141:0.1 西暦27年1月19日、その週の最初の日、イエスと12 人の使徒は、ベスサイダ本部からの出発準備をした。4月に過ぎ越し祭りの饗宴の出席のため4 月にエルサレムまで行く、そして、それはヨルダン渓谷経由の予定であるという以外、かれらは、あるじの計画について何も知らなかった。使徒の家族や弟子の中の幾人かが、別れを告げ、そして、皆が始めようとしている新しい仕事での成功を祈るためにやってきたので、正午近くまでゼベダイの家を出立しなかった。
141:0.2 去る直前、あるじの行方が分からず、アンドレアスが探しに出かけた。短い探索の後、かれは、岸辺に座り涙しているイエスを見つけた。あるじが嘆き悲しんでいるように見えたり、重大な問題に没頭している瞬間を12 人はしばしば目にしてきたことだが、誰も、彼が泣くのを見たことはなかった。アンドレアスは、あるじがエルサレムへの出発の宵にこのように動じているのを見ていささか驚き、あえてイエスに近づいて尋ねた。「この素晴らしい日に、あるじさま、父の王国を宣言するためエルサレムに出発しようとする時に泣かれるのは何故ですか。我々の誰が怒らせたのですか。」イエスは、12 人と合流するためアンドレアスと戻りながら答えた。「君等の誰も私を悲しませてはいない。ただ父のヨセフの家族の誰も道中の安全を述べに来ることを忘れていたのが悲しいだけだよ。」このとき、ルースは、ナザレの兄ヨセフを訪問中であった。家族の他の者は、傷ついた気持ちのせいで、誇り、失望、誤解、それに心の狭さからくる憤りに溺れ、遠ざかっていた。
141:1.1 カペルナムはティベリアスから遠くなく、イエスの名声は、ガリラヤ全土と、その先の地域にさえ広がり始めた。イエスは、ヘロデがすぐ自分の仕事に注意し始めるのが分かっていた。それ故、使徒と南へ、そしてユダヤへと旅するのが良いと考えた。100 人以上の信者の一隊が共に行くことを望んだが、イエスは、彼らと話し、使徒集団に伴いヨルダン川を下りて行かないように懇願した。信者らは、後に残ることに同意したものの、彼らの多くは、数日内にあるじの後に続いた。
141:1.2 初日イエスと使徒は、タリヘアまで旅しただけで、その夜はそこで休んだ。翌日、ヨハネが約1 年前に説教し、イエスが洗礼を受けたペラ近くのヨルダン川の地点に進んだ。かれらは、ここに教えたり説教をしたりで2 週間余り留まった。1 週目の終わりまでには、数百人が、イエスと12 人が寝起きしている場所近くの野営地に集まり、そして、かれらは、ガリラヤ、フォイニキア、シリア、デカーポリス、ペライア、ユダヤから来たのであった。
141:1.3 イエスは公への説教をしなかった。アンドレアスは、群衆を分け、説教者を午前と午後の集会に割り当てた。夕食後、イエスは、12 人と話した。かれは、新しいことは何も教えず、以前の教えの復習だけをし、また多くの質問に答えた。その中の1 晩、この場所近くの丘で過ごした40日間について12 人に話した。
141:1.4 ペライアとユダヤから来た人々の多くは、ヨハネによる洗礼を受けて、イエスの教えについて一層の興味を持っていた。使徒は、ヨハネの説教をどんな形であれ損なうことがなく、今回は新しい弟子にさえ洗礼をしなかったので、使徒は、ヨハネの弟子への教えにおいて多く前進した。ところが、イエスが、もしヨハネの発表通りの者であるならば、彼が獄舎から救い出すための何もしないということは、ヨハネの追随者には常に躓きの石であった。ヨハネの弟子は、イエスがなぜ彼らの敬愛する指導者の残忍な死を防止しないのかについて決して理解することができなかった。
141:1.5 くる夜もくる夜も、アンドレアスは、洗礼者ヨハネの追随者と円満に暮らしていくきめ細やかで難しい課題を仲間の使徒に慎重に教授した。イエスの公の奉仕のこの最初の年に、彼の追随者の3/4人以上は、以前にヨハネの後を追い洗礼を受けていた。西暦27年のこの年全体は、事無くペライアとユダヤでのヨハネの仕事の引き継ぎに費やされた。
141:2.1 かれらがペラを去る前夜、イエスは、使徒に新しい王国に関して更なる指示を与えた。あるじは言った。「君等は、来たる神の王国を探すことを教えられてきた。そして、今、私は、この長く待ち望まれた王国が真近であると、そしてそれが、すでにここに、我々の真っ只中にあるとさえ知らせて来た。あらゆる王国には、王座に着き、領土の法律を布告する王がいなければならない。そして、君等は、救世主がダーヴィドの王座にいる地球のすべての民族の上のユダヤ国家の賛美された支配として、また全世界の法律を発布しているこの奇跡の権力の場所から天の王国の概念を発達させてきた。しかし、我が子よ、君等は信仰の目で見ず、精霊の理解力でも聞いてはいない。私は、天の王国は、人の心の中での神の支配の実現と認識であると宣言する。この王国に王がいるというのは本当である。そして、その王は、我が父であり君の父である。我々は実に彼の忠臣であるが、彼の息子であるという超越していく真実こそがその事実をはるかに超える真実である。私の人生において、この真実は、すべての者に明らかにされるのである。また、我々の神は、王座に座ってはいるが、人が手で作った物ではない。無限者の王座は、天国の中の天国の父の永遠の居住地域である。かれは、宇宙の中の宇宙に万物を満たし、法を宣言する。そして、父は、人間の魂の中で生きるために送った霊により地球の子等の心の中でも支配する。[1]
141:2.2 この王国の忠臣であるとき、君は、いかにも宇宙の支配者の法律を聞かされる。しかし、私が宣言しに来た王国の福音のために、君が、息子としての自分を信仰によって発見するとき、今後君は、全能の王の法に服従する生物として自分を見るのではなく、愛する、また神性の父の特権のある息子として見る。誠に、誠に、私は言おう。父の意志が人の法律であるとき、人はほとんど王国にはいない。しかし、父の意志が本当に人の意志になるとき、それにより、人の中に王国が確立された経験となるからであるから、人は実際には王国にいるのである。神の意志が人の法であるとき、人は気高い従属臣下である。しかし、人が、神の息子の資格のこの新しい福音を信じるとき、父の意志は、人の意志となり、人は、神の自由な子の高い位置に、王国の解放された息子にと高められる。」[2]
141:2.3 使徒の何人かは、この教えの何かを掴んだが、誰とても、おそらくジェームス・ゼベダイの他は、この途轍も無く重大な発表の重要性の全体を理解しなかった。だが、これらの言葉は、全員の心に根づき、後年の奉仕の仕事を充実させるようになった。
141:3.1 あるじと使徒は、3週間程アマススの近くに留まった。使徒は、1日2回、群衆への説教を続け、イエスは、各安息日の午後に説教した。水曜日の息抜きの時間を持ち続けることは、不可能になった。したがって、安息日の礼拝中は、全員が任に着くとともに、残る6日間で2 人ずつが休息をとるべく、アンドレアスが手配した。
141:3.2 ペトロス、ジェームス、ヨハネは、公ヘの説教の大部分をし、フィリッポス、ナサナエル、トーマス、シーモンは、対人的な仕事を多くし、特別な照会者の団体のための授業を行なった。アンドレアス、マタイオス、ユダは、各々に宗教の仕事もかなりしたのだが、3人で一般的な経営委員会へと発展させていく一方で、双子は、一般的な取り締まりの指揮を続けた。
141:3.3 アンドレアスは、ヨハネの弟子とイエスの新しい弟子との間に絶えず再発する誤解とくい違いを調節する任務につねに忙しかった。深刻な状況が数日ごとに起こるのであったが、アンドレアスは、使徒仲間の援助で少なくとも一時的に争い合う連中をなんとかある種の合意に導くことができた。イエスは、これらのどの合議の参加も拒否し、またこれらの問題に対する適切な調整に関するいかなる忠告も与えようとしなかった。使徒がいかにこれらの複雑な問題を解決すべきか1 度として提案を申し出なかった。アンドレアスがこれらの質問をしに来ると、イエス、いつも言うのであった。「主人役が、客の家族問題に関わるのは賢明ではない。賢明な親というものは、自分の子供達の些細な口喧嘩に決して一方側に片寄って味方をしない。」
141:3.4 あるじは、使徒と弟子のすべての取り扱いに素晴らしい知恵を示し、また完全な公正さを明示した。イエスは、まことに人間の間のあるじであった。かれは、人格の結合した魅力と力で仲間の人間に大いなる影響を与えた。剛強で、遊牧的で、かつまた住居なしの彼の人生には、微妙に威厳のある影響力があった。彼の威厳ある教え方、明快な論理、推理の力、賢明な洞察、心の注意深さ、無類の平静さ、崇高な寛容性には、知的な魅力と精霊的に引きつける力があった。かれは、淳朴で、凛々しく、正直かつ不敵であった。あるじの風采にはこの肉体的かつ知的な影響のすべてに明らかであるとともに、彼の人格に伴うようになった特徴のそれら精神的な魅力の全て—忍耐、優しさ、従順さ、穏やかさ、謙遜—でもあった。
141:3.5 ナザレのイエスは、誠に強い説得力をもつ人格であった。かれは、知力と精神の要塞であった。その人格は、支持者の間の精霊的に関心を持つ女性達だけではなく、教育があり知性的なニコーデモスや、十字架の警備に配置されあるじが死ぬのを見終えたとき「本当に、これは神の息子であった。」と言った隊長、頑丈なローマ軍人の心をも惹きつけた。また男らしい、無骨なガリラヤの漁師達は、彼をあるじと呼んだ。[3][4]
141:3.6 イエスについての描写は、最も不運である。キリストのこれらの絵は、若者に悪影響を及ぼした。かれが、芸術家達が一般に表現したような男であったとしたならば、寺院の商人達は、ほとんどイエスの前から逃げなかったであろうに。彼の男らしさには、威厳があった。かれは、立派で、しかも自然であった。イエスは、温和で、和やかで、優しく、親切な神秘主義者としての姿勢をとらなかった。その教えは、感動的に豪快であった。かれは、良く意図するだけではなく、実際に良く為ようと歩き回った。[5]
141:3.7 あるじは、「怠惰な者、夢みる者は皆来れ。」とは決して言わなかった。しかし、何度も、「働く者は皆来れ。そうすれば、休息を与えよう—精神の強さを。」と言った。あるじのくびきは、実に簡単であるにもかかわらず、それを決して押しつけない。あらゆる個人は、自身の自由意志のこのくびきを取らなければならない。[6][7]
141:3.8 イエスは、犠牲による征服、誇つまり誇りと私心の犠牲を描いた。慈悲を示すことにより、かれは、すべての遺恨、不平、怒り、利己的な力と報復への欲望からの精神的な救出を描こうとした。そして、かれが「悪に抵抗するな」と言うとき、罪を大目にみたり、または仲間に不正をすすめることを意味しないと、彼は後に説明した。かれは、むしろ許しの教え、「人の人格に対する悪行への抵抗、個人の尊厳のその人の感情に対する悪害への抵抗」を意図した。[8]
141:4.1 アマススに逗留中、イエスは、新しい神の概念に関し教えて使徒に多くの時間を過ごした。かれは、再三、神は父であると、全創造の正当な裁判官として彼が後に彼らを裁くとき、彼らに対して用いられるべき罪と悪の記帳係、地球上の間違えている子供に対して損害を与える記帳係に主として従事している有能で最高の帳簿係ではないということを教え、使徒達に感銘を与えた。ユダヤ人は、神をすべての上の王として、国家の父としてさえ長い間、思い描いてきたが、かつて数多くの人間は、個人の情愛深い父としての神の考えを決して抱いたことはなかった。[9][10]
141:4.2 トーマスの質問「王国のこの神はどなたですか。」に対し、イエスが答えた。「神は君の父であり、宗教—私の福音—は、君が、彼の息子であるという真実の認識を信じること以外の何ものでもない。そして、私の人生と教えにおいてこの両方の考えを明らかにするために、私は、実際にあなたの間のここにいる。」[11]
141:4.3 イエスはまた、宗教義務として動物の贄を捧げる考えから使徒の心を解放しようとした。しかし、日々の供え物の宗教で訓練されたこの男性達は、イエスの意図の理解に時間が掛かった。それでも、あるじは、その教えにおいて飽きることはなかった。1 つの具体例によって使徒全員の心に達することができないとき、かれは、明確にする目的で趣意を言い直し別の種類の寓話を用いるのであった。
141:4.4 この同じ時にイエスは、「苦しむ者を慰め病む者を世話すること」の任務に関し、さらに詳しく12人に教え始めた。あるじは、全人間—個々の男性または女性を形成する体、心、精霊の統合—について多く教えた。イエスは、仲間が遭遇するであろう3 つの形の苦悩について話し、人間の病の悲しみに苦悩する全ての者に対しどのように奉仕すべきかを説明し続けた。彼らに以下の事を認識することを教えた。[12]
141:4.5 1. 肉体の病気—一般に身体の病気と考えられているそれらの苦悩
141:4.6 2. 悩む心—後に感情的かつ精神的な撹乱として見られていたそれらの非身体的苦悩
141:4.7 3. 悪霊の憑依
141:4.8 イエスは、その時代に、しばしば汚れた霊とも呼ばれたこれらの悪霊の起源に関する性質や何かを時おり使徒に説明した。あるじは、悪霊の憑依と狂気の違いをよく知っていたが、使徒はそうではなかった。ユランチアの初期の歴史に関する彼等の限られた知識から考えても、イエスが、完全にこの件を理解させることを引き受けることも可能ではなかった。だが、これらの悪霊について暗示しながら、かれは、しばしば言った。「私が天の父の元に昇ったとき、私が自分の精霊をそれ等の時代のすべての者に注いだ後、王国が大いなる力と精霊の栄光に到達するとき、それらは、もう人に危害を加えないであろう。」[13]
141:4.9 週ごと月ごとに、この年を通して、使徒は、病人の治療の奉仕にますます注意を向けた。
141:5.1 アマススでの毎晩の会議の中で最も重大なものの1つは、精霊統一の議論に関するものであった。ジェームス・ゼベダイは、「あるじさま、我々は同じように見て、その結果、我々の間にある調和を楽しむことをどのように会得すればよいのでしょうか。」と尋ねた。この質問を聞くと、イエスは、精神がかき混ぜられ、「ジェームス、ジェームス、同じく見るべきであるといつ私が教えたか」と答えたほどであった。私は、神の前で死すべき者に独創性と個々の自由な生活を送る権限が与えられるように精霊的な自由を宣言するためにこの世に来た。私は、社会的調和と友愛の平和が、自由な人格や精神の独創性の犠牲によって買い入れられることを望まない。私が君等に要求することは、使徒達よ、精霊の統一であり、天の私の父の意志を心からすることを君の結合した献身の喜びにそれを経験することができる。精霊的に同じくあるために、同じく見たり、同じく感じたり、あるいは、同じく考えたりさえする必要はない。精霊的統一は、天の父の精霊の贈り物が君達それぞれに宿っており、ますます支配されていくという意識からくる。使徒としての調和は、各人の精霊の望みが、起源、性格、運命において同じであるという事実から起こらなければならない。[14][15]
141:5.2 「このように、君たちは、各人の内在する楽園の精霊の同一性の相互意識から成長する精霊目的と精霊理解の完全な統一を経験することができる。そして、君たちは、理性的な考え、気質上からくる感情、社会的な行為の個々の態度の最大の多様性のまさしくその表層においてこの深遠な精神的統一のすべてを楽しむことができる。人格は、爽やかに多様であり、著しく異なっているかもしれないが、一方で、神性崇拝と兄弟愛の精霊的本質と精霊の実りは、一現化されるので、君の生活を凝視する者すべてが、この精霊の同一性と魂の統一を認める保証するかもしれない。君たちが私と一緒にいて、それによって、そして満足に、天の父の意志を如何に為すかということを、彼らは、学んできたと気づくであろう。心、体、魂の本来の資質の手法に応じて、そのような奉仕をする間でさえも、神への奉仕の統一を達成することができる。
141:5.3 「精神の統一は、常に個々の信者の人生において調和すると分かるであろう2 つのことを意味する。まず最初に、君は、人生奉仕のための共通の動機をいだいている。君は全員、何よりも天の父の意志をすることを望んでいる。第2には、人は皆、共通の目標がある。人は皆、天の父を求める目的があり、その結果、彼のようになるということを宇宙に立証する。」
141:5.4 12人の研修中、イエスは、何度となくこの主題に立ち帰った。繰り返し、かれは、彼を信じる人々が、たとえ良い人の宗教解釈によるものでも教義化されたり、規格化されるようになるべきであるというのは、自分の願望ではないと彼らに言った。再三、かれは、使徒に王国に関する福音で信者を誘導し、制する方法として教義の定式化と伝統の体制化を避けるよう注意した。
141:6.1 アマススでの最後の週の終わり近く、シーモン・ゼローテースは、ダマスカスで商業に携わるペルシア人のテヘルマという者をイエスのもとに連れて来た。テヘルマは、イエスについて耳にし、カペルナムに会いに来て、そこで、イエスが使徒とエルサレムへ向かいヨルダン川に沿って行ったと知ったので、探しに出向いたのであった。アンドレアスは、教授のためにテヘルマをシーモンに会わせた。シーモンは、「拝火者」としてペルシア人を見ているが、テヘルマは、火が純然かつ聖なるものに見える象徴にすぎないと説明するのにかなりの苦心をした。イエスと話した後、ペルシア人は、教えを聞き、説教を聞くために数日間残る意志を表した。
141:6.2 イエスと二人きりのとき、シーモン・ゼローテースは、あるじに尋ねた。「私が彼を説得できなかったのは何故でしょうか。私にはそれほどまでに抵抗し、あなたにはとても容易に耳を貸したのは何故でしょうか。」イエスが答えた。「シーモン、シーモン、何かを救済を求める人々の心から取り出すようなすべての努力を控えるように私は何度教えてきたことか。幾度私は、これらの飢えた魂に何かを入れるためだけに働くように言ってきたことか。人を王国に導きなさい。そうすれば、王国の大いなる、また生きる真実が、やがて、すべての重大な誤りを追い出すであろう。君が、神は父であるという良い知らせを人間に提示したとき、彼が本当に神の息子であるということを彼により簡単に説き伏せることできる。そして、君は、それをし終えることにより暗闇に座るものに救済の光を持って来たのである。シーモン、人の息子が、君たちのところに最初に来たとき、モーシェと予言者を非難して、そして、新しくより良い生き方を宣言して来たか。いや、私は、人が祖先から得たものを持ち去るのではなく、祖先が一部だけ見たもののその完成された展望を示しに来た。シーモン、王国についての教えを説きに行きなさい。そして、君が、王国内に安全に確実に一人の人間を伴っているとき、そしてそのような者が、君のもとに質問に来るとき、その時こそが、神の王国の内で魂の漸進的進歩と関係づける指導を与える時である。」
141:6.3 シーモンは、これらの言葉に驚いたが、イエスの命じた通りにした。そして、このペルシア人テヘルマは、王国に入った人々の数のうちに数えられた。
141:6.4 その夜、イエスは、王国の新しい人生について使徒に語った。その一部「王国に入るとき、人は生まれ変わっている。君達は、肉体だけが生まれ変わった者には精霊の深いものを教えることはできない。最初に、精霊の高度な道を教えようとする前に人が精霊的に生まれ変わっているかを見定めよ。まず寺院に連れて入るまで、人に寺院の美しさを示そうとしてはいけない。君は神の父性と人の息性との教義について話す前に、人を神の息子として神に紹介せよ。人と争うではない—つねに忍耐強くあれ。それは、君の王国ではない。君は大使にすぎない。単に宣言をしに旅立ちなさい。これは、天の王国である—神は君の父であり、君はその息子である。そして、この朗報は、心からそれを信じるならば、君の永遠の救済である。」[16]
141:6.5 使徒は、アマススでの滞在中、大きく前進した。しかし、イエスがヨハネの弟子の扱いに関し提案を与えないことにとても失望していた。洗礼の重要な件に関してさえ、イエスが言った全ては、次の通りであった。「ヨハネは、確かに水で洗礼したが、天の王国に入るとき、君達は精霊者で洗礼されるのである。」[17]
141:7.1 2月26日、イエス、使徒、追随者の大集団は、ヨハネが来たるべき王国の宣言を最初にした場所のベサニアの近くの浅瀬のペライアに向けてヨルダン川を旅した。イエスと使徒は、ここに留まり、エルサレムへ進む前の4 週の間、教育と説教をしていた。
141:7.2 ヨルダンの先のベサニア滞在の2週目、イエスは、3日間の休息のためにペトロス、ジェームス、ヨハネを連れて川向こうの、そしてイェリーホの南の丘に行った。あるじは、3人に天の王国に関する多くの新しく高度な真実を教えた。この記録の目的のために、我々は、次のようにこれらの教えを再編成し、分類する。
141:7.3 イエスは、弟子達が王国のみごとな精霊の現実を味わい、人間が弟子達の生活を見ることにより、王国を意識するようになり、そこから、王国の道に関心をもつ信者達の世界に住むようになるということを強く望むと分からせようとした。その永遠で、神々しい精霊の現実で王国への入国を保証する信仰の贈り物の喜ばしい知らせを聞くことは、全てのそのような誠実な真実の探求者には常に嬉しいことである。
141:7.4 あるじは、王国に関する福音の全教師の唯一の仕事は、個々の人間に彼の父として神を明らかにすること—この個々人が息子としての意識をもつようになるよう導くこと—であると、そして、その信仰をもつ息子としてこの同じ人間を神に紹介することを彼等に銘記させようとした。この不可欠な双方の顕示が、イエスに達成されている。かれは、本当に、「道、真実、命」となった。イエスの宗教は、完全に地球での彼の贈与の人生生活に基づいた。イエスがこの世を去って行くとき、個人の宗教生活に影響する本も、法も、あるいは人間組織の他の形式も後には残さなかった。[18]
141:7.5 イエスは、他の全ての人間関係よりも永遠に優先すべき人間との個人的かつ永遠の関係を樹立するために来たのだということを明らかにした。そして、かれは、この親密な精霊的親交は、全世代、全民族の間の全社会的条件におけるすべての人々に拡大されることになっていると強調した。彼が子供等に約束した唯一の報酬は次の通りであった。現世においては—精霊的な喜びと神の交わり。来世においては—楽園の父に属する神性の精霊現実の進展における永遠の命。
141:7.6 イエスは、王国に関する教えの最重要の2つの真実を大いに強調した。それは、つぎの通りである。真実の真摯な認識を通して、人間の自由達成のための画期的教育に関連づけられる信仰による、信仰のみによる救済の達成である。「人は、真実を知り、そして、真実は人を自由する。」イエスは、物質的に現された真実であり、天の父の元への帰還後に、自分のすべての子供の心の中に真実の聖霊を送ると約束した。[19][20]
141:7.7 あるじは、地球上の全ての時代のために、使徒に真実の要点を教えていた。かれらは、実際は彼の言うことが他の世界の感化や啓発を目的とした教えを、しばしば聞いた。かれは、人生の新しく独創的な計画を例示した。、人間の見地から、かれは、本当にユダヤ人であったが、領域の死すべき者として全世界のためにその人生を送った。
141:7.8 王国計画の展開における父の認識を保証するために、イエスは、「地球の偉人」を意図的に無視したと説明した。かれは、貧しい者達、つまり先行する時代の大部分の進化の宗教によって甚だ無視されてきたまさにその階級の中で自分の仕事を開始した。かれは、人を軽蔑しなかった。彼の計画は、世界規模であり、宇宙規模でさえあった。かれは、これらの発表において非常に大胆で断固としていたので、ペトロス、ジェームス、ヨハネでさえ、彼がことによると気が狂っているかもしれないと考えたくなるほどであった。[21][22]
141:7.9 かれは、小数の地球の被創造者のために模範を示すためではなく、彼の全宇宙の中の全世界の全民族のために人間生活の基準を確立し、示すためにこの贈与任務についたという真実を使徒に穏やかに伝えようとした。そして、この基準は最も高い完全さに、宇宙なる父の究極的善にさえ働きかけた。しかし、使徒は、彼の言葉の意味を理解することができなかった。
141:7.10 かれは、師として、物質的な心に精霊の真実を提示するために天から送られた教師として機能するために来たのだと発表した。そして、これは、まさしく彼がしたことである。かれは伝道者ではなく教師であった。人間の観点から、ペトロスは、イエスよりはるかに効果的な伝道者であった。イエスの説教は、思わずつり込まれる雄弁さ、あるいは感情に訴えるという理由では余りなく、無比の人柄故にとても効果的であった。イエスは、直接人の魂に話した。かれは、人の精神の、だが心を通しての教師であった。かれは、人と共に生きた。[23]
141:7.11 イエスは、地球での彼の仕事は、ある点に関して、「高いところにいる仲間」の委任によりすなわち、楽園の兄弟、イマヌエルの前贈与の指示に言及して、制限されるということをピーター、ジェームス、ヨハネに仄めかした。父の意志を為すため、父の意志のみを為すために来たということを告げた。このようにして心からの目的への専念に動機づけられていたので、世界の悪に思い悩み苦しんではいなかった。[24]
141:7.12 使徒達は、イエスの気取らない友情を認識し始めていた。あるじは、近づき易くはあったが、いつもすべての人間から独立し、すべての人間の上に生きていた。一瞬たりとも、単なるどういった人間の影響、あるいは脆い人間の判断に支配されなかった。世論に全く注意を向けなかったし、称賛に影響されなかった。滅多に誤解を正すためや、または誤伝に憤慨するために止まらなかった。どんな人にも決して忠告を求めなかった。自分の為に祈ることを決して要求しなかった。
141:7.13 イエスがいかに始めから終わりまで見えているように思えてジェームスは驚いた。あるじは、驚いているようには滅多に見えなかった。決して興奮もせず、困りもせず、また混乱もしなかった。どんな人にも決して謝らなかった。時には悲しんだが、決して挫折しなかった。
141:7.14 神の全贈与にもかかわらず、結局イエスは人間であると、より明確にヨハネは、認めた。イエスは、人として人の中に生き、人を理解し、愛し、また人の扱い方を知っていた。個人的な人生においては、非常に人間的であり、しかも欠点なぞなかった。その上、いつも寡欲であった。[25]
141:7.15 ピーター、ジェームス、ヨハネは、イエスがこの時に言ったことをあまり理解することはできなかったが、その優しい言葉は心の中に残り、また磔刑と復活後、かれらは、後の彼等の聖職活動を大いに豊かにし、晴れやかにした。かれらが、あるじの言葉を完全理解しなかったというも不思議ではない。かれが、新時代の計画を使徒に映し出していたのであるから。
141:8.1 ヨルダンの先のベサニアでの4 週間の滞在を通して、アンドレアスは、使徒の二人組を毎週何度か、1日または2日間イェリーホに行くように命じるのであった。ヨハネには、イェリーホに多くの信奉者がおり、その大多数が、イエスと使徒達のより先進の教えを歓迎した。これらのイェリーホ訪問の際、使徒は、とりわけ病人にイエスの教えを聖職活動に当てはめて実行し始めた。彼らは、都市のあらゆる家を訪問し、あらゆる苦しめられている人を慰めようとした。[26]
141:8.2 使徒は、イェリーホで若干の公の仕事をしたが、彼らの努力は、 より静かで個人的性質のものであった。そのとき彼らは、王国に関する朗報は病人にとって非常に元気づけるもの、自分達の言葉が苦しめられている者にとり癒しであることが分かった。そして、王国の喜ばしい知らせを説き、苦しめられている者への聖職活動という12人のイエスからの任務が最初に完全な効果をみたのは、イェリーホであった。
141:8.3 彼らは、エルサレムへの途中イェリーホに立ち寄り、イエスと協議するために来ていたメソポタミアからの代表団に追いつかれた。使徒は、ここで1日だけ過ごす計画であったが、東洋からのこれらの真実探求者が到着すると、イエスは、彼らと3日間を過ごし、真実探求者は、天の王国の新たな真実に関する知識に満足し、ユーフラテス川沿いのそれぞれの家に戻った。
141:9.1 月曜日に、3月の最後の日、イエスと使徒は、エルサレムへの旅に向かい丘へと登り始めた。ベサニアのラーザロスは、イエスに会いに二度ヨルダンまで行ったことがあり、あるじと使徒がエルサレムに留まることを望む限り、ラザロとその姉達は、本部作りのためにあらゆる手筈をとっていた。
141:9.2 ヨハネの弟子達は、群衆に教え洗礼し、ヨルダンの先のベサニアに滞在していので、ラザロの家に到着したとき、イエスは、12 人だけを従えていた。ここで、イエスと使徒は、5 日間留まり、過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに進む前に元気を取り戻した。弟の家にあるじとその使徒を受け入れるということは、そこで彼らの必要を満たせることができ、マールタとマリアの人生でのすばらしい出来事であった。
141:9.3 4月6日、日曜の朝、イエスと使徒は、エルサレムに出掛けて行った。そして、これは、あるじと12 人全員がそこに一緒に居た最初であった。[27]