166:0.1 2月11日から20日まで、イエスと12人は、アブネーの仲間と女性団員が働いていた北ペライアの全町村を旅した。彼らにはこれらの福音の使者が成功を収めていることが分かり、イエスは、王国の福音が奇跡と驚きの付属物なしで広がることができるという事実に注意を払うように繰り返し使徒を促した。
166:0.2 ペライアでの3カ月のこの全任務は、12人の使徒の助けをほとんど受けずに首尾よく運ばれ、福音は、これ以後、あまりイエスの人格ではなく、その教えとして反映した。しかし、追随者は、イエスの死と復活直後、イエスの教えから離れ、奇跡の概念と神・人間の人格の賞賛された記憶を中心に初期の教会の建設を始めたので、長くはその教えに従わなかった。
166:1.1 2月18日、安息日に、イエスは、ラガバにいた。そこにはナサナエルという裕福なパリサイ派に属する人が住んでいた。そして、パリサイ派の仲間が、国中をイエスと12人の後を追けていたので、ナサナエルは、この安息日の朝、数にしてほぼ20名全員のために朝食を作り、イエスを主賓として招待した。[1]
166:1.2 イエスがこの朝食に到着するまでには、大部分のパリサイ派が、2人か3人の律法の専門家と共に既にそこにおり、食卓についていた。あるじは、手を洗いに水盥のところへは行かずに、すぐにナサナエルの左側の席についた。パリサイ派の多くは、特にイエスの教えを好ましく思う者達は、イエスが清潔の目的のためにだけ手を洗うことを、すなわち単なる儀式的な履行を嫌っているということを知っていた。従って、イエスが手を二度洗わずに直接食卓に来ても驚きはしなかった。だが、ナサナエルは、パリサイ派の厳しい習慣を満たすことへのあるじのこの不履行に衝撃を受けた。イエスは、パリサイ派のように料理の各コースの後と食事の終わりにも手を洗わなかった。[2]
166:1.3 ナサナエルと友好的でないパリサイ派の間でのかなりのひそひそ話の後、また、反対側に座る者達がひどく眉を上げたり嘲笑って唇をゆがめている後に、イエスは遂に言った。「私は、あなたが、私と食事をし、神の王国の新しい福音の宣言に関しておそらく私に質問するためにこの家に招待したと思っていた。しかし、あなたは、自分の独善への傾倒の儀式を披露するのを目撃させるために私をここに連れて来たと見受ける。あなたは、今私にその努力をしてくれたのだが、客としての私に今度は何で敬意を表してくれるのであろうか。」
166:1.4 あるじがこのように話すと、皆は、食卓の上に目を落とし黙ったままでいた。そして、誰も話さないので、イエスが続けた。「あなた方パリサイ派の多くは、友人として私とここにおり、何人かは私の弟子でさえあるが、パリサイ派の大多数は、福音の仕事が偉大な力を彼らの前にもたらしているときでさえも、光を見て、真実を承認することを頑固に拒否している。精霊的な糧の器が不潔で汚れているのに、あなたは、何と慎重に杯や皿の外側を洗うことよ。人々に敬虔で信心深い外観を確実に提示しようと努めているが、あなた方の内側の魂は、独善で、欲張りで、強要的で、そしてあらゆる種類の精霊的な邪悪で満たされている。あなた方の指導者は、敢えて人の息子の殺害さえ企んでいる。あなた方愚かな人々は、天の神が、外側の見せかけとその信心ぶった職業だけでなく、魂の内側の動機も見るということを理解しないのか。布施の付与と十分の一税の納入が、不公正から清めたり、万人の審判官の面前で汚れがなくあなたが立つことを可能にすると考えてはいけない。忌まわしいものだ、命の光の拒絶に固持してきたパリサイ派。あなたは、十分の一税に非常に注意深く、また施しにおいては仰々しいが、故意に神の訪問を拒み、その愛の顕示を拒絶する。あなたが、これらの軽い義務への注意を払うのは問題ないが、これらのより重大な要件を放っておくべきではなかった。忌まわしいものだ、正義を避け、慈悲を拒み、真実を拒絶する全ての者は。忌まわしいものだ、会堂で主要な席を求め、市場で媚びの挨拶を切望しつつ父の顕示を侮る全ての者は。」[3][4][5][6][7][8]
166:1.5 イエスが去るために立ち上がろうとすると、食卓にいた律法学者の一人が言った。「しかし、あるじさま、あなたの声明の幾つかにおいて、あなたは、我々をも非難しています。筆記者にも、パリサイ派にも、律法の専門家にも何も良いものはないのですか。」すると、イエスは、立ち上がって律法学者に答えた。「あなたは、パリサイ派のように、人の肩に耐えがたい重荷を負わせながら、祝宴においては良い席、また長い礼服を着て大喜びしている。そして、人々の魂がこれらの重荷の下でたじろいでいるとき、あなたは、指の1本で持ち上げようとさえしない。忌まわしいものだ、あなた方の祖先が殺した予言者のための墓を建てることを大変楽しんでいるあなた方は。そして、予言者達がその時代にしたこと—神の正義を宣言し、天なる父の慈悲を明らかにすること—を今日しにきた者達をあなた方が今殺そうと計画するとき、あなた方は、祖先のしたことに同意しているということを明らかにしているのである。しかし、すべての過去の世代のうち、この片意地で独善的な世代の予言者と使徒の血の責任が、問われるであろう。忌まわしいものだ、世間の人々から知識の鍵を取り上げたあなた方全律法学者は。あなた自身は、真実の道へ入ることを拒否するばかりか、同時に、そこに入ろうとする他の全ての者を妨げようとしている。だが、あなた方は、そのようにして天の王国の戸を閉ざすことはできない。我々が入る信仰を持つすべての者にこれらの戸を開いてきており、これらの慈悲の入り口は、外部は美しく見えるが、内部は死人の骨とあらゆる精霊的に汚れたもので一杯の白く塗られた墓のような偽の教師と不実の羊飼いの偏見と傲慢さによって閉ざされることはない。」[9][10][11][12]
166:1.6 そして、イエスは、ナサナエルの食卓で話し終えると、食事の相伴をすることなく家を出た。また、これらの話を聞いたパリサイ派のうち何人かは、イエスの教えの信奉者になり王国入りをした。しかし、大半の者は、エルサレムのシネヅリオン派の前に審理と判決の連れ出しに用いることができる幾つかのイエスの言葉が得られるかもしれないと、尚更に暗黒の道で待ち伏せすることに固執するようになった。[13]
166:1.7 パリサイ派が特別の注意を向けたまさに3事項があった。
166:1.8 1. 厳しい十分の一税の実行
166:1.9 2. 浄めの法への綿密な遵守
166:1.10 3. すべての非パリサイ派との交流の回避
166:1.11 非パリサイ派との社交の拒絶を叱責するために考案された意見をこれらの同じ手勢の多くと再び食事するその後の別の機会まで留保しながらも、イエスは、このとき、最初の2つの慣習における精霊的な不毛を暴こうとしたのであった。
166:2.1 その翌日、イエスは、12人とサマリア境界近くのアマススへ行った。町に近づこうとしているとき、かれらは、この場所近くに滞在している10人の癩病の一団に遭遇した。このうちの9人は、ユダヤ人で、1人はサマリア人であった。通常これらのユダヤ人は、このサマリア人とのすべての交際や接触を控えたのでろうが、彼らの共通の苦悩は、全ての宗教的な偏見を封じるには十分過ぎるほどのものであった。イエスとその早期の治癒の奇跡について多く聞いており、また70人が、12人とのこれらの巡歴中のイエスの予定された到着時を発表する習わしにあったので、10人の癩病人は、彼がこの頃この付近に現れる予定であると気づいていた。そこで、かれらは、イエスの注意を引き、治療を求めて、町の郊外のここに居場所を定めていた。癩病人は、イエスが自分達に近づいてくるのを見て、彼には、敢えて近づこうとはせず遠くに立って哀訴した。「あるじさま、慈悲をお示しください。私達の苦悩からお浄めください。他の人々に癒したように、私達を癒してください。」[14]
166:2.2 イエスは、ちょうどこの時、より正統的で、その上、伝統の束縛を受けたユダヤのユダヤ人達よりも、何故、ペライアの非ユダヤ人が、あまり正統でないユダヤ人と共に70人の説教による福音を進んで信じたがっているかを12人に説明していた。かれは、70人の知らせが、同様にガリラヤ人に、そしてサマリア人にさえ、より容易に受けいれられたという事実に注意を促した。しかし、12人の使徒は、長く軽蔑されてきたサマリア人に対してまだ親切な感情を抱くまでには至っていなかった。
166:2.3 このため、シーモン・ゼローテースは、癩病人の中のサマリア人を見ると、癩病人との挨拶を交わさないことに躊躇いもせず、あるじを町へと通り過ぎさせようとした。イエスは、シーモンに言った。「しかし、ユダヤ人が神を愛するように、サマリア人が神を愛しているとすればどうなのか。我々は仲間を裁かなければならないのか。誰が言えるのか。我々がこれらの10人の男性を癒すなら、恐らく、サマリア人は、ユダヤ人よりもずっと感謝するであろう。シーモン、自分の意見に確信があると感じるか。」そこで、シーモンは、「あなたが彼等を浄めれば、すぐに分かることです。」と即答した。するとイエスは、「その筈であろう。シーモン、君にはすぐ、人の謝意と神の情愛深い慈悲に関して真実が分かるであろう。」と答えた。
166:2.4 イエスは癩病人に近づいて言った。「もし癒されたいならば、モーシェの法に要求されているように、直ちに聖職者のところに行き、見てもらいなさい。」すると病人達は、行く間に癒された。しかし、自分が癒されていると分かると、サマリア人は、後戻りをしてイエスを探しに行き、大声で神を賛美し始めた。そして、あるじを見つけると、かれは、その足元に跪き、浄めのために感謝をした。他の9人のユダヤ人も、自分達の回復に気づき、浄めを大変有難く思ったが、聖職者に会いにいく道中を続けた。[15]
166:2.5 サマリア人が依然としてイエスの足元に跪いていると、あるじは、12人を見渡し、特にシーモン・ゼローテースに言った。「10人が浄められたのではなかったか。では、どこに他の9人、ユダヤ人はいるのか。ただ1人、この異国人だけが、神を称えに戻ってきた。」それからかれは、サマリア人に「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを癒したのである」と言った。[16]
166:2.6 この余所者が出立すると、イエスは、再び使徒達を見た。伏し目のシーモン・ゼローテースを除く使徒は皆、イエスを見た。12人は一言も言わなかった。イエスも話さなかった。イエスが話す必要はなかった。
166:2.7 これら10人の男性の全員は、共に癩病に掛かっていると本当に信じていたが、4人だけがこのように苦しめられていた。他の6人は、癩病と間違えられた皮膚病が治されたのであった。しかし、サマリア人は、本当に癩病に掛かっていた。
166:2.8 イエスは、12人に癩病患者の浄めに関して何も言わないように言いつけ、アマススへと進みつつ言った。「家の子供が、父の意志に反抗的なときでさえも、自分達の恩恵をいかに当然のこととして受け止めるかが君達には分かる。父からの治療の施しに感謝を忘れても、かれらは、それが大したことではないと考えるのだが、知らない人達が、家長から贈り物を受けるとき、かれらは、驚きに満ち、授けられた良いことを認めて感謝を捧げずにはいられないのである。」それでも、使徒は、あるじの話の答えには何も言わなかった。
166:3.1 イエスと12人が、ゲラーサで王国の使者達と雑談したとき、イエスを信じるパリサイ派の一人がこう質問をした。「主よ、本当に救われるのは僅かの者ですか、多くの者ですか。」そこで、イエスは答えて言った。[17]
166:3.2 「あなたは、アブラーハームの子供だけが救われると、非ユダヤ人の改宗者だけが救済を期待することができると、教えられてきた。エジプトから出た全ての大群の中からカーレブとヨシュアだけが、約束の地に入るために生きたと聖書に記録があるので、あなた方の一部は、天の王国を探す人のうち比較的少数の者だけが、そこへの入り口を見つけると推論してきた。[18]
166:3.3 「あなた達にはもう一つ言い伝えがあり、それには多くの真実がある。永遠の命へと導く道は、真っ直ぐで狭く、そこへ導く戸は、同様に狭いがゆえに、救済を求める人々の僅かな者しか、この扉の入り口を見つけることはできない。あなた達には、破壊につながる道は広く、そこへの入り口は広く、この方向に行くことを選ぶ多くの者がいるという教えもまたある。そして、この諺には意味がある。しかし、私は、救済は、まずあなたの個人的な選択の問題であると断言する。たとえ命への戸は狭くても、それは、切に入ろうとする者すべてを受け入れるには充分に広い、私がその戸であるから。そして、息子は、信仰によりその息子を通して父を見つけようとする宇宙の一人の子に対しても入国を決して拒絶はしない。[19][20]
166:3.4 しかし、未熟な快楽を追求し、利己主義を満足させ続けている間、王国への入国を引き延ばそうとしている全ての者に対する危険性がここにある。精霊的な経験として王国に入ることを拒否した後で、より良い道の栄光が明らかにされるようになるとき、彼らは、その後そこへの入り口を探すかもしれない。それ故、私は、私が人間の姿でやってきた時に王国を拒んだ人々が、神性の姿で王国が顕れるや、そこへの入り口を探そうとするそのような利己的な全ての者にその時に言うつもりである。私は、あなたがどこから来たのか知らない。あなたには、この天の公民の身分に備える機会があったが、慈悲が差し出すそのような全てを拒否した。あなたは、開戸されている間、すべての招待を拒絶した。今、救済を拒否したあなたへの戸は閉ざされている。この戸は、利己的な栄光のために王国に入ろうとする人々に開かれてはいない。救済は、父の意志を為すことへの心からの献身の代価を進んで支払わない人々のためのものではない。私は、あなたが父の王国に精霊と魂で背いてしまい、心身でこの戸の前に立ち、その戸を叩き、「主よ、開けてください。我々も王国で卓越したいのです。」と言っても、それは無駄である。私は、その時、お前は私の囲いの者ではないと断言する。私は、信仰において善戦し、地球の王国での寡欲の奉仕への報酬を得た人々の間にあなたを受け入れるつもりはない。また、あなたが、『私達はあなたと共に飲食しませんでしたか、あなたは、私達の大通りで教えられはしませんでしたか。』と言うとき、私は、あなたを精霊的に知らない人であると、すなわち、我々は、地球での父の慈悲の活動においての召使いの仲間ではなかったと言うであろう。そして、私は、あなたを知らないと、またしてもはっきりと言う。そこで、全地球の審判官が、『我々から立ち去りなさい。不正の働きを楽しんだすべての者達よ。』とあなたに言うであろう。[21][22][23][24]
166:3.5 「恐れるでない。神の王国への入国により永遠の命を見つけることを心から望む凡ゆる者は、そのような永遠の救済を確かに見つける。しかし、この救済を拒否するあなたは、いつか、アブラーハームの種子の予言者達が、この栄えある王国で命の糧を分け合い、命の水で元気を回復するために非ユダヤ人の国の信者と共に座るのを見るであろう。そして、精霊的な力で、そして生ける信仰の不断の強襲によって王国をこのように受け入れる者は、東西南北から来るであろう。そして、見よ、最初の多く人の人々が、後になり、最後の人々が、多くの場合先になるのである。」[25][26]
166:3.6 これは、本当に、正道の暮らし方に言い及ぶ、古くて身近な諺の新しく馴染みのない解釈であった。
166:3.7 ゆっくりと、使徒と弟子の多くは、イエスの「再度生まれ精霊から生まれない限り、神の王国に入ることはできない。」という早期の宣言の意味を学んでいた。それにもかかわらず、心が正直で信仰に誠実であるもの全てにとり、それは、永遠に真実のままである。つまり、「視よ、私は、人の心の戸に立って叩いており、もし誰かが私に向かって戸を開けるならば、入っていって夕食を共にし、その人に命の糧を食べさせるつもりである。このようにして、我々は、目的において精霊と1つであり、楽園の父の長く実り多い探求活動において、我々は常に同胞である。」ということである。したがって、少数の者、あるいは多数の者が救われることになっているかどうかは、要するに、少数の者、あるいは多数の者が、「私は戸である、私は新しい、そして生ける道であり、永遠の命のための終わり無き真実探求へと乗り出すことを望む者は誰でも、入ることができる。」という招待を意に介すかどうかによるのである。[27][28][29][30][31]
166:3.8 使徒でさえも、肉体的的な抵抗を切り抜ける目的のために精神力を行使することや、神の解放された息子としての新しい人生のすべての重要な精霊的な価値を把握するための道に偶然に立塞がるかもしれないあらゆる世俗的な障害を乗り越えるための必要性に関わる彼の教えを完全に理解できなかった。
166:4.1 ほとんどのパレスチナ人が1日当たり2食だけをとったが、旅行中、正午にも休息と軽い飲食のために止まるのがイエスと使徒の習慣であった。そして、トーマスがイエスに尋ねたのは、フィラデルフィアへの途中でのそのような正午の休息の時であった。「あるじさま、私は、今朝の道中であなたの解釈を聞いてから物質界の奇妙で並はずれた出来事の創作において精霊的な存在体に関わりがあるかどうか、さらには、天使や他の精霊の存在体が事故を防ぐことができるかどうかお尋ねしたいのです。」
166:4.2 トーマスの問いに答えてイエスは言った。「非常に長いあいだ一緒にいたのに、まだそのような質問をし続けるのか。人の息子が、あなたとともに生きる者として、いかに一貫して個人の糧のために天の力を使うことを拒否するかを注意して見てはこなかったのか。我々は皆、すべての人が存在するのと同じ手段で生きてはいないのか。父の顕示と彼の苦しめられている子供の時折の治癒を除き、精霊界の力が現世の物質的な生活の中に明らかであるの君にはわかるか。
166:4.3 「あまりにも長い間、あなたの祖先は、繁栄は神の承認の印であると、逆境は神の不満の証である、と信じてきた。私は、そのような信心は迷信であると断言する。あなたは、はるかに多くの貧者が、嬉々として福音を受け入れ、すぐに王国に入っているのを見てはいないのか。もし富が神の好意を明示するならば、なぜ金持ちは、それほどまでに幾度となく天国からのこの朗報を信じることを拒否するのか。
166:4.4 「父は、正なる者にも不正なる者にも雨を降らせる。太陽は、義なる者をも不義なる者をも同様に照らす。君は、ピラトゥスが、その血を生贄の血と混ぜたそれらのガリラヤ人のことを知っているが、これが彼らに起きたからといって、どう見ても仲間のガリラヤ人の誰よりもも罪人であるとはいえないと言っておく。君は、シロアーの塔が、頭上に落ちて死んだ18人の男のことも知っている。このように滅ぼされたこれらの人が、エルサレムのすべての同胞以上に罪人であると思ってはいけない。これらの人々は、時間の偶然の事故の単なる犠牲者に過ぎない。[32][33]
166:4.5 君の人生で起こるかもしれない3種類の出来事がある。
166:4.6 1. 君は、あなたと仲間が地球上で送る生活の一部であるそれらの通常の出来事を経験するかもしれない。
166:4.7 2. そのような出来事が、いかなる場合にも決して前もって手はずを整えられたり、領域の精霊の力によってもたらされないということをよく承知してはいるが、君は、偶然に自然の出来事の1つの、人の不運の1つの犠牲となるかもしれない。
166:4.8 3. 君は、世界を定めている自然の法則に従う直接の努力の収穫をするかもしれない。
166:4.9 自分の庭園にイチジクの木を植えた人がいて、何度もその木に実を探したが見つからず、自分の元にブドウの園丁を呼んできて、『わしは、3年間も実を探しにここに来たが、今だに見当たらない。実を結ばないこの木を切り倒してしまえ。なぜ土地をふさがなければならないのか。』と言った。すると、園丁長は、主人に答えた。『もう1年そのままにしておいてください。その周りを掘って肥料をやってみますから。そうして、もし来年実をつけなければ切り倒しましょう。』そこで、結実の法則に従ったところ、木が生きていたので豊作で報われた。[34]
166:4.10 「病と健康に関しては、これらの身体の状態が、物質的な原因の結果であることを知るべきである。健康は、天国の微笑ではなく、苦悩は、神の渋面でもない。
166:4.11 「父の人間の子には、物質的な恩恵の授与に等しい能力がある。だからこそ、かれは、物理的なものを人の子に差別なく賦与するのである。精霊的な贈り物の賦与に関しては、父は、これらの神の資質を受理する人の能力に制限される。父は、人を分け隔てはしないが、精霊的な贈り物の賦与においては人の信仰と、常に父の意志を守る意欲に制限されている。」[35]
166:4.12 イエスは、フィラデルフィアへの旅を続けながら、事故、病気、奇跡について教え、質問に応じ続けたが、かれらは、この教えを完全には理解することができなかった。1時間の教育は、生涯の信念を完全には変えないので、イエスは、彼等が理解してくれるように願っていると再三伝えることが、つまり、自分の言葉を繰り返すことが必要であると認識した。それでも、かれらは、死と復活の後までイエスの地球での任務の意味を理解することができなかった。
166:5.1 イエスと12人は、フィラデルフィアで説教し、教えているアブネーとその仲間を訪問する途中であった。ペライアの全都市のうち、フィラデルフィアのユダヤ人と非ユダヤ人の最大の集団は、富者も貧者も、学問のある者も無い者も、70人の教えを迎え入れ、その結果、天の王国入りをした。フィラデルフィアのユダヤ教の会堂は、エルサレムのシネヅリオン派の管理に服従したことがなく、因ってイエスとその仲間の教えに対しても一度も閉ざされたことがなかった。丁度この時、アブネーは、フィラデルフィアのユダヤ教の会堂で1日3回教えていた。
166:5.2 まさしくこの会堂が、後にキリスト教会となリ、福音の東部地域全体の普及のための伝道本部であった。それは、長い間あるじの教えの拠点であり、キリスト教学習の中心として何世紀もにわたりこの地域にただ一つぽつねんと立っていた。
166:5.3 エルサレムのユダヤ人は、常にフィラデルフィアのユダヤ人と揉めてきた。また、イエスの死と復活後、主の弟ジェームスが長であったエルサレム教会には、フィラデルフィアの会衆に伴う重大な困難が起こり始めた。アブネーは、フィラデルフィア教会の長となり、また死ぬまでそうであった。エルサレムとのこの疎遠が、なぜ新約聖書の福音書の記録にアブネーとその仕事について伺い知ることが何もないかを説明しているのである。エルサレムとフィラデルフィアとのこの不和は、ジェームスとアブネーの生涯を通じて持続し、エルサレムの破壊後にもしばらく続いた。アンチオケが北と西の本拠地であったように、フィラデルフィアは、実際上、南と東での初期の教会本部であった。
166:5.4 初期キリスト教会の指導者全員との不一致は、アブネーにとり明白な不幸であった。アブネーは、エルサレム教会の運営と支配権に関してペトロスとジェームス(イエスの弟)と争った。かれは、哲学と神学の違いからパウーロスと別れた。アブネーは、哲学ではギリシャ的であるよりもバビロニア的であり、加えて、パウーロスが、まずユダヤ人へ、それからグレコローマンの秘教信者にとって好ましくないものをあまり提示しない目的でイエスの教えを作り変える全ての試みに頑に抵抗した。
166:5.5 このように、アブネーは、孤立の生活を余儀なくされた。エルサレムの認めていない教会の長であった。かれは、敢えて主の弟ジェームスを無視した。この弟は、後にペトロスの支持を受けた。そのような行為は、元仲間のすべてからアブネーを事実上切り離した。そうなると、かれは、あえてパウーロスに抵抗した。かれは、パウーロスの非ユダヤ人への働き掛けには全く同情的であり、また、エルサレム教会との抗争においても彼を支持したが、パウーロスが説くことにしたイエスの教えの説明には激しく反対した。人生の後年においてアブネーは、「生ける神の息子ナザレのイエスの生涯を通じての教えの利口な退廃者」としてパウーロスを糾弾した。
166:5.6 アブネーの後年、またその後、フィラデルフィアの信者は、地球の他のいかなる集団よりもイエスが生き、また教えたようにイエスの宗教を厳密に保持した。
166:5.7 アブネーは、89歳まで生き、西暦74年11月21日にフィラデルフィアで死んだ。まさにその終わりまで、かれは、天なる王国の福音の忠実な信者であり教師であった。