には物理的限界がまだあり、永遠の目的の経験的顕示は今もなお進行中なのである。
12:1.1 宇宙の中の宇宙は、無限の平面、広大な立方体ではなく、際限のない円でもない。それには、確かに、大きさがある。物理編成と管理の法則は、根源力-エネルギーと物質-力の全体の広大な集合が結局空間単位として、組織化され連携している全体として機能すると最終的に立証する。物質創造の観察可能な行動が、確たる限界をもつ物理的宇宙の証拠を意味する。基本的エネルギーのあらゆる形態が楽園引力の不断の、かつ絶対的牽引力に服従的な主たる宇宙の空間段階の湾曲経路を常に動き周るという我々には周知の事実により円形の、区切られた宇宙の決定的証拠が得られる。
12:1.2 主たる宇宙の連続的空間段階は、満ちた空間、—組織化され、部分的生息であるか、あるいははこれから組織化され、生息されていく全体的創造—の大区域を成す。もし主たる宇宙が、運動、相対的な静止圏との交替、に対し減少された抵抗の一連の楕円空間段階になかったならば、我々は、宇宙エネルギーの一部は無限の圏内に、つまり痕跡のない空間へと直線道に発射するところを観測されると想像する。しかし、我々は、このような動きの根源力、エネルギー、または物質を決して見ていない。それらは、つねに巨大空間の回路の軌跡においていつも前方へ揺れ動いて、渦巻いている。
12:1.3 主たる宇宙は、楽園から満たされた空間の水平方向の延長線上を経由し外側へ進み、個の同心楕円、中央の小島を包囲する空間段階に実在する。
12:1.4 1. 中央宇宙――ハヴォーナ
12:1.5 2. 七超宇宙
12:1.6 3. 第一外空間段階
12:1.7 4. 第二外空間段階
12:1.8 5. 第三外空間段階
12:1.9 6. Missing line
12:1.10 ハヴォーナ(中央の宇宙)は、時間のにおける創造ではない。それは永遠の存在である。この始まりのない終わりのない宇宙は、億の崇高な完全性の世界から成り、また巨大な暗い引力体に囲まれている。ハヴォーナの中心には、その個の衛星に囲まれて静止し完全に固定された楽園の小島がある。中央宇宙の縁周りの暗い引力体に属する包囲している巨大な質量のために、この中央宇宙の質量含有は、壮大な宇宙の全7区分の知られている全質量をはるかに上回っている。
12:1.11 楽園-ハヴォーナ体制、永遠の小島を取り囲んでいる永遠の宇宙は、主たる宇宙の完璧かつ永遠の中心部分を構成する。全7超宇宙と外空間の全領域は、楽園の衛星とハヴォーナ世界の中央の巨大な集合体の周辺に確立された軌道を回転する。
12:1.12 超宇宙は、第一の物理的組織ではない。星雲の一群を分割する境界はどこにもないし、地方宇宙、すなわち主要な創造単位を横切ってもしてはいない。各超宇宙は、組織化され、部分的に生息化している後ハヴォーナ創造のおよそが群がる単なる地理的空間であり、またそれぞれが、抱かれる地方宇宙の数において、また取り囲まれる空間においてほぼ等しい。あなたの地方宇宙であるネバドンは、第7超宇宙であるオーヴォントンにおける新創造の中のつである。
12:1.13 壮大宇宙は、現在の組織化され生息化された創造である。それは、主要な創造の永遠の圏域は言うまでもなくおよそ兆の生息惑星の集合進化の可能性をもつ超宇宙から成る。しかし、この仮の見積りは建築の行政世界を勘定にはいれず、組織されていない宇宙の中心から離れた集団を含んでもいない。壮大な宇宙の現在の辺縁、つまり、その不ぞろいで未完成の周辺は、天文区画全体の途方もなく不安定な状態ととももに、超宇宙でさえまだ未完成であることを我々の星の学習者に示唆している。我々が内側から、神性の中心から外側へとある一方向に移動すると、やがて、壮大な宇宙の外側の境界に至る。そして、それは、あなたの地方宇宙がその多事多端の存在体のいるこの外側の境界の近くに、つまりそのようなすばらしい創造のはるかかなたの一隅にある。
12:1.14 外空間段階。空間生息の超宇宙からの途方もない距離のはるか外側の空間に、組み立てつつある巨大かつ信じられないほどに膨大な根源力回路と具体化しつつあるエネルギーがある。超宇宙のエネルギー回路とこの巨大な外帯の根源力活動の間に、幅は異なるが、平均しておよそ万光年の比較的静かな空間帯がある。これらの空間帯には、星屑がない—宇宙の霧。これらの現象に関わる我々の学習者は、超宇宙を包囲する相対的静けさのこの圏内に存在する空間-根源力の正確な状態に関して疑問をもっている。しかし、現在の壮大な宇宙の周辺を約5万光年超えるところに、我々は、2,500万光年以上の間に体積と強度を増やす信じ難いエネルギー活動圏の始まりを観測する。エネルギー化をする原子力のこれらの巨大な輪は、最初の外空間に、すなわち、既知の、組織化され生息化されている創造全体を包囲する宇宙活動の連続する圏に位置している。
12:1.15 ユヴァーサの物理学者が、最初の外側の宇宙段階の5,000万光年を越える一番はずれの現象範囲を、根源力の初期の形跡を発見したので、今でもこれらの領域を超えて、大きな活動が行なわれている。これらの活動は確かに主たる宇宙の第宇宙段階の物質的創造の組織の前兆となる。
12:1.16 中央宇宙は永遠の創造である。超宇宙は時間の創造である。外宇宙の段階は、創造の究極性をもたらし、発展するように確かに方向づけられている。そして、無限者が決して完全な表現に達し得ないことを持続する無限のもの達がいる。だからこそ、それらの者たちは、番目と一番はずれの空間段階を超える、つまり追加の、明かされていない創造、無限の絶えず広がる、尽きることのない可能な宇宙を仮定するのである。理論上、創造者の無限性あるいは創造の潜在的無限性のいずれかを制限する方法を知らないが、それが存在し、管理されるように、我々は、主たる宇宙を限界のあるものとして、空間により確実に境界を定められ、またその外側縁に隣接しているものと見なしている。
12:2.1 ユランチアの天文学者達は、ますます効果を発揮する望遠鏡を通して外部空間の神秘的な広がりを覗き込み、そこでほとんど無数の物質宇宙の驚くべき発展を凝視するとき、主たる宇宙の建築者の不可解な計画の強力な働きを見つめていると気づくべきである。たしかに、我々には、今これらの外側の領域に独特の広大なエネルギーの顕現にわたってあちらこちらに楽園人格のある影響の臨場を示唆する証拠があるが、より大きい観点からは、7超宇宙の外側の境界を越えて広がる空間地域は、一般に、非特異絶対の領域を構成すると認識されている。
12:2.2 人間の肉眼は、オーヴォントンの超宇宙の境界外にあるつかつの星雲だけを見ることができるが、あなたの望遠鏡は形成過程にあるこれら何百万もの物理的宇宙をそっくりそのまま明らかにする。現代の望遠鏡による探査で目に触れる星の世界の大半が、オーヴォントンにあるが、写真技術により、より大きな望遠鏡が、壮大な宇宙の縁をはるかに超えて外空間領域に入り込み、そこには、数えきれない宇宙が組織過程にある。また、あなたの現在の機器の範囲を超えて他の何百万もの宇宙がさらにある。
12:2.3 遠くない将来、新しい望遠鏡は、不思議そうに覗き込むユランチアの天文学者らに遠くの外空間の広がりにある少なくとも億7,500万の新銀河を明らかにするであろう。同時に、これらのより強力な望遠鏡は、以前は外空間にあると信じられた多くの島状の宇宙が、実はオーヴォントンの巨大な体系の一部であることを明らかにするであろう。超宇宙はまだ発達しつつある。それぞれの周辺は徐々に広がりつつある。新星雲は絶えず安定化し、組織化されている。そして、ユランチアの天文学者が超巨大と見なすいくつかの星雲は、実際にはオーヴォントンの縁にあり、我々と共に旅しているのである。
12:2.4 ユヴァーサの星の学習者らは、壮大な宇宙が、外側の幾つもの宇宙の同心輪としての生息物のいる現在の創造を完全に包囲する一連の星明りと惑星群の先祖に囲まれるているのを観測する。ユヴァーサの物理学者らは、これら外側の、また地図にない領域のエネルギーと物質は全超宇宙に迎え入れられる総質量と総エネルギー充足の何倍にも等しいと見込む。我々には、これら外宇宙段階における宇宙根源力の変化が楽園根源力の組織者の機能であると知らされている。我々は、また、これらの根源力が現在のところ壮大な宇宙を動かすそれらの物理エネルギーにとっての源であることを知っている。しかしながら、オーヴォントンの力の指揮官は、これらはるか遠方の領域とは無関係であり、エネルギー運動は、組織化され、かつ居住の創造に属する力の回路にはここではっきりとは関係づけられてはいないのである。
12:2.5 我々は、外空間の途方もないこれらの現象の意味をほとんど知らない。未来のより大きい創造は、構成過程にある。我々は、その広大さを観測することができ、その範囲について明察し、その堂々たる大きさを理解することはできるが、これらの領域に関しユランチアの天文学者が知る以上には知らない。我々が知る限り、人間の系列のどんな存在体も、天使や他の精霊の創造物なども、星雲、太陽、および惑星のこの外側の輪には存在していない。この遠方の領域は、超宇宙の政府の司法権と管理を超えている。
12:2.6 新しい型の創造が進行中であると、すなわち、宇宙の一系列が集まる終局者部隊軍団の今後の活動の現場になるように定められているとオーヴォントン中で信じられている。そして、我々の憶説が正しいならば、無限の未来は、無限の過去が、あなたの先達や前任者のために持っていた魅了する同じ光景をあなた方すべてのために有するかもしれない。
12:3.1 すべての根源力-エネルギーの型—物質、心、または精霊の型—は、我々が引力と呼ぶその普遍的臨場の引力の握りに同じように支配される。人格もまた引力に敏感である—父の専属回路に。しかし、この回路は父に限られている。父は他の回路から除かれない。宇宙なる父は主たる宇宙の中の4個のすべての絶対-引力回路にわたり無限であり、かつ行動する。
12:3.2 1. 宇宙なる父の人格引力
12:3.3 2. 永遠なる息子の精霊引力
12:3.4 3. 連合活動者の心の引力
12:3.5 4. 楽園の小島の宇宙引力
12:3.6 これらの回路は、楽園下方の根源力の中心には関連していない。それらは根源力回路やエネルギー回路ではなく力の回路でもない。絶対臨場回路であり、神と同じように時間と空間から独立している。
12:3.7 この点に関し、引力研究者の一団による最近の数千年間のユヴァーサでのある観測を記録することは興味深い。この専門集団の労働者らは、主たる宇宙の異なる引力体系に関し以下の結論に到達した。
12:3.8 1. 物理的引力。それらは、壮大な宇宙の物理-引力全体の潜在的可能性の総和の見積りを定式化した上で、この発見と、現在作用している絶対引力の臨場の推定合計とを苦労しつつ比較した。これらの計算は、壮大な宇宙の総引力の動きが、宇宙物質の基本的な物理装置の引力反応に基づいて計算された楽園の推定の引力牽引力の非常に小さい部分であることを示した。これらの調査員は、中央宇宙と周辺の7超宇宙が現時点においては楽園絶対-引力把握の能動的機能の約5パーセントだけを利用しているという驚くべき結論に至る。言い換えれば、今や、この全体理論において算出される楽園の小島の活発な宇宙-引力活動の約95パーセントは、現在の組織化された宇宙の縁を超える物質的体系の制御に従事している。これらの計算はすべて、絶対引力について触れている。線引力は、単に実際の楽園引力を知ることによる計算が可能である双方向の現象である。
12:3.9 2. 精霊的引力。対比の判断と計算の同じ方法により、これらの研究者は、精霊引力の現在の反応容量を探求し、単独の使者と他の精霊人格の協力で、第二根源と中枢の活発な精霊引力の総和に達した。そして、価値研究者達が、現在の活発な精霊引力の総合量のために仮定するという壮大な宇宙の中の精霊引力の実際の、かつ機能的臨場に関してほぼ同じ価値を見つけることに注意することは最も有益である。言い換えれば、現時点で、全体のこの理論に実際に計算される永遠なる息子の精霊引力全体は、壮大な宇宙の中で機能しており観察可能である。これらの発見が信頼できるならば、我々は、今外空間で展開する宇宙が、現在は完全に非精霊的であると結論を下せるかもしれない。そして、これが本当であるならば、それは、物理的臨場の事実の知識は別として、精霊-賦与の存在体がなぜこれらの広大なエネルギー顕現についての情報をあまり、もしくは全然保持していないのかを十分に説明するであろう。
12:3.10 3. 心の引力。比較計算のこれらの同じ原則により、専門家たちは心-引力臨場と反応に関する問題に取り組んできた。力の監督者とその仲間に見られる心の型は、心-引力の見積りのための基礎単位に到る努力における不穏な要素であると判明するが、試算のための心の単位は、精神構造に関する3個の物質的な型と3個の精霊的な型を平均化することによりなされた。全体性に関するこの理論に一致した心-引力の機能ために第三根源と中枢の現在の容量に関する見積りを妨害するものはあまりない。発見は、この場合、身体と精霊引力の見積りほどには決定的でないとはいえ、比較して考えると、非常に有益であり、興味さえそそる。これらの調査員は、連合活動者の知的な素描への心-引力反応のおよそパーセントが既存の壮大な宇宙に起源を取ると推論する。これは、心の活動がいま外宇宙全体で進行中の観察可能な身体的活動にかかわるという可能性を示すであろう。この見積りは、少しも正確ではないかもしれないが、根源力の知力ある組織者は、現在のところ、壮大な宇宙の現在の外側の限界を超えた空間段階における宇宙発展を指揮していると、原則的に、我々の信念に合致している。この仮定された知性の本質が何であろうとも、それは精霊-引力には明らかに反応的ではない。
12:3.11 だがこれらのすべての計算は、たかだか想定された法に基づいて見積もられたものである。我々は、それらがかなり信頼できるものであると思う。いくつかの精霊存在体が外宇宙にいるとしても、それらの集合的臨場はそのような莫大な測定値にかかわる計算に著しくは影響を及ぼさないであろう。
12:3.12 人格引力は計算不可能である。我々は、回路を認めるものの、それに反応する質的、または量的な現実を測定することはできない。
12:4.1 宇宙エネルギーの全構成単位は、基礎的回転にあり、普遍的軌道の周りで揺れ動くとともに、それぞれの任務の実行に従事している。空間にある宇宙とそれぞれの構成体系および世界はすべて、回転球体であり、主たる宇宙空間段階の無限の回路に沿って動いている。主たる宇宙全体においては、ハヴォーナのまさにその中心を除き、すなわち、引力の中心である楽園の永遠の小島を除いては、静止しているものは絶対にない。
12:4.2 非特異絶対は、機能上空間に制限されているが、我々は、絶対の動きへの関わりについてあまり確信はない。動きはそこに固有であるのか。我々は知らない。我々は、動きが本来空間に備わっていないということを知っている。空間の動きさえ空間に起源をもたない。しかし、我々は、非特異、無条件の動きへの関わりについてあまり確信はない。だれが、あるいは何が、実際には現在の7超宇宙の境界を超えて今進行中の根源力-エネルギーの巨大な活動に関与しているのか。動きの起源に関し、我々には、次のような意見がある。
12:4.3 1. 我々は、連合活動者が空間で動きを開始すると考える。
12:4.4 2. 連合活動者が空間の動きを起こしているのであるならば、我々はそれを立証できない。
12:4.5 3. 宇宙の絶対者は、初動を始めないものの、動きによって発せられる緊張のすべてを均等化し、制御する。
12:4.6 外宇宙においては、根源力組織者が、いま星の進化過程にある巨大な宇宙の輪の生産に明らかに関与しているが、それほどまでに機能する能力は、非特異絶対の空間臨場の何らかの変更により可能にされてきたに違いない。
12:4.7 空間は、人間の観点からは、何でもない—消極的。それは、単に何か積極的なものと非空間的関連においてのみ存在している。しかしながら、空間は、実在する。それは動きを有し、動きを条件とする。それは動きさえする。空間の動きは、大まかに次のように分類できるかもしれない。
12:4.8 1. 第一の動き—空間呼吸、空間自体の動き。
12:4.9 2. 第二の動き—連続する空間段階の交互の方向性の揺れ。
12:4.10 3. 相対的な動き—それらが楽園を基点として評価されないという意味において相対的。第一の、そして、第二の動きは絶対的なもの、動かない楽園と関連した動きである。
12:4.11 4. 他のすべての動きを調整するように設計された補填的または関連する運動。
12:4.12 あなたの太陽とその関連惑星の現在の関係は、空間の相対的、かつ絶対的な多くの動きを明らかにするとともに、あなたが空間で比較的静止している間、あなたの計算が外空間へと進むにつれ、周囲の星の集まりと趨勢が、絶えず増加する速度で外への飛行に従事していると天文観察者へ印象を伝える傾向がある。しかし、そうではない。あなたは、すべての瀰漫空間の物理的創造の外向きの、均一的な現在の拡大を認識できていない。あなた自身の局部的創造(ネバドン)は、外への普遍的拡大のこの動きに参加する。7超宇宙全体が、主たる宇宙の外側の領域に伴う20億年の周期の空間呼吸に参加している。
12:4.13 宇宙が、拡大し収縮するとき、瀰漫空間の質量は、交互に、楽園引力に対し動き、また楽園引力の牽引力と共に動く。創造の物質エネルギー量を動かす際の仕事は、力-エネルギーの仕事量ではなく、空間の仕事量である。
12:4.14 あなたの宇宙速度の分光学的見積りは、かなり信頼できるとはいえ、あなたの超宇宙に属する星の世界とその仲間の超宇宙に適用されるとき、外空間の領域に関するそのような計算は、まったく当てにならない。スペクトル線は、標準周波から紫色に向かい迫りくる星により置き換えられる。同様に、これらの線は後退している星によって赤に向かって置き換えられる。多大の影響が、遠隔の宇宙の退出速度が100万光年の距離の増加ごとに秒あたり100マイル以上の速度で増加するかのように介入している。この計算方法によると、一層強力な望遠鏡の完成後には、これらのはるかに遠い体系は、宇宙のこの部分から秒あたり万マイル以上の信じられない速さで飛行しているかのようであろう。しかし、この外見上の退去の速度は本当ではない。それは、観測角度と他の時-空間の歪を含む数多くの誤りの要因から生じるのである。
12:4.15 超宇宙領域の隣接区域にある外空間の広大な宇宙は、壮大な宇宙のそれとは反対方向に回転しているらしいので、そのような歪の中で最大のものが生まれる。すなわち、これらの無数の星雲と付随する太陽、および球体は、現在、主要な創造の周りを時計回りに回転している。超宇宙は、反時計回りの方向に楽園の回りを回る。銀河の番目の外宇宙が、超宇宙のように楽園の周囲を反時計回りに循環しているように見える。そして、ユヴァーサの天文観察者は、時計回りの性質をもつ方向づけの傾向を見せ始めているはるか遠方の空間の番目の外帯における回転運動に関する証拠を発見すると考えている。
12:4.16 宇宙の連続的空間行列のこれらの交互の方向は、根源力の調整と空間緊張の均等化からなる宇宙の絶対者の主たる宇宙引力の方法内に何らかの関係がありうる。動きは、空間と同様に引力の補完、あるいは平衡である。
12:5.1 空間と同じく、時間は、同じ意味ではなく、間接的意味においてのみ、楽園の贈与である。心は本質的に連続性に気づいているので、時間は、動きの効力により生じる。実際的見地から、動きは時間に不可欠であるが、楽園-ハヴォーナの標準日が任意にそのように認識されていることを除いては、動きに基づく普遍的な何の時間の単位もない。空間呼吸全体は、時間の源としてその局所価値を打ち砕く。
12:5.2 空間は、楽園に起源をとるものの無限ではない。絶対的ではない。というのも、それは非特異絶対者により瀰漫しているので。我々は、空間の絶対的限界を知らないが、絶対段階の時間は永遠であることは知っている。
12:5.3 時間と空間は、単に時間-空間創造においてのみ、すなわち7超宇宙においてのみ切り離すことはできない。一過性の空間(時間のない空間)は、理論的に存在するが、唯一真に一過性である場所は、楽園領域である。無空間時間(空間のない時間)は、楽園段階で機能する心に存在している。
12:5.4 楽園に衝突する比較的動かない中央空間領域と非瀰漫から瀰漫を分離する空間は、時間から永遠までの遷移圏であり、それゆえ楽園公民に至ろうとしているとき、この通過の間に楽園巡礼者が無意識になる必要がある。時間-意識の訪問者は、このようにして眠らないで楽園に行くことができるが、時間の創造物のままでいる。
12:5.5 時間との関係は、空間での動きなしには存在しないが、時間の意識は存在する。連続性は動きがないときにさえ時間を意識化できる。人の心は、心の本来の本質ゆえに時間への束縛であるよりも空間への束縛である。肉体での地球生活の時代にさえ、人の心は厳密には空間への束縛であるが、創造的人間の想像には、相対的に時間に束縛されていない。しかし、時間自体は、本質的には心の特性ではない。
12:5.6 異なる時間認識の3段階がある。
12:5.7 1. 心で知覚される時間—持続時間の系列、動き、および感覚の意識。
12:5.8 2. 精霊に知覚される時間—神へ向かう動きへの洞察と増加する神性段階への上昇運動の認識。
12:5.9 3. 人格は、現実に関する洞察と、加えて臨場の意識と持続時間の認識からの独特の時間の感覚を創る。
12:5.10 精霊的でない動物は、過去だけを知り、現在に生息する。精霊-内住の人間には、先見(洞察)の力がある。精霊-内住の人間は、未来を想像するかもしれない。前向きで進歩的な態度だけが人格的に現実である。静的倫理と伝統的な道徳は、わずかに超動物である。禁欲主義も上位の自己実現ではない。倫理と道徳は、活動的で進歩的であるとき、宇宙現実は生き生きとして真に人間らしくなる。
12:5.11 人間の人格は、単に時間-空間-事象と共に進まない。人間の人格はまた、そのような事象の宇宙原因として機能することができるのである。
12:6.1 宇宙は非静止である。安定性は、慣性の結果ではなく、むしろ均衡のとれたエネルギー、協力的な心、協調的なモロンチア、精霊の総括的管理、および人格統一の成果である。安定性は、完全に、そして常に神性に比例している。
12:6.2 主たる宇宙の物理的制御にの目的で、宇宙なる父は、楽園の小島を通して優先と首位を執行する。神は、永遠なる息子の人格における宇宙の精霊的行政に関し絶対である。父と息子は、心の領域に関し、連合活動者において協調的に機能する。
12:6.3 第三根源と中枢は、宇宙心のその把握の絶対性による、また、本来の普遍的な物理的、精霊的引力の補足物の行使による均衡維持において支援し、結合された物理的で精霊的なエネルギーと組織の調整を支援する。物質的なものと精霊的なものの間の連携が起こるときはいつでも、どこでも、そのような心の現象は、無限の精霊の行為である。心だけが、物理的根源力と物質段階に属するエネルギーを精霊段階の精霊的な力と存在体とを相互に交わらせることができる。
12:6.4 宇宙現象についての全熟考において、あなたは、物理的、知的、かつ精霊的なエネルギーの相互関係を考慮に入れるということ、当然の考慮が、人格によるそれらの統一に伴う予期されない現象のために、そして、経験的な神格と絶対者の動作と反応から生じる予測できない現象のためになされるということを確実にしなさい。
12:6.5 宇宙は、量に関するあるいは引力測定の意味においてのみ大いに予測可能である。第一の物理的根源力でさえ、線引力に反応しないし、究極の宇宙の現実のより高い心の意味と真の精霊の価値をもたない。質的に、宇宙は原始力の、また物質的、心的か、それとも精霊的な新しいつながりに関し十分に予測可能である。エネルギー、または根源力の重要な観察に従うとき、そのような多くの組み合わせは、部分的に予測できるようになる。物質、心、および精霊が、創造物の人格によって統一されるとき、我々は、そのような自由意志の存在体の決定を完全に予測できるというわけではない。
12:6.6 原初の根源力、初期の精霊、他の非人格の究極の全局面は、特定の比較的安定した、だが未知の法に従って反応するようであり、限局性の、孤立状況の現象に遭遇する際にしばしば混乱している遂行の自由裁量と反応の順応性により特徴づけられる。これらの発現する宇宙の現状によって明らかにされる反応のこの予測できない自由に関する説明は何であるのか。原初の根源力の1単位の働き、心の未確認段階の反応、または外空間の領域における製作中の広大な前宇宙の現象に属すか否かに関係なく、これらの未知の、不可解な予測できないことは、おそらく究極者の活動と宇宙の全創造者の機能に先行する絶対者の臨場-遂行を明らかにする。
12:6.7 我々は実際には知らないが、そのような驚くべき多様性とそのような意味深い連携が、絶対の臨場と遂行を指し示しすということ、そして、明らかに一貫した原因に直面の際のそのような対応の多様性が、即座の、状況的因果関係ばかりではなく、主たる宇宙全体の中の他のすべての関連する原因にも絶対者の反応を明らかにすると憶測する。
12:6.8 個人には、それぞれの将来の目標の保護者がいる。惑星、体系、星座、宇宙、および超宇宙にはそれぞれが、その領域の利益のために働くそれぞれの支配者がいる。ハヴォーナと、また壮大な宇宙でさえ、そのような重い責任が委ねられるもの達により監視されている。しかし、誰が、楽園から4番目の、そして、最外部の空間段階までを全体として主たる宇宙を育て、その基本的な必要物の面倒を見るのか。実存的にはそのような過度の懸念は、おそらく楽園三位一体に起因しているが、経験的観点からは、後ハヴォーナ宇宙の外観は次に依存している。
12:6.9 1. 可能性における絶対
12:6.10 2. 方向への究極者
12:6.11 3. 進化的調和における崇高者
12:6.12 4. 特定支配者の出現前の行政における主たる宇宙の建築者
12:6.13 非特性絶対はすべての空間を瀰漫させる。我々は、神格と宇宙の絶対者の正確な状態に関し完全に明らかであるというわけではないが、神格と非特性絶対がどこで機能しようとも、後者の機能を理解している。神格絶対は、普遍的に臨場するかもしれないが、ほとんど空間臨場をしていないかもしれない。究極者は、第4の空間段階の外周縁への空間臨場をする、あるいは、いつかそうするであろう。我々は、究極者が主たる宇宙の外周を超えて空間存在をもつであろうということは疑うが、この限界の中で、究極者は次第に3絶対者の可能性への創造的な組織を統合している。
12:7.1 すべての時間と空間にわたり、また宇宙摂理の機能に同等である変えられない、しかも非個人的である類の法が、全現実にも作用している。慈悲は、個人に対する神の愛の態度を特づける。公平さは、全体に向けての神の態度を動機づける。神の意志は、部分—いかなる1人格の心—に必ずしも行き渡るというわけではないが、神の意志は実際に全体を、宇宙の中の宇宙を統治する。
12:7.2 神が全存在体を扱うすべてにおいて、本来、神の法は、気まぐれでないということは、本当である。限られた想像力と限りある見解をもつあなたにとっては、神の行為は独裁的で恣意的であるとしばしば思えるはずである。神の法は、単に神の習慣、神なりの繰り返のやり方である。神はいつも上手に全てのことをする。あなたは、単に、それが与えられた状況でその特定のことをする最良の方法であるがゆえに、神が、繰り返し、同じことを同様にするのを観測する。最良の道は正しい道であり、したがって、無限の知恵はその正確で完全な方法でそれをするようにいつも命令する。あなたは、自然は、神格の排他的な行為ではないということもまた覚えているべきである。他の影響は、人間が自然と呼ぶそれらの現象に臨場している。
12:7.3 いかなる類の劣化に耐えたり、または、劣った道において純粋にいかなる個人的行為の実行をつねに容認することは、神性にとってはいとわしい。しかしながら、もしいかなる局面の神性においても、いかなる状況の窮地においても、究極の知恵の進路が異なる行為の要求を示すかもしれないいかなる場合でも、—もし完全性への要求が、何らかの理由で反応の別の方法を、すなわちより良いものを必要とするかもしれないならば、直ちにその場で、すべてに賢明な神が、より良く、より適切なその方法で機能するということが明らかにされるべきである。それは、低級の法の反転ではなく、より高い法の表現である。
12:7.4 神は、自身の自発的行為反復の慢性への習慣に拘束される奴隷ではない。無限者の法の中には何の不一致もない。それらはすべて、絶対確実な本質に属する完全な物である。それらはすべて、完璧な決定を表す疑いのない行為である。法は、無限の、そして、完全かつ神性の心の変らない反応である。この見かけの同一性にもかかわらず、神の行為はすべて意志である。神には、「可変性もなければ変化の影もない」。しかし、宇宙なる父について言うことができるこのすべてを宇宙なる父のすべての下位の有識者あるいは進化する創造物について等しい確実性をもって言うことはできない。[1]
12:7.5 神は不変であるがゆえに、あなたは、すべての普通の情況において、同一かつ通常の方法での神の同じ行為を頼みとすることができる。神は、すべての創造事象と存在体のための安定性確保である。彼は神である。それゆえ、変化しない。[2]
12:7.6 行為のこの不変と動作の一様性のすべては、偉大な神が自身の完全性と無限への無力な奴隷でないがゆえに、人格的で、意識的で、非常に意志的である。神は自らの-行為の自動根源力ではない。神は卑屈な法-束縛の力ではない。神は数学の方程式でも化学式でもない。神は自由意志の、そして、第一の人格である。神は宇宙なる父であり、つまり人格で溢れるほどに満たされた存在体であり、すべての創造物の普遍の泉である。
12:7.7 神の意志は、神を探求する物質の必滅者の心に一様には行き渡らないが、時間枠が最初の人生全体を迎え入れる瞬間を越えて拡大されるならば、神の意志は、精霊に導かれた神の子らの人生において結ばれる精霊の果実の中でますます認識できるようになる。次に、人間の生命がモロンチア経験を盛り込むためにさらに拡大されるならば、人間の人格と宇宙なる父の人格との関係を経験している神性の喜びを味わい始めた時間の創造物の精霊化行為において、ますます輝く神性の意志が観測される。
12:7.8 神の父の地位と人の兄弟の間柄は、人格の段階における部分と全体の矛盾を提示する。神は天の家族の個々の子として各個人を愛する。なおかつ、神は、こうして、それぞれの個人を愛している。神は人々を差別する方ではないし、神の愛の普遍性は、全体の関係を、宇宙の兄弟を生み出す。[3]
12:7.9 父の愛は、宇宙なる父の他に類のない子供、無限における複製なしの子供、すべての永遠において意志をもつ置き換えられない創造物として、各人格を絶対的に個人化する。父の愛は、天の家族の一人一人を照らし、すべてものの父の友愛の回路外にある非個人的な段階に対し、それぞれの人格存在体の独特な本質をはっきりと浮かび上がらせて神の子の一人一人を賛美する。神の愛は、意志をもつ各創造物の超越的価値を際立たせて描く、すなわち、宇宙なる父が、時間と空間の何らかの進化世界における人類の夜明けの中の人間の未開部族の中にいる品位ある意志の最も低い人格までの一人一人の子供に置いた高い価値を明らかにする。
12:7.10 個人への神の他ならぬこの愛が、神性家族、つまり楽園の父の自由意志の子の普遍的な兄弟を生む。そして、この兄弟が、つまり普遍的であることが、全体の関係というものである。兄弟は、普遍的であるとき、それぞれの関係ではなく、すべての関係を明らかにする。兄弟とは、全体の現実であり、したがって、部分の質に対照して全体の質を明らかにする。
12:7.11 兄弟は、普遍的生活におけるあらゆる人格との関係事実を構成する。何人も、他の人々との関係の結果として来るかもしれない利益、あるいは刑罰から逃がれることはできない。部分は、全体よりも幾分か利益を得たり、あるいはは苦しんだりする。それぞれの人間の良い努力はすべての人のためになる。それぞれの人間の誤り、あるいは悪は、すべての人の苦難を増大させる。部分が動くように、全体も動く。全体が進歩するように、部分も進歩する。部分と全体の相対的速度が、部分が全体の慣性により遅らせるか、または宇宙の兄弟の勢いにより進展させるかどうかを決定する。
12:7.12 神が、居住本部をもつ非常に人格的自意識の強い存在体であり、同時にそのような広大な宇宙の中に人格的に臨場し、ほとんど無限の数のそのような存在体と人格的に接触するということは神秘である。そのような現象は人間の理解を超える神秘であるということが、あなたの信仰をいささかなりとも減じるべきではない。神の無限の大きさ、永遠の広大さ、無比の特徴の壮大さと栄光であなたを威圧させたり、または、動揺せたり、落胆させてはいけない。父はあなた方の誰からもそれほど遠くないところにいるのであるから。神はあなたの中に住まい、また我々は皆、神の中に、文字通り動き、実際に生き、本当に存在している。[4][5]
12:7.13 楽園の父は、神性の創造者と非創造の子供を通して機能するが、あなたとの最も親密な内面的接触をよろこび、とても崇高で、とても非常に人格的でありがゆえに、私の理解が及ばないほどである。—人間の魂との、そして、その実際の内住する人間の心との父の断片のその神秘的親交。あなたは、神のこれらの贈り物について自分がすることを知っているので、父が神性の仲間だけではなく、時間の進化する人間の子供との親密な接触にいるということもまた知っている。父は本当に楽園に住むが、神々しい臨場もまた人の心に住んでいる。
12:7.14 父は確かに楽園に留まりはするが、その神性臨場もまた人間の心の中に住んでいる。息子の精霊が、すべての人間に注がれてはいるにしても、息子が、かつて人間の姿で貴方と共に生きていたとしても、熾天使が、あなたを守り導くとしても、第二と第三根源の中枢のこれらの神性存在体の誰とても、あなたを本物かつ神性である自己に、永遠でさえある自己にするためにあなたの中に自分の一部を与えた父と同じほどにあなたに完全に近づいたり、理解することをほんとうに望むことができようか。
12:8.1 「神は精霊である」が、楽園はそうではない。物質的宇宙は、つねにそこですべての精霊的活動が営まれる活躍の舞台である。精霊存在体と精霊上昇者は、物質的現実の物理的球体に生きて働く。[6]
12:8.2 宇宙根源力の贈与は、宇宙引力の領域は、楽園の小島の機能である。最初の全原始力-エネルギーは、楽園に始まり、明かされてはいない宇宙の形成のための物質は、現在、瀰漫された空間の根源力-補填を構成する超引力臨場の型の中にある主たる宇宙全体を循環する。
12:8.3 遠隔宇宙における根源力の変容が何であろうとも、それは、永遠の小島の終わることのない、遍在の、絶えることない牽引力の影響下に旅を続け、従順に、本来的に宇宙の永遠の空間軌道の周りを永久に揺れ続けている。物理エネルギーは、普遍的な法に対してのその服従において真実かつ不変な一現実である。創造物の意志の領域にのみ神性の道と最初の計画からの逸脱があった。力とエネルギーは、楽園の中央の小島の安定性、不変性、永遠性の宇宙の証拠である。
12:8.4 精霊の贈与と人格の精霊化は、精霊引力の領域は、永遠なる息子の領域である。全精霊的現実をつねに自分に引きつけている息子のこの精霊引力は、楽園の小島の全能の物質的把握とまったく同様に本当であり、絶対である。しかし、物質志向の人間は、魂の精霊的洞察だけで明察される精霊的本質の等しく真実であり強力である操作よりも物理的本質の物質顕現に当然ながらより慣れ親しんでいる。[7]
12:8.5 宇宙のいかなる人格の心がいっそう精霊的に—神のように—なるにつれ、それは物質的引力にあまり反応的でなくなる。物理的-引力反応により測定される現実は、精霊内容の質により決定される現実の正反対である。物理的-引力の働きは、非精霊エネルギーの量的決定者である。精霊的-引力の働きは、神性の生きたエネルギーの質的基準である。
12:8.6 身体創造にとっての楽園が、そして、精霊的宇宙にとっての永遠なる息子が、心の領域—物質の、モロンチアの、そして精霊の、存在体と人格の知的な宇宙--にとっての連合活動者である。
12:8.7 連合活動者は、物質的現実と精霊的現実の双方に反応し、したがって、本質的に、すべての知的な存在体、創造の有形無形双方の局面の統一を代表するかもしれない存在体にとっての普遍的聖職活動者になる。知力の賦与、心の現象における物質的なものと精霊的なものへの活動は、連合活動者の専属領域である。連合活動者は、こうして精霊的な心の連携者、モロンチアの心の本質、時間の進化的創造物の物質的な心の本質になる。
12:8.8 心は、創造物人格にとり精霊現実が経験になる手法である。帰するところ、人間ですらの心の統一の可能性、すなわち、物、思考、価値を調整する能力は、超物質である。
12:8.9 人間の心にとり、7段階の相対的宇宙現実を理解することはほとんど不可能であるが、人間の知力は、有限現実の3機能段階の意味の多くを理解できるはずである。
12:8.10 1. 物質。動きにより変更され、心により条件づけられていることを除いては、線引力の影響下にある組織化されたエネルギー。
12:8.11 2. 心。物質的引力をまったく受けることがなく、また精霊により変更されると寸部たがわず解放されるようになる組織化された意識。
12:8.12 3. 精霊。最高の人格的現実。真の精霊は、物理的引力に支配されはしないが、いずれは、人格尊厳のすべての発展的エネルギー体系を動機づけの影響を与える。
12:8.13 すべての人格の生活目標は、精霊である。物質的顕現は相対的であり、宇宙心は、これらの普遍的な反対物の間に入ってくる。心の贈与と精霊の援助は、神格の仲間の人格の、つまり無限の精霊と永遠なる息子の仕事である。総神格の現実は、心ではなく、人格により統一される精霊-心—心-精霊である。それにもかかわらず、精霊的領域と物質的領域双方の絶対的なものは、宇宙なる父の人格に収束する。
12:8.14 物理的、心的、精霊的3エネルギーは、楽園において調和している。精霊が、心の仲介を経て、支配を求めて努力している人格の中を除いては、進化宇宙においてエネルギー-物質は、優位である。精霊は、神が精霊であるので、すべての創造物の人格経験の基本的現実である。精霊は不変であり、そのために、すべての人格関係において、それは心と物質の両方を超える。心と物質は進歩的到達の経験上の変化するものである。[8]
12:8.15 宇宙発展における物質は、神性啓発の精霊光輝の臨場における心の哲学的な影になるが、これは物質-エネルギーの現実を無効にはしない。心、物質、精霊は、どちらも本物であるが、それらは、神性到達における人格には等しい価値はない。神性への意識は、進歩的な精霊経験である。
12:8.16 精霊化された人格(宇宙の中の父、個々の創造物の中の精霊の潜在的人格の断片)の輝きが明るければ明るいほど、その物質的投資への介入する心により投げかけられる影はますます大きい。時間の世界においては、人の肉体は、心あるいは精霊とまったく同様に本物であるが、死においては、心(同一性)と精霊の両方は生き残るが、肉体は生き残らない。宇宙の現実は、人格経験においては実在しない場合がある。したがって、あなたのギリシア的表現—より現実的な精霊の実体の影としての物質—には、哲学的な意味がある。
12:9.1 精霊は、宇宙における人格の基本的現実であり、人格は、精霊的現実との全進捗経験の基本である。宇宙前進のあらゆる連続段階上の人格経験の全局面には、人格の現実を魅惑する発見の手がかりが溢れている。人の本当の目標は、新の、また精霊的目標の創造にあり、次いで非物質価値のそのような崇高的目標からくる宇宙誘惑への応答にある。
12:9.2 愛は、人格間の有益なつながりの秘訣である。あなたは、一度の接触から人を本当に知ることはできない。音楽は数学的リズムの型ではあるが、あなたは数学的演繹法で音楽を鑑賞的に知ることはできない。電話加入者に割り当てられる番号は、いかなる方法でも加入者の人格を識別したり、その加入者の性格に関する何も表しはしない。
12:9.3 数学は、物質科学は、宇宙の物質局面の知的な議論に不可欠であるが、そのような知識は必ずしも真実の、 より高い実現、もしくは精霊的現実の人格的評価の一部であるというわけではない。生命の領域だけではなく、物理エネルギーの世界においてさえ、つ以上の合計物は、しばしば、そのような結合の予測可能な付加的結果以上の何かである。数学の科学全体、哲学の全領域、最高の物理学または化学は、個のガス状酸素原子との個のガス状水素原子の結合が、新たな質的に超添加物質—液体水—をもたらすであろうということを予測できなかったし、知り得なかった。この生理化学現象に関し理解する知識は、唯物論的哲学と機械学的宇宙の開発を防ぐべきであった。
12:9.4 技術的分析は、人、あるいは物ができ得ることを明らかにはしない。例えば、水は、消火に有効に用いられる。水が火を消すのは、日常体験の事実であるが、水のいかなる分析もそのような性質を明らかにするすることができない。分析は、水が水素と酸素で構成されるということを究明する。これらの要素に関する一層の研究は、酸素が燃焼の真の担い手であり、水素はそれ自体が、自在に燃えるということを明らかにする。
12:9.5 あなたの宗教は、恐怖への奴隷状態と迷信の束縛から生じているので現実となるのである。あなたの哲学は、教義と伝統から解放を得ようと苦心する。あなたの科学は、抽象化への束縛、数学への奴隷状態、および機械学的唯物論への部分的盲目からの救出のために戦うとともに、真実と誤りの間の長年の争いを繰り広げている。
12:9.6 人間には、精霊の核がある。心は、神性精霊の核周辺に存在する物質的環境で機能する人格エネルギー体系である。人格的な心と精霊とのそのような生きた関係は、永遠の人格の宇宙の可能性を構成する。自己概念が、中心的精霊の核の支配的な力を完全に置換し、その結果、人格同一性の宇宙計画を混乱させると、その後に深刻な問題、持続する失望、重大な敗北、または不可避の死に道を開くことになる。
12:9.7 [日の老いたるものの権威で行動する英知の遂行者による提示]