129:0.1 イエスは、自身をナザレ一家の家事の管理から、また個々の家族の直接的指導から遂に完全に切り離した。かれは、洗礼の出来事の直前まで、家族の財源に貢献し、 また弟妹一人一人の精霊的福祉に対する強い個人の関心を持ち続けた。その上つねに、未亡人である母の安らぎと幸せのために人間的に可能な限りのすべてをする用意ができていた。
129:0.2 人の子は、そのとき永久にナザレ一家から離れるためのあらゆる準備をし終えた。これは、彼にとって容易くなかった。イエスは、当然のことながら自分の民族を愛していた。家人を愛しており、この自然な愛情が、彼らへの並はずれた献身によってすばらしく増大された。我々は、自分をより完全に仲間に授与すればするほど、より彼らを愛するようになる。そして、イエスは、それほどまでに完全に自分を家族に捧げていたが故に、大いなる熱い情愛で皆を愛していた。
129:0.3 すべての家族は、イエスが家族を去り行く準備をしているという実感に徐々に気づいた。予期した別離の悲しみは、家族に意図された出発の発表の準備をさせるこの段階的な方法によって抑えられたに過ぎない。かれらは、 彼がこの最後の別離の計画を立てていることに4年以上気づいていた。
129:1.1 この年、西暦21年1月、雨の日曜日の朝、イエスは、形式張らずに暇ごいをし、ティベリアスに行き、ガリラヤ湖周辺の他の都市を訪ねまわる予定だと説明するだけであった。そして、このようにして、二度とその家庭の正員になることなく皆を後にした。
129:1.2 かれは、セフォリスに代わりまもなくガリラヤの首都となる新しい都市ティベリアスで1週間を過ごした。そして、ほとんど興味を感じなかったので、かれは、引き続きマグダラ、ベツサイダからカペルナムへと移り、そこで父の友人のゼベダイを訪問するために立ち止まった。ゼベダイの息子は漁師であり、自らは船大工であった。ナザレのイエスは、設計と建築両方の専門家であった。かれは、木工の名人であった。ゼベダイも、ナザレの職人の技を長く知っていた。長い間、ゼベダイは、改良された船を作ることを考えていた。かれは、その時、イエスの前にその計画を示し、この訪問中の大工に自分の事業に加わるように誘うと、イエスは、直ちに同意した。
129:1.3 イエスは、ゼベダイとほんの1年間余り働いたが、その期間、新式の船を造成し、またまったく新しい船作りの方法を確立した。イエスとゼベダイは、優れた技術と板を蒸す大いに改良された方法によって、湖で航行する古い型よりもはるかに安全な大変優れた型の船の製造を始めた。数年間、ゼベダイは、これらの新式の船の生産をし、小企業が扱える以上の沢山の仕事があった。5年未満で、実質的に湖上のすべての船は、カペルナムのゼベダイの作業場で造られていた。イエスは、新船の設計家としてガリラヤの漁師仲間によく知られるようになった。
129:1.4 ゼベダイは、適度に裕福な男であった。カペルナムの南の湖に造船場を持ち、住居は、ベツサイダの漁場本拠地近くの湖岸の下手にあった。イエスは、カペルナムにいた1年余をゼベダイの家で暮らした。この世界で長い間単独で、すなわち父なしで、働いてきて、かれは、父親代わりの共同者とのこの労働期間を大いに楽しんだ。
129:1.5 ゼベダイの妻サロメは、ほんの8年前に退位したばかりで、まだサダカイ教徒で最も影響力をもつエルサレムのかつての高僧アンナスの親類であった。サロメは、イエスの偉大な崇拝者となった。自身の息子、ジェームス、ヨハネ、ダヴィデを愛すると同様にイエスを愛し、一方4人の娘は、イエスをまるで長兄のようにみなした。イエスは、ジェームス、ヨハネ、ダヴィデとよく釣りに出かけ、また彼らは、彼が経験豊富な漁師であり専門の船大工であることを知った。
129:1.6 この年ずっとイエスは、月毎にジェームスに金を送った。かれは、10月にマルタの結婚式に出席するためにナザレに戻ったが、サイモンとユダの二組の結婚式の直前に戻るまで、再び2年以上もナザレを留守にした。
129:1.7 イエスは、この年ずっと船を造り、人が地球でいかに生きるかを観察し続けた。かれは、カペルナムが、ダマスカスから南への直通路であることから、隊商の拠点地訪問のために頻繁に下りて行くのであった。カペルナムは、強固なローマ軍の任地であり、駐屯部隊の指揮官は、ユダヤ人がそのような改宗者を「敬虔な人間」と呼ぶのを常としたヤホエを信仰する非ユダヤ人の信者であった。この士官は、ローマの裕福な家族の出であり、カペルナムに美しい礼拝堂を建設することを引き受けた。そして、それは、イエスがゼベダイと暮らすようになるほんの少し前にユダヤ人に寄贈された。この年イエスは、この新しい礼拝堂の礼拝式の半分以上をとり行い、そして、たまたま出席した隊商の中の何人かは、ナザレからの大工としてのイエスを覚えていた。[1]
129:1.8 納税時期に至り、イエスは、「カペルナムの熟練職人」と登録した。この日より地球での人生の終わりまでカペルナムの住人として知られた。かれは、様々な理由から他の者が、彼の住居をダマスカス、ベタニヤ、ナザレ、またアレキサンドリアにあてがっても許諾はしたものの、決していかなる他の届け出住所の申し立てはしなかった。
129:1.9 イエスは、カペルナムの礼拝堂において図書室の大きい箱の中に多くの新しい本を見つけ、そして、1週間あたり少なくとも五夜を猛烈な研究で過ごした。かれは、ある夜は、年老いた人々との社会生活に捧げ、またある夜は、若年層と時を過ごした。イエスの人格には、若者を引きつける何か優しくて奮い立たせるものがあった。かれは、自分の周りにいる彼らを絶えず安心させた。恐らく、彼らとうまくいく大きな秘密は、いつも彼らがしていることに興味を持ち、一方、求められない限りめったに忠告を申し出ないという二つの事実にあった。
129:1.10 ゼベダイ家の人々は、イエスをほぼ崇拝し、イエスが、勉学のために礼拝堂に行く前に、毎晩夕食後の質疑応答に決して欠かすことなく出席した。若い隣人達も、夕食後のこれらの会に出席するために頻繁にやってきた。これらの小さい集会で、イエスは、彼らが理解できる範囲において多様で高度な教授をした。かれは、全く自由に彼らと話した、政治学、社会学、科学、哲学に関する自分の考えや理想を述べたが、宗教—神との人間の関係—について議論する時を除いては、決して権威を伴う結末を話すつもりはなかった
129:1.11 ゼベダイには多くの従業員がいたので1週間に1度、イエスは、家族全体、そして作業場と岸の助手達との会合を開いた。イエスが最初に、「先生」と呼ばれたのは、これらの労働者のあいだでのことであった。全員が、イエスを愛した。イエスは、カペルナムでのゼベダイとの作業を楽しんだが、ナザレの大工の工房の脇での子供達の遊びを懐かしく思った。[2]
129:1.12 ゼベダイの息子ではジェームスが、師として、哲学者としてのイエスに最も関心をもった。ヨハネは、イエスの宗教に関する教育と意見を最も好んだ。ダヴィデは、整備士としてのイエスを尊敬したが、宗教的観点や哲学的な教えにはあまり価値を見い出さなかった。
129:1.13 ユダは、しばしばイエスの礼拝堂での話しを聞きに安息日にやって来て、雑談のために留まるのであった。かれは、長兄を目にすればするほど、イエスが本当に偉大な人であるとますます確信していった。
129:1.14 この年イエスは、自己の人間の心の優勢な支配においてかなりの進歩をし、内在する思考調整者との意識的な接触の新たで高い段階に到達した。
129:1.15 これは、落ち着いた生活の最後の年であった。イエスは、この後、一ヶ所または一つの仕事に丸一年を過ごすことは決してなかった。地上での巡礼の日々は、急速に接近していた。激しい活動の時代は、遠い将来ではなかったが、今や、数年の大規模な旅行と非常に多様な個人的な活動が、過去の簡潔だが非常に精力的な生活とさらに激しく、骨の折れる公的務めとの間に介入しようとしていた。かれが、神とユランチア贈与の超人間段階の完成された神-人としての教導と説教の経歴を始める前に、領域の人間としての彼の教育が完了されなければならなかった。
129:2.1 紀元22年3月、イエスは、ゼベダイとカペルナムに別れをつげた。かれは、エルサレムまでの費用を賄う小額の支払いを頼んだ。ゼベダイと働いている間、イエスは、小額だけを引き下ろしてきた。そして、それを毎月ナザレの家族に送り届けていたのであった。ある月はヨセフが、金のためにカペルナムにやってきて、翌月はユダがきてイエスから金を受け取りナザレに持ち帰るのであった。ユダの漁場の本拠地は、カペルナムのわずか数キロ南にあった。
129:2.2 ゼベダイの家族を離れるとき、イエスは、エルサレムに過ぎ越し祭りまで留まることに同意した。そして、家族全員は、その催しに出席すると約束した。彼らは、一緒に過ぎ越し祭りの夕食をする打合せさえした。イエスが去ると彼らは全員、特にゼベダイの娘達が嘆いた。
129:2.3 カペルナムを去る前に、イエスは、新知の友であり、近しい仲間でもあるヨハネと長い話をした。かれは、「私の時が来る」まで広範囲にわたる旅行を考えているとヨハネに伝え、自分に支払われるべき金額が尽きるまで、自分に代わって毎月若干の金をナザレの家族に送る件を頼んだ。ヨハネはこう約束をした。「先生、あなたの用向きに取り組み、世界での仕事をしてください。この件、あるいは、いかなる他の事柄でもあなたの代理をします。私自身の母親を養い、私自身の弟妹達を世話するようにあなたの家族をお世話します。私は、あなたの指示通りに、彼らが必要になるかもしれないとき、私の父が管理しているあなたの資金を支出しますし、その資金が底を尽き、あなたからもさらに受け取ることもなく、あなたの母上が困っているようなときには、私自身の稼ぎを分けるつもりです。安心してお進みください。私は、このすべての件についてあなたの代行をします。」
129:2.4 従って、イエスがエルサレムに出発した後、ヨハネは、イエスに支払われるべき金に関して父のゼベダイに相談した。そしてかれは、その高額に驚いた。かれらは、イエスがその件を完全に二人の手に委ねたので、これらの資金を土地に投資し、その収入をナザレ一家の補助に当てるほうが良い計画であると同意した。ゼベダイは、抵当で売りにでているカペルナムの小さい家を知っていたので、イエスの金でこの家を買い、友のためにその所有権を保持するようにヨハネに指示した。そこで、ヨハネは、父の助言に従った。2年間、この家の賃貸料は抵当に当てられ、そして、家族の必要に応じて使うようにイエスからヨハネにやがて送られてくる一定の大きな基金によって増やされる額は、この負債とほぼ同額であった。ゼベダイは、差額を補い、その結果ヨハネは、期限に達した残額を完済した。それによって、この2部屋家屋の完全な所有権を確保した。こうにしてイエスは、カペルナムの家の所有者になったが、それに関して知らされてはいなかった。
129:2.5 ナザレの家族は、イエスがカペルナムを立ったと聞き、ヨハネとのこの財政的な取り決めを知らずに、イエスからの援助はこれ以上無い時が遂にやってきたと思っていた。ジェームスは、イエスとの契約を覚えており、弟達の助力を得て、直ちに家族の世話の全責任を担った。
129:2.6 それはさておき、エルサレムのイエスの様子を見に戻ろう。およそ2カ月間、イエスは、ラビの諸々の学校への時折の訪問に加えて、その多くの時間を寺院での議論を聞くことに費やした。かれは、安息日の大半をべタニヤで過ごした。
129:2.7 イエスは、元高僧のアンナスに「私の息子同様である者」と紹介するゼベダイの妻サロメからの手紙をエルサレムへ携えてきた。アンナスは、彼と多くの時間を共に過ごし、エルサレムの宗教教師の養成所の多くを訪問するためにイエスを連れまわった。イエスは、これらの学校を徹底的に調べ、慎重にその教授法を観察したが、決して人前ではただ一つの質問さえしなかった。アンナスは、イエスを偉人と見なしてはいたものの、彼に対しての助言方法に関して困惑した。かれは、エルサレムの学校のいずれかに学生として入学を勧めるのは愚かであることに気づきはしたものの、これらの学校で一度も訓練を受けない限り、イエスが常任教師の身分では決して受け入れられないこともよく知っていた。
129:2.8 やがて、過ぎ越し祭りの時は近づき、ゼベダイとその家族全員が、各方面からの群衆とともにカペルナムからイスラエルへと到着した。彼ら全員は、アンナスの広々とした家を訪れ、そこで、幸せな1家族として過ぎ越し祭りを祝った。
129:2.9 この過ぎ越し祭りの週が終わる前、イエスは、裕福な旅行者と17歳くらいのその息子と、まったくの偶然で行き会わせた。インド出身これらの旅行者は、ローマや地中海の他の様々な場所への途中にあり、二人のために通訳をし、息子の個人教授ができる誰かを見つけることを望んで、過ぎ越し祭りの間にエルサレムに到着する段取りをつけていた。父親は、イエスが彼らと旅をすることに固執した。イエスは、自分の家族について話し、必要とするかもしれない時におよそ2年間も遠ざかるのは全く公平ではないと告げた。すると東洋からのこの旅行者は、家族の困窮の際の擁護のために、イエスの友人達にそのような基金を任せられるように一年間の賃金をイエスに前払いすると申し入れた。そこで、イエスは旅に同意した。
129:2.10 イエスは、この高額をゼベダイの息子ヨハネに引き継いだ。そして、ヨハネがいかにこの金をカペルナムの不動産の抵当の清算に適用したかは、既に述べた通りである。イエスは、この地中海旅行に関する秘密をゼベダイには完全に打ち明けたが、他の者には、肉身にさえも漏らさぬように堅く口止めをした。そしてゼベダイも、およそ2年のこの長い期間、イエスの所在に関して決して明らかにはしなかった。イエスのこの旅行からの帰還前、ナザレの家族は、もう少しでイエスが死んだとあきらめるところであった。時折、息子ヨハネとナザレに来るゼベダイがくれる保証だけが、マリヤの心の望みを繋いだ。
129:2.11 この間、ナザレ一家は、非常にうまくやっていた。ユダは、自分の負担分を格段に増加しており、しかもこの特別な負担を結婚するまで引き受けた。彼らは、ほとんど援助を必要としなかったが、イエスが指示したように毎月マリヤとルツに手土産を持っていくのが、ヨハネとゼベダイの決まり事であった。
129:3.1 イエスの29年目全体は、地中海周辺の旅の締め括りに費やされた。主な出来事は、(我々にこれらの経験を明らかにする許可がある限り)すぐこの次に続く論文での主題を構成する。
129:3.2 ローマ世界のこの周遊旅行を通して、多くの理由から、イエスは、ダマスカスの筆記者として知られていた。しかしながら、戻りの旅のコリントと他の滞在地では、ユダヤ人の個人教授として知られていた。
129:3.3 これは、イエスの人生で盛り沢山の期間であった。この旅行中、多くの人々と接触したが、この経験は、家族の誰にも、また使徒達にも決して明かすことのなかったイエスの人生の局面である。イエスは、生身の人生を送り、(ベツサイダのゼベダイは別として)彼がこの大規模な旅行をしたことを知る者はなくこの世を去った。数人の友は、彼がダマスカスに戻ったと思った。他のものは、インドに行ったと思った。一度副カザンになる目的でそこにくるよう誘われたことがあることを知っていたので、イエスの家族は、アレキサンドリアにいると信じがちであった。
129:3.4 パレスチナに戻ったとき、イエスは、エルサレムからアレキサンドリアに行ったという家族の意見を変えようともしなかった。パレスチナを留守にしている間中、その都市での学習と教養に時間を費やしていたと彼らに信じ続けさせた。ベツセイダの船大工ゼベダイだけが、これらの件に関する事実を知っており、ゼベダイは、誰にも告げなかった。
129:3.5 君は、ユランチアでのイエスの人生目的を解読しようと精一杯の努力において、マイケルの贈与の動機に留意しなければならない。彼の明らかに奇妙な行為の多くの意味を理解しようとするならば、君は、彼の君の世界での滞在目的について見極めなければならない。かれは、過度に魅力的で、注目をむさぼるような個人的な経歴を確立することのないように一貫して慎重であった。かれは、同胞に稀有な、あるいは強烈な印象を与えることを望まなかった。かれは、死を免れない仲間に天の神を明らかにする仕事に専念し、同時に、地球での限りある命をもつ人生にあってこの同じ天なる父の意志にずっと服従しながら崇高な任務に自己を捧げた。
129:3.6 もしこの神性の贈与について知ろうとする全ての人間の学習者が、イエスは、ユランチアでこの顕現の生活を送ると同時に、自分の全宇宙のためにそういう生活を送ったということを思い起こすならば、それも常に地上での彼の生活の理解に役立つであろう。ネバドンの全宇宙の至る所で生命を有する一つ一つの球体のために人間の特徴である肉体をもって彼が生きたということには、何か特別で奮起させるものがあった。また、波瀾万丈のユランチアでのイエスの滞在以来、棲息可能となったそれらのすべての世界についても等しく真実である。そして、この地域宇宙の未来の全歴史の意志を持つ被創造物が生息するようになるかもしれない全ての世界にとっても同様に、負けず劣らず真実であろう。
129:3.7 ローマ世界のこの旅行期間中、またその経験を通して、人の子は、当時の世界の様々な民族との教育的な接触-訓練をほとんど完了した。かれは、ナザレへの帰還までに、人がユランチアでいかに生き、またその生活を達成したかを、この旅行-修行を介しておおよそ学んだのであった。
129:3.8 地中海盆地周辺の彼の旅の真の目的は、人を知ることにあった。かれは、この旅で何百人もの人間ととても近しくなった。貧富のある、上下のある、黒い肌と白い肌の、教育有無の、教養有無の、肉慾的また精神的な、宗教心のある、また無宗教な、道徳的また不道徳なというあらゆる種類の人間に出合い、そして愛した。
129:3.9 この地中海旅行において、イエスは、物質的かつ必滅者の心を習得する人間としての任務においてかなりの進歩をし、一方内在する調整者は、この同じ人間の知性の上昇とまたその精霊制覇において大きく前進した。この旅の終わりまでにイエスは、自分が神の子、宇宙なる父の創造者の息子であるということを—あらん限りの人間の確実性で—事実上知った。調整者は、人の子がネバドンのこの地域宇宙を体系化し、管理するためにやってくる前の神の父との天国での朧気な経験の意識を人の息子の心にますます蘇させることができた。このように調整者は、ほとんど永遠の様々な時代に、彼の以前の、神性の存在のそれらの必要な思い出をイエスの人間の意識に少しずつもたらしたのであった。調整者によって持たらされる「前-人間」経験の最後の叢話は、意識している人格をユランチア顕現着手のために引き渡す直前のサルヴィントンのイマヌエルとの送別の会議であった。そして、「前-人間」存在のこの最後の記憶の絵は、ヨルダン川のヨハネによる洗礼のまさしくその日にイエスの意識に明らかにされた。
129:4.1 地域宇宙の見物中の天の有識者にとり、この地中海の旅は、凡ゆるイエスの地球での経験の中、少なくとも磔と人間としての死の出来事までの全経歴の中で最も目を離せないものであった。これは、すぐ次の時代の公的使命とは対照的に個人的使命の魅力的な期間であった。この特有な挿話は、このときまだ彼が、ナザレの大工、カペルナムの船大工、ダマスカスの筆記者であったという理由から、一段と心を魅かれるものであった。かれは、まだ人の子であった。かれは、まだ自分の人間の心の完全な支配を達成していなかった。調整者は、イエスの自己同一性を完全に征服もしておらず、それに対応したというわけでもなかった。それでも、彼は人間であった。
129:4.2 人の子の純粋な人間の宗教経験―個人の精霊的な成長―は、この29年目にその成就の最高潮に達した。精霊発達のこの経験は、彼の思考調整者到着の瞬間から人間の物理的な心と精霊から贈られた心との間での自然で正常な人間関係の完了と確認—これらの二つの心を一つにする現象、人の子がヨルダンでの洗礼の日、この領域の肉体を与えられた死すべき者として完了し、究極に到達する経験—のその日まで一貫してゆるやかな成長であった。
129:4.3 これらの数年の間、かれは、天の父と正式な親交にそれほど多くの季節を通じて従事したようすはない一方で、楽園なる父の内在する精霊の臨在との個人的な意志疎通をはかるますます効果的な方法を完成させた。かれは、肉体をもつ実生活、充実した、自然で、平均的人生を送った。かれは、個人の経験を通じて、時と空間の物質界での人間生活の全体と本質の現実に相当するものを知っている。
129:4.4 人の子は、絶佳の喜びから深遠な悲しみに亙る人間の感情を広範囲にわたり経験した。かれは、喜びの子であり、稀にみる上機嫌の人であった。同様に、「悲しみの人であり悲嘆をよく知る人」であった。精霊面に関していえば、かれは、人間生活の足の先から頭の天辺まで、最初から最後までを生き抜いた。物質的観点からは、かれは、人間生活において社会の両極端を生き抜くことを避けたように見えるかもしれないが、知的観点では、全ての人類の経験にすっかりなじみ深くなっていた。[3]
129:4.5 イエスは、思考と感情、 誕生から死に至るまでのこの領域の進化し上昇していく命に限りある者達の衝動や衝撃について知っている。かれは、物理的、知性的、精霊的な個性の始まりから幼児、幼年、青年、成人期までの人間生活—死という人間の経験さえも—を送った。知的かつ精霊的な進歩のこれらの普通で身近な人間の段階を経験するだけでなく、かれは、また、ほんの僅かなユランチアの人間しか到達しない人間と調整者とのより高く、より高度な和睦の段階をも完全に経験した。このようにして、かれは、君の世界で送られているだけではなく、時と空間を有する他のすべての進化的世界で送られるように、さらには最も高度で、最も進歩した光と命の全世界で送られているように、完全な人間生活を経験した。[4]
129:4.6 人の姿に似せて送ったこの完全な生活は、彼の仲間である人間、つまり、たまたま彼の地球の同時代人であった人々の無条件の、満場一致の承認を受けてはいなかったかもしれないが、肉体で、そしてユランチアで送ったナザレのイエスの人生は、まさしく同時に、まさしくその同じ人格‐人生の中で、人間への永遠の神の完全な顕示と、無限なる創造者を満足させるための完成された人間の人格の提示を成しているとして宇宙なる父による完全で、無条件の承認を受けたのであった。
129:4.7 そして、これが彼の本当の、最高の目的であった。かれは、その時代、またはいかなる他の時代においても、いかなる子供または大人、あるいはいかなる男または女のための完全かつきめ細やか手本としてユランチアで生活するために下りてはこなかった。完全で、豊かで、美しく、高潔な人生に、我々は皆、絶妙に模範的で、神々しく感情をかき立てるものをたくさん見つけるかもしれないということは本当に事実ではあるが、これは、彼が本当に、純粋に人間の生活を送ったという理由に依る。イエスは、他のすべての人間が真似る手本を示すために地球での生活を送らなかった。君達全員が、地球で人生を送ることができる同様のその慈悲ある恩恵により、かれは肉体でこの人生を送った。そして、彼の時代に、自身の人間生活を彼らしく送ったので、その結果として、我々すべてに我々の時代に自身の生活を我々らしく送る模範を設定した。君は、彼が送った生涯を切望することはできないが、彼が生きたように君の人生を送ると、また同じ方法で生きると決心することはできる。イエスは、この地域宇宙の全領域のあらゆるの時代のすべての人間にとり具体的な、詳細な手本でないかもしれないが、最初の上昇世界から宇宙の中の宇宙、それにハヴォナから楽園へと前進するすべての天国巡礼者にとっての永遠の激励であり先達である。イエスは、人から神への、部分から完全への、地球から天への、時間から永遠への新たな生きた道である。[5]
129:4.8 29年目の終わりまでには、ナザレのイエスは、人の姿で一時逗留者として人間に課される人生を事実上送り終えた。かれは、神の完全性を人間に明らかにするために地上にやって来た。かれは今や、神の前に明らかになる時を待ち受けて人間としてほとんど完全となったのである。そして、かれは、30歳前にこの全てを成したのであった。