138:0.1 「王国」について説教をした後の午後、イエスは、6 人の使徒を集め、ガリラヤの海やその周辺の都市を訪問する計画を明らかにし始めた。弟のジェームスとユダは、この会議に呼ばれず、とても傷ついた。二人は、これまで自分たちはイエスの仲間の中枢部に属すと考えてきた。しかし、イエスは、王国の使徒の指導官からなるこの部隊の構成員に親族縁者を組み入れない予定であった。カナでの出来事以来、母から見た彼のよそよそしさと合わせて、選ばれたわずかの人数の中にジェームスとユダを含まなかったこの失敗は、イエスとその家族との間での絶えず拡幅する溝の出発点であった。この状況は公務の間中ずっと続き—家族はほぼイエスを拒絶した—そして、これらの相違は、彼の死と復活の後まで完全に取り除かれなかった。母は、変動する信仰と望みの感情と、増加する失望、屈辱、絶望の感情との間で迷った。最も若いルースだけは、父でも兄でもある人に変わりのない忠誠のままでいた。
138:0.2 復活後まで、イエスの全家族は、ほとんど彼の公務に関係しなかった。予言者が国で敬われなければ、家族でも理解ある評価は得られないものである。[1]
138:1.1 その翌日、西暦26年6月23日、日曜日、イエスは、最終的な指示を6 人に与えた。王国の喜ばしい知らせを教えるために、かれは、二人ずつで赴くように指示した。かれは、洗礼を禁じ、大衆への説教を勧めた。かれは、後日彼らに公然と説教するのを許可するが、しばらくの間、また多くの理由から、個人的に同胞に接する実際の経験を得ることを望んでいると説明し続けた。イエスは、皆の最初の巡歴を完全に個人的な仕事の一つとすることを目標とした。この発表は使徒にはある種の失望ではあったが、それでも、かれらは、王国の公布のこのようにして始まるイエスの理由が、少なくとも幾分かは分かり、元気良く自信に満ちた熱意で始めた。イエスは、ジェームスとヨハネをケリサへ、アンドレアスとペトロスをカペルナムへ、一方フィリッポスとナサナエルをタリヘアへと二人ずつ送り出した。
138:1.2 この最初の2 週間の活動開始の前、イエスは、自分の出発後に王国の仕事を続けるための12 人の使徒に任命したいということを発表し、計画された使徒団の会員資格のために初期の改宗者の中から各自が、1 人を選ぶ権限を与えた。ヨハネは、率直に尋ねた。「でも、あるじ様、この6 人が、我々の真っ只中に割り込んできて、ヨルダン川以来あなたと共にいて、王国のための最初の働き、これに備えてあなたのすべての教えを聞いてきた我々とが、全てを等しく分け合うのですか。」そこで、イエスが答えた。「そうだよ、ヨハネ。そなたが選ぶ一人が我々と一つになり、私がお前達に教えたように王国に関するすべてをその者達に教えるのだ。」このように言うと、イエスは皆を残して去った。
138:1.3 6 人は、銘々が新しい使徒を選ぶべきであるというイエスの指示に関わる議論で多く意見を取り交わすまで、仕事のために離散しようとはしなかった。アンドレアスの助言が最後には勝ち、それぞれの仕事に出掛けた。アンドレアスの言った要旨は、「あるじは正しい。この仕事を成就するには我々の人数は少な過ぎる。より多くの教師が必要であり、あるじは、この6 人の新しい使徒を選ぶことを我々に委ねる程に我々に対する多大の信用を明らかにした。」であった。この朝、それぞれの仕事に向かうために別れるとき、わずかの隠された憂うつさが、各人の心中にあった。かれらには、イエスの不在で寂しくなりそうであると知っていたし、自分達の恐れと小心さとは別に、これは、彼らが描いた天の王国が開始される方法ではなかった。
138:1.4 6 人は、2 週間働き、その後、会議のためゼベダイの家に戻る申し合わせであった。その間、イエスは、ヨセフ、シーモン、およびその界隈に住む自分の他の家人を訪ねるためにナザレへ行った。イエスは、父の意志を為すことに専念し、家族への信用と愛情を保ち続け、人間の力の及ぶ限りの全てをした。この件に関しては、完全な義務を果たし、またそれ以上のことをした。
138:1.5 使徒がこの任務で出掛けている間、イエスは、そのとき獄中にいるヨハネのことを多く考えた。それは、釈放のために潜在的力を用いるという大変な誘惑に駆られたが、もう一度、「父の意志を待つ」ことに譲った。
138:2.1 6 人のこの最初の伝道の旅は、著しい成功であった。皆は、人々との直接かつ個人的な接触に格段の価値を見い出した。結局、宗教とは、純粋に、かつ完全に個人的な経験に関わる問題であるということを十分に悟り、イエスのもとに戻っていった。かれらは、庶民が、いかに宗教的な安らぎと精神的な歓喜の言葉を聞きたがっているかを感じ始めた。イエスの周りに集う時、皆は間髪を入れずに話したがったが、アンドレアスが、係を引き受け一人ずつに命じると、皆は、あるじに正式な報告をすると共に、6 人の新しい使徒のために各自の指名を提示した。
138:2.2 各自が新しい使徒の選出を提示した後で、イエスは、他の者達に指名に関して投票するよう求めた。このようにして、6 人のすべての新しい使徒が、 従来のすべての6 人全員に正式に受け入れられた。イエスは、そこで、皆でこれらの候補を訪ねて活動への呼び出しを掛けると発表した。
138:2.3 新たに選出された使徒は次の通りであった。[2]
138:2.4 1. マタイオス・レービー、カペルナムの税関徴収人、かれの役所は、市の真東、バタネア境界近くにあった。アンドレアスに選ばれた。
138:2.5 2. トーマス・ディーディモス、タリヘアの漁師で、以前はガダラの大工であり石工であった。フィリッポスに選ばれた。
138:2.6 3. ジェームス・アルフェウス、ケリサの漁師であり農夫であり、ジェームス・ゼベダイに選ばれた。
138:2.7 4. ユダ・アルフェウス、ジェームス・アルフェウスの双子の兄弟、やはり漁師で、ヨハネ・ゼベダイに選ばれた。
138:2.8 5. シーモン・ゼローテースは、イエスの使徒に加わるためにあきらめたゼロテ党の愛国組織の高位置の役員であった。シーモンは、ゼロテ党に加入する前は商人であった。ペトロスに選ばれた。
138:2.9 6. ユダ・イスカリオーテスは、ジェリコに住む裕福なユダヤ人の両親の一人息子であった。サドカ派の両親は、洗礼者ヨハネを慕うようになった彼を勘当した。イエスの使徒たちが見つけたとき、彼は、これらの地方で職を探しており、財政に関する経験を主な理由に、ナサナエルが、仲間に加わるように誘った。ユダ・イスカリオーテスは、12人の使徒の中の唯一のユダヤ人であった。
138:2.10 弟子達が詳しく語るべき多くの興味深く有益な経験をしたこともあり、イエスは、彼らの質問に答えたり、報告の詳細を聞いたりして、6 人とまる1日を過ごした。かれらは、より断言的な、物々しい公の働きを始める前に、ひっそりと個人的な態度で働くように自分達を送り出すあるじの計画の賢明さをそのとき理解した。
138:3.1 翌日、イエスと6 人は、関税徴収人のマタイオスを訪ねに出掛けた。マタイオスは、貸借を対照させ、役所の事務を兄弟に引き渡す準備をし終え、皆を待ち受けていた。料金徴収所に近づくと、アンドレアスは、イエスと前進し、そこでイエスは、マタイオスの顔を覗き込んで、「私についてきなさい。」と言った。マタイオスは、立ち上がりイエスと使徒達と共に自分の家に行った。[3]
138:3.2 マタイオスは、その晩のために準備しておいた宴会の件をイエスに告げ、せめてイエスが同意し、主賓になることを承諾してくれるなら、家族と友人にそのような晩餐を設けたいと告げた。そこで、イエスは、同意の相槌を打った。その時ペトロスは、マタイオスを脇に連れて行き、自分がシーモンという者を使徒に加わるように誘い、その同意を得たこと、またシーモンもこの宴会に招かれるということを説明をした。
138:3.3 マタイオスの家での真昼の昼食会の後、皆は、ペトロスと一緒にゼロテ党員のシーモンを訪ねて行き、その時は甥が切り回している彼の古い、びた仕事場に彼を見つけた。ペトロスがシーモンのところにイエスを案内していくと、あるじは、情熱的な愛国者に挨拶し、「私についてきなさい。」と言うだけであった。
138:3.4 かれらは、マタイオスの家に帰った。そこでは、夕食の時間まで政治と宗教について多くを語った。レビ家は、長らく事業と税収集に従事してきた。それ故、マタイオスがこの宴会に招いた客の多くは、パリサイ人がその場にいれば「居酒屋の主人と罪人」と呼んだことであったろう。下の文との関係[4][5]
138:3.5 その当時、著名な人物のためにこの種の歓迎の宴が催されるとき、興味をもつ全ての者達が、食事中の客達を観察し、主賓の会話や弁舌を聞くために宴会場の周りで長居するのが習慣であった。因って、カペルナムのパリサイ人の大部分は、この変わった社交の集いでイエスの行状を観察するためこの場に臨んでいた。
138:3.6 晩餐が進歩むにつれ、正餐客の喜びは、最高の域にまで達した。だれもが非常に素晴らしい時を過していたので、見物中のパリサイ人等は、イエスのこれほどまでに気楽で呑気な社交の場への参加を、心の中で批評し始めた。その晩遅く、皆の演述の最中、より悪意のあるパリサイ人の中の一人は、ペトロスにイエスの行為を批評するまでに至った。「居酒屋の主や罪人と共に食し、このように軽率な快楽行為にそのような場面にいるこの男が正義であるとどうして大胆にも教えるのか。」と言った。イエスが集い来た者達に別れの祝福を述べる前に、ペトロスは、この批判をイエスにささやいた。イエスは、話し始めて言った。「今宵マタイオスとシーモンを仲間として迎え入れるためにここに来るに当たり、あなた方の気安さと社交的陽気さを目撃して喜ばしく思うが、君達の多くが精霊の来たるべき王国への入口を見つけるので、尚さらに君達は歓喜すべきであり、そこで天の王国の良い事をもっと豊かに楽しむであろう。そして、私がこれらの友人と遊興のためにここに来たので心の中で私を批判して立っている者に、私は、社会的に虐げらている者に喜びを、道徳の虜となっている者に精神の自由を知らせにきたと言わせてもらおう。丈夫な者に医者はいらない、いるのは病人であるということを思い出させなければならないのか。私は、正義あるものにではなく、罪人に呼び掛けに来た。」[6]
138:3.7 かつ、正義の性格と気高い感情の人物が、自由に嬉々として一般人と居酒屋の主や評判の罪人などの無宗教的で快楽を求める群衆とさえに混じり合うのを目にすることは、すべてのユダヤ文化において本当に奇妙な光景であった。シーモン・ゼローテースは、マタイオスの家のこの集会で演説することを望んでいたが、イエスは、来たるべき王国とゼロテ党の動きとが混乱することを望んでいないことを知り、アンドレアスは、いかなる公的所見の発表も控えるように彼を説き伏せた。
138:3.8 イエスと使徒は、その夜マタイオスの家に留まり、そして家に帰ると、人々はただ1つのことだけ、イエスの長所と親しみやすさについて話した。
138:4.1 翌日、9 人全員は、次の2 人の使徒、ジェームスとヨハネ・ゼベダイの指名するアルフェウスの双子の兄弟であるジェームスとユダの正式の呼び出しのために小舟でケリサに行った。漁師の双子は、イエスと使徒を心待ちにしていたので、岸で一行を待ち受けていた。ジェームス・ゼベダイが、ケリサの漁師達を紹介すると、あるじはじっと見つめて頷いて、「私についてきなさい。」と言った。
138:4.2 共に過ごしたその午後、イエスは、祝いの集会の出席に関して逐一指導し、所見を結論づけて言うことには、「すべての人は、私の兄弟である。天の父は、我々が創造するどんな生物も軽蔑しない。天の王国は、すべての男女に開かれている。人は、そこへの入り口を探し求めるかもしれない空腹の魂に対して慈悲の扉を閉めてはいけない。我々は、王国について聞きたいと望む者すべてと食事につくのである。天の我々の父が上から見るとき、人間はみな同じである。したがって、パリサイ人や罪人、サドカイ人や居酒屋の主人、ローマ人やユダヤ人、金持ちや貧乏人、自由の身や束縛の身であろうと食事を共にすることを拒んではいけない。王国の扉は、真実を知ろうとする者や神を見つけようとする者ののために広く開け放たれているのである。」[7]
138:4.3 その夜、アルフェウス家での簡単、質素な夕食の場に、双子は、使徒の家族に受け入れられた。その晩遅く、イエスは、使徒達に不純な精霊にかかわる起源、特徴、宿命に関する最初の教授をしたが、かれらは、教えられた内容の重要性を理解することができなかった。かれらは、イエスを慕い敬うのは非常に簡単であるが、その教えの多くを理解することは非常に難しいとわかった。
138:4.4 一夜の休息後、その時11人となった一行は、タリヘアまで小舟で行った。
138:5.1 漁師のトーマスと放浪者のユダは、タリヘアの漁船用の船着場でイエスと使徒達に会い、トーマスは、近くの自分の家に一行を案内した。フィリッポスは、その場で使徒候補としてトーマスを指名し、ナサナエルは、同様の栄誉のためにユダヤ人、ユダ・イスカリオテを指名した。イエスはトーマスを見て言った。「トーマス、信仰が足りない。でも君を受け入れよう。私についてきなさい。」ユダ・イスカリオテに、あるじは言った。「ユダ、我々は皆同一の肉体をもつ者である、そして、私が君を我々の中に受け入れるように、いつも君のガリラヤの同胞に忠誠であることを祈る。私についてきなさい。」
138:5.2 皆が元気を取り戻すと、イエスは、彼らと祈り、聖霊の性質と働きを伝受するために一期間12人を隔てたが、またもや、彼らは、イエスが教えようと努めたそれらの素晴らしい真理の意味を理解することに大きく失敗した。ある者が1つの主旨を掴み、またある者が別の主旨を悟りはしたものの、誰として教えを包括的に理解することはできなかった。常に、かれらは、イエスの新しい福音を自分達の古い信仰の型に合わせようとする過ちを犯すのであった。イエスが救済の新たな福音を宣言し、神を見つける新たな方法を証明するために来たという考えを掴み取ることができなかった。かれらは、イエスが天の父の新しい顕示であると気づかなかった。
138:5.3 翌日、イエスは、12 人の使徒をそっとしておいた。皆が、互いによく知り合うようになり、自分の教えたことについて話し合うことを望んだ。あるじは、晩の食事に戻り、夕食後の数時間熾天使の職務に関し彼らに話し、使徒の何人かは、その教えを理解した。かれらは、一夜休息し、翌日小舟でカペルナムに発った。
138:5.4 ゼベダイとサロメは、自分達の大きい家をイエスと12人の使徒に引き渡せるように、息子ダーヴィドと暮らすために出発していた。ここで、イエスは、選ばれた使者と静かな安息日を過ごした。かれは、王国の公布のために注意深く計画し、行政当局とのどんな衝突も避ける重要性を十分に説明して言った。「もし民間統治者を叱責しなければならないような状態になるならば、その仕事は私に任せなさい。君たちは、ケーサーやその奉公人の公然たる非難をしないということを心しなさい。」ユダ・イスカリオテが、ヨハネを牢獄から連れ出すための何もなされない訳を質すためにイエスをわきへ連れていったのがこの同じ晩であった。そして、ユダは、イエスの態度に完全には満足していなかった。
138:6.1 翌週は、激しい研修に専念した。6人の新しい使徒達は、毎日、王国の仕事に備えて学び経験したすべての徹底的な復習のためにそれぞれの指名者の手に委ねられた。従来の使徒達は、新しい6 人のためにその時までのイエスの教えを慎重に見直した。夕べには、全員が、イエスの指示を受けるためにゼベダイの庭に集合した。
138:6.2 イエスが休養と気晴らしのために週半ばの休日を設置したのは、この時であった。そして、皆は、イエスのこの世での余生を通して毎週1日間、この案を実行した。かれらは、概して水曜日には決して通常の活動をしなかった。この毎週の休日に、イエスは、「子供達よ、1 日遊びに行きなさい。王国のための辛い作業を離れ体を休め、以前の職業に戻ることからくる、または新しい娯楽的活動の類からくる気分の爽快さを楽しむように。」と言い、通常は皆から離れるのであった。イエス自身は、地球人生のこの期間に休息のこの日を実は必要とはしなかったが、それが彼の人間の仲間に最も良いのを知っていたので、この案に従った。イエスは、教師、あるじであった。彼の同僚は生徒、使徒であった。
138:6.3 イエスは、彼の教えと使徒の間の彼の人生と、後に起こるかもしれない自分に関する教えの間の違いを明らかにすることに努力を払った。イエスは、「私の王国とそれに関連する福音は、君達の知らせの要旨である。私と、私の教えに関する説教で脇道に逸れてはならない。王国に関する福音を公布し、天の父に関わる私の顕示を描写しなさい。しかし、私の信念と教えに関する伝説を創り出したり、宗派を築いたりするような脇道に誤り導いてはならない。」しかし、かれらは、またもや、イエスがなぜこのように話すかを理解しなかったし、誰もなぜそのように自分達に教えるかを敢えて尋ねなかった。[8]
138:6.4 これらの初期の教えにおいてイエスは、天の父の概念に関わる間違った概念以外には、使徒との論争をできるだけ避けようとした。すべてのそのような問題において、かれは、誤った信念を修正することを決して躊躇わなかった。ユランチアでのイエスの洗礼後の人生においてただ1 つの動機があり、それは、より良くてより真実の楽園の父の顕示であった。イエスは、神への新たでより良い道、信仰と愛への開拓者であった。使徒への勧告は、いつも、「罪人を捜し求めに行きなさい。落胆している者を見つけ、憂える者を慰めなさい。」であった。[9]
138:6.5 イエスは、状況を完全に把握をしていた。自分の任務推進において利用されたかもしれない無限の力を備えていたが、大部分の人々が、不十分であると考えたり、無意味であると見なしたりする手段や人格にまったく満足していた。途轍も無い劇的な可能性をもつ任務に従事していたが、かれは、最も静かで非劇的な方法で父の用向きに取り組むと主張した。かれは、すべての力の表示を慎重に避けた。そして、かれは、その時、少なくとも数カ月、ガリラヤ湖周辺で12人の使徒と静かに働く予定であった。
138:7.1 イエスは、5 カ月の個人的な仕事の地味な、静かな伝道活動の計画を立てた。かれは、これがどれくらい続くのかを使徒に告げなかった。かれらは、週ごとに働いた。そして、この週の初日早くに、かれが、ちょうどこれを12人の使徒に発表しようとしているとき、シーモン・ペトロス、ジェームスゼベダイとユダ・イスカリオテが、私的な会話のためにやって来た。ペトロスは、イエスを脇へ連れ行き、敢えて次のように言った。「あるじ様、王国に入る機が今や熟したのかどうか、仲間の命令を受けて窺いに参りました。また、あなたは、カペルナムで王国を公布されるのですか、あるいは我々は、エルサレムに移動することになっているのでしょうか。それと、我々各々は、王国設立においてどの位置に着くのか分かるのはいつのことでしょうか。」ペトロスは、更に質問をし続けたのであろうが、イエスは勧告的な手を上げて、彼を止めた。そして、彼らに加わろうと近くに立っている他の使徒に合図して言った。「私の幼子達よ、私は、どれだけお前達のことを耐え忍ばなければならないのか。私の王国は、この世のものでないことを明確にはしなかったか。ダーヴィドの王座に着くために来たのではないと何回も言ってきのに、今、銘々が、父の王国でどの位置を占めるのかを尋ねるというのは一体どういうことなのか。そなた達は、私が、精神の王国の大使としてお前達を召集したということが悟れないのか。間もなく、本当に間もなく、ちょうど私が、いま天の父の代理をしているように、そなた達は世界において、王国の宣言において、私の代理をすることになっているということが分からないのか。私が王国の使者としてお前達を選び教えてきたが、人の心の神性の卓越したこの来たるべき王国の性質と重要性を理解しないということがあり得るのだろうか。友よ、もう一度私の言うことを聞きなさい。私の王国が力の支配あるいは栄光の治世であるというこの考えを心から払いのけなさい。確かに、天国と地球上のすべての力がやがて私の手に与えられるが、我々がこの時代に自分達を賛美するためにこの神の賦与を用いることは、父の意志ではない。他の時代に、君たちは私と共に力と栄光の座に本当に着くだろうが、今は、父の意志に従い、父の命令を実行するために謙虚な服従において進むことが当然である。」
138:7.2 仲間は、再度衝撃を受け唖然とした。イエスは、祈りのために2 人ずつ行かせ、正午には自分のところに戻るように求めた。このきわめて重大な午前中、かれらは、それぞれに神を見つけようとし、互いに励まし、元気づける努力をし、言いつけられた通りにイエスの元に戻って行った。
138:7.3 イエスは、そのときヨハネの来ること、ヨルダンでの洗礼、カナの婚礼の宴、最近の6 人の選出、自分の肉身の弟達の退出について皆に詳しく話し、また王国の敵が彼等を引き離そうともするであろうと警告した。この短いが誠意のこもった話の後、使徒は全員、ペトロスの指導の下に立ち上がり、あるじへの不滅の献身を宣言し、「それが何であろうとも、たとえ完全にそれを理解しなくても来たるべき王国に。」とトーマスがそれを言い表したように王国への不動の忠誠を誓った。その教えを完全に理解したというわけではないが、彼らは全員、本当にイエスを信じた。
138:7.4 イエスは、彼らがどのくらいの金を持っているのかをその時尋ねた。また、各自の家族のために何をしたかを問い質した。自分達を2 週間も支えることができないほどの資金であると分かったとき、イエスは、「我々がこのような状態で仕事を始めるのは父の意志ではない。我々は、海のそばのそこに2 週間留まり、漁をするか、または見つける何でもするつもりである。一方、最初に選ばれた使徒のアンドレアスの指導の下に、今後の仕事で、すなわち現在の個人的な活動と、また後に、福音を説き、信者に教えるために私が君達を任命するときのための必要なものすべてを用意するよう皆が団結するように。」皆は、この言葉に大いに励まされた。これは、イエスが、 より積極的で断定的な公のための努力を後に始めるように設計した最初の明確で積極的な通告であった。
138:7.5 使徒は、漁に専念すると決めたので、自分達の組織化の終了や翌日の漁の始まりに向け、舟やら網の調達完了にその日の残りを費やした。彼らの大半は漁師であったし、イエスでさえ経験豊富な船方であり漁師であった。次の数年間、皆が使用する舟の多くは、イエス自身の手によるものであった。そして、それらは、立派で頼りになる舟であった。
138:7.6 イエスは、皆が2 週間漁に専念するように申しつけ、「それから、君達は、人の漁師になるために先へ進むであろう」と言い足した。かれらは、3班に分かれて漁をし、イエスは、毎夜、異なる班に伴った。彼らは皆、イエスといることを非常に楽しんだ。イエスは、良い漁師であり、陽気な仲間であり、刺激的な友であった。共に働けば働くほど、かれらは、さらに彼を愛していた。マタイオスは、ある日「一部の人を理解すれば理解するほど、ますます尊敬しなくなるが、この方は、理解しなくなればなるほど、より好きになる。」と言った。[10]
138:7.7 2 週間のこの漁業の計画と2 週間の王国のための個人的な仕事をすることは、5カ月以上も延長され、ヨハネ投獄の後の弟子達に向けられたそれらの特別な迫害の停止の後まで、この年西暦26年の終わりまでも続いた。
138:8.1 2 週間の漁を終えると、12 人の会計係として選ばれたユダ・イスカリオテは、扶養家族の世話の基金はすでに備えられていたので、使徒の基金を6等分した。そして、西暦26年の8月中旬近く、アンドレアスが割り当てた野外での仕事に二人ずつが、出掛けて行った。イエスは、最初の2 週間、アンドレアスとペトロスと行き、次の2 週間はジェームスとヨハネと行く、といった具合に、彼らが選んだ順に他の組と出掛けて行った。このように、公の活動の始まりに向けて皆を召集する前に、かれは、少なくとも各組と一度は出かけることができた。
138:8.2 イエスは、苦行も犠牲もなく神への信仰による罪の許しを説くことを、また天の父は、平等の永遠の愛で全ての子供を愛しているということを教えた。かれは、使徒に次のような事項についての議論を控えることを言いつけた。
138:8.3 1. 洗礼者ヨハネの仕事と禁固。
138:8.4 2. 洗礼の際の声。イエスは、「声を聞いた者達だけがそれについて言及してもよい。私から聞いたことのみを話しなさい。どんな伝聞も話すではない。」と言った。[11]
138:8.5 3. カナでのワインが水に変わったこと。イエスは、「水とワインに関して誰にも話すな」と言って、真剣に託した。[12]
138:8.6 漁師として2 週間交代に働いたこの5、6ヶ月間、皆は、素晴らしい時を過ごした。そして、それによって、2 週間の野外での王国の布教活動を支えることができる金を得た。
138:8.7 一般人は、イエスと使徒の教えと布教に驚嘆した。ラビ達は、長い間、無知な者は、敬虔でも正しくもあるはずがないとユダヤ人に教えてきた。しかし、イエスの使徒は、敬虔であり、公正であった。しかし、彼らは、ラビ達の学習と世界の知恵の多くをに関して晴れやかに無知であった。
138:8.8 イエスは、ユダヤ人が教えるようないわゆる良い働きの悔悟と信仰による心の変化—新生—王国入場の代価としてイエスが求める—との違いを使徒達に分かり易くした。かれは、父の王国に入ることへの唯一必須の信仰について使徒に教えた。ヨハネは、「悔悟—近づく復讐から逃げるために」を教えた。イエスは、「信仰は、神に対する現在の完全かつ永遠の愛に至るために開いている扉である。」と教えた。イエスは、予言者、つまり神の言葉を宣言しに来る者のようには話さなかった。かれは、権威を持つ者として自分のことを話すようであった。イエスは、奇跡追求の心から内在する神の愛の精霊と救いの恵みへの満足感と保証における真実の、また個人的な経験の発見に彼らの心を転換させようとした。[13][14][15]
138:8.9 使徒は、あるじが、出会うあらゆる人間に深遠な敬意と思いやりの気持をみせるということを早くに知った。そして、かれらは、かれが、いろいろな男女子供にじつに一貫して与えたこの均一で偏重のない思いやりにすばらしく感銘を受けた。イエスは、心身の重荷を背負った通りすがかりの女性を元気づけようと道路に出るために意味深い講演の真っ最中に中断するのであった。かれは、割り込んでくる子供と親しく交わるために使徒との重大な会議を中断するのであった。イエスにとり、たまたま自分の面前にいる個々の人間ほど非常に重要なものはないようであった。かれは、あるじであり同時に教師であったが、それ以上のものであった—友であり隣人であり、理解ある同志であった。
138:8.10 イエスの公への教えは、主に寓話と短い講話であったが、使徒には変わることなく質疑応答で教えた。かれは、後の公への講話では誠実な質問に答えるために、必ず一息入れるのであった。
138:8.11 使徒は、最初は女性へのイエスの対応に衝撃をうけたが、すぐ慣れていった。かれは、王国では女性は男性と等しい権利を浴することになっていると、彼らに非常に明確にした。
138:9.1 漁業と個人的な仕事の交互のこの何かしら単調な期間は、12人の使徒には疲れ果てる経験であると判明したが、かれらは、試練に耐えた。かれらは、不平、疑念、一時的な不満を感じながらもあるじへの献身と忠誠の誓いに誠実なままでいた。それは、彼ら全員が(ユダ・イスカリオテを除く)、審判と磔刑の暗黒の時間にさえ彼に忠誠であり、誠実であったように、慕ったのは、この試練の数カ月間のイエスとの個人的な付き合いであった。真の人間は、イエスのようにそれほど身近に暮らし、それほどまでに彼らに捧げた尊敬されていた教師を実際には簡単に見捨てることができなかった。あるじの死の暗黒の時間を通して、これらの使徒の心において、すべての理由、判断、論理は、ただ1つの並はずれた人間の感情—友情・忠誠の最高の感情—に従って、服従して取り除かれた。イエスとの仕事のこの5カ月は、この使徒の各自が、イエスを全世界の親友であると考えさせた。そして、王国に関する福音の宣言の復活と更新の後までも彼等を結合したものこそ、イエスのずば抜けた教えや驚異の行いではなく、この人間の感情であった。
138:9.2 静かな仕事のこの数カ月が使徒にとり大いなる試練、乗り切った試練であったばかりでなく、公への不活発のこの期間は、イエスの家族にとってもい大いなる試練であった。イエスが公の仕事の開始準備が整うまでに、(ルースを除く)家族全体は、実際に彼を見捨てた。かれらは、ほんのいくつかの機会に、彼とのその後の接触を試みたことではあるが、それは、イエスは気がおかしいと皆が信じるほどまでになったので、共に家に帰るように説得するためであった。単に彼らは、彼の哲学を理解できず、その教えも把握できなかった。それは、同じ血肉を分かつ者にとり、あまりにも手に負えないものであった。[16]
138:9.3 使徒達は、カペルナム、ベスサイダ-ユーリアス、コラズィン、ゲラサ、ヒップス、マグダラ、カナ、ガリラヤのベスレヘム、イオータパタ、ラマハ、サフェド、ギシャーラガダラ、アビラでの個人的な仕事を続けた。かれらは、これらの町以外の多くの村や田舎でも働いた。この期間の終わりまでには、12 人は、それぞれの家族の世話のためにかなり満足できる計画を考えた。使徒の大半は結婚しており、何人かには数人の子供もいたが、使徒の基金からの僅かばかりの援助があり、家族の財政的保護を心配せず、あるじの仕事に全精力をささげることができるような取り計らいをしておいた。
138:10.1 使徒は、早々に次のように自分たちを組織した。
138:10.2 1. アンドレアスは、最初に選ばれた使徒は、12 人の議長と、事務総長として任命された。
138:10.3 2. ペトロス、ジェームス、ヨハネは、イエスの個人的な話相手に任命された。身の回りや雑用に手を貸すために、また天の父との夜通しの祈りと神秘的な親交をするそんな夜と、昼夜付き添うことになっていた。
138:10.4 3. フィリッポスは集団の執事と考えられた。食料供給をし、またその訪問者や、時には多数の聴衆にまで食べ物があるか確認するのが彼の義務であった。
138:10.5 4. ナサナエルは、12人の家族の必要なものの世話をした。各使徒の家族の要求に関し、定期的な報告を受け、会計係のユダに必要としている者に毎週基金を送る要求書を作成した。
138:10.6 5. マタイオスは、使徒の団体の財務代理人であった。予算の均衡を点検し、基金の補給をするのが彼の義務であった。相互支援のための資金が間に合わないとき、また、この団体の維持に十分な寄付金が受領されないとき、マタイオスは、12 人を一時期漁に戻す権限が与えられた。しかし、公の仕事の開始後、これは決して必要ではなかった。活動のための資金調達ができる程度の資金が、つねに財政係の手にはあった。
138:10.7 6. トーマスは、旅程の幹事であった。教育と説教のためのおおよその場所を選んだり、宿の手はずをしたり、円滑で迅速な旅行の保証にかかわった。
138:10.8 7. アルフェウスの双子の息子ジェームスとユダは、群衆の管理に割り当てられた。かれらは、説教の間の群衆の秩序の維持に十分な補佐の数の案内係を任命する仕事であった。
138:10.9 8. シーモン・ゼロテには、休養と遊びの係が与えられた。かれは、水曜日の日程を管理し、また毎にち2,3時間の骨休めと気分転換をもたらそうとした。
138:10.10 9. ユダ・イスカリオテは、会計係に任命された。かれは、鞄を所持した。かれは、すべての費用を支払い、帳簿を管理した。マタイオスのために週ごとの予算見積りをし、またアンドレアス用に週報を作成した。ユダは、アンドレアスの認可のもとに基金を払い戻した。[17]
138:10.11 このように、12 人は、自分達の初期の組織から裏切り者ユダの脱走により必要になる再編成の時期まで機能した。イエスが西暦27年1月12日日曜日、皆を召喚し、正式に王国の大使として、またそのうれしい知らせの伝道者として定めるまで、あるじと弟子・使徒達は、この簡単な様式で続けた。そして、すぐその後、かれらは、エルサレムとユダへの最初の公布に赴く準備をした。