32:0.1 地方宇宙は、マイケルの楽園系列の創造者たる息子の業によるものである。それは、それぞれが、100の棲息界の体制を抱き込 む100の星座を構成する。各体制は、やがては1,000程の棲息圏を包含するであろう。
32:0.2 時間と空間のこれらの宇宙は、すべて進化的である。楽園の マイケルの創造的計画は、常に物理的で、知的で、精霊的であり、またそのような地方宇宙を包括する圏にある様々な系列に生息する多種多様の創造物のゆるやかな進展と累進的発展の道に沿って進む。
32:0.3 ユランチアは、その主権者がネバドンの神-人間である、すなわちナザレのイエススでありサルヴィントンのマイケルである地方宇宙に属する。そして、この地方宇宙のためのマイケルの全計画は、イエススが空間の最高の冒険に乗り出す前に楽園の三位一体により全面的に承認された。[1]
32:0.4 神の息子達は、自身の創造者活動領域を選んでもよいのだが、これらの物質的創造は、そもそも宇宙の楽園の建築者達により考案され計画された。
32:1.1 前宇宙の空間-根源力と根本的エネルギーの操作は楽園の主たる根源力の組織者の仕事である。しかし、超宇宙の領域においては、生まれつつあるエネルギーが地方の、あるいは線的重力に反応し始めると、楽園の主たる根源力の組織者は、関係する超宇宙の力の責任者を優先させて退く。
32:1.2 力の管理者は、単独で地方宇宙の創造段階の物質以前の、力の後の局面において機能する。力の責任者が、出現しつつある宇宙のために物質的な基礎—文字通りの太陽と物質的球体—を供給するために十分に空間-エネルギーの動員に効果をもたらすまでは、創造者たる息子には宇宙組織を始める機会は何もない。
32:1.3 地方宇宙はすべて、物理的規模において大いに異なり、その時々に目に見える物質内容は様々であるかもしれないが、ほぼ同じエネルギーの可能性をもつ。地方宇宙への力の補充と可能な物質の授与は、創造者たる息子の活動はもとより力の管理者とその前任者の操作により、また創造者たる息子の創造的な仲間によって保持される固有の物理制御の授与によって決定される。
32:1.4 地方宇宙エネルギー補充は、その超宇宙の力の授与のおよそ1/100,000である。あなたの地方宇宙であるネバドンの場合、質量の物質化は、 取るに足りないほどである。物理的に言って、ネバドンは、オーヴォントンの地方創造のいずれにおいても見られるエネルギーと物質の物理的授与のすべてを所有している。ネバドン宇宙の開発拡大にける唯一の物理的制限は、総合体としての宇宙機構の関連する力と人格の重力支配により閉じ込められる空間エネルギーの量的補充にある。
32:1.5 エネルギー物質が、質量物質化の一定局面に達すると、楽園の創造者たる息子は、無限の精霊の創造の娘に伴われてその場面に現れる。創造者たる息子の到着と時を同じくして、作業が、考案された地方宇宙の本部世界になる建築球圏で始められる。そのような局部的創造が展開する長い期間、太陽は、安定し始め、惑星は、その軌道を形成し弧を描いて回り、一方星座本部と体制首都の役割を果たすことになる建築世界創設の作業が続く。順番
32:2.1 創造者たる息子には、第三根源と中枢に起源をとる力の管理者と他の存在が先行する。あなたの創造者たる息子であるマイケルは、あらかじめこのようにして組織化された空間のエネルギーからネバドンの宇宙の棲息領域を確立し、以来ずっとその管理にきめ細かに専念してきた。これらの神性の息子は、前存在エネルギーから目に見える物質を具体化し、動物を考案し、そして無限の精霊の宇宙臨場の協力で精霊人格のさまざまの部下を創造する。
32:2.2 創造者たる息子のずっと以前、宇宙組織の予備の物理的作業においてこれらの力の管理者とエネルギー制御者達は、当初組織し回路にのせたそれらのエネルギーの関連する支配に永久に留まり、この宇宙なる息子との素晴らしい繋がりで後に役目を果たす。サルヴィントンでは、この地方宇宙の最初の形成において協同した同じ100の力の中心部が、あなたの創造者たる息子と共にいま機能している。
32:2.3 物理的創造の完成されたネバドンでの最初の活動は、その衛星とともに本部世界機構に、すなわちサルヴィントンの建築圏においてであった。力の中心部と物理支配者の初期の移動時からサルヴィントンの完成された球体の生きているものの到着までには、あなたの現惑星時間でのわずかに10億年以上が介在した。考案された星座の100の本部世界の創造と考案された地方宇宙の惑星支配と行政の1万の本部圏の創造が、各建築衛星と共にサルヴィントンの建設直後に続いた。そのような建築世界は、モロンチア、あるいは存在体の過渡期の段階はもとより物理的人格と精霊的人格の双方に対応するように設計されている。作られている
32:2.4 ネバドンの本部であるサルヴィントンは、地方宇宙の正確なエネルギー物質の中心に位置する。しかし大きい体系は、その物理的中心に存在しているものの、あなたの地方宇宙は、単独の天文体系ではない。
32:2.5 サルヴィントンは、ネバドンのマイケルの個人的本部であるが、いつもそこに見つけられるというわけではない。あなたの地方宇宙の円滑な機能は、もはや首都圏での創造者たる息子の定着的臨場を必要としないが、これは、物理的組織の以前においてはそうではなかった。創造者たる息子は、十分なエネルギーが物質の相互誘引により互いが釣り合うように種々の回路と機構を可能にできる具体化により領域の重力安定化に効果をもたらすそのような時まで自分の本部世界を去ることができない。創造者たる息子は、十分なエネルギーの物質化が、種々の回路と機構を物質の相互誘引により互いの釣り合いが可能にする領域の重力安定化に効果をもたらすそのような時まで自分の本部世界を去ることはできない。
32:2.6 やがて宇宙の物理的計画は完成され、創造者たる息子は、創造の精霊と関連して生命創造の自己の計画を実行する。するとすぐに、無限の精霊のこの提示は、明確な創造的人格としての彼女の宇宙機能の機動にはいるのである。この最初の創造的行為が系統立てられ執行されるとき、同一性のこの初期の創造的概念と神性の理想の人格化である輝く明星が突如として出現する。これは、創造者たる息子の個人的な仲間であり、神性の属性が著しく制限されるものの性格のすべての局面において創造者たる息子のような宇宙の最高責任者である。
32:2.7 さて、創造者たる息子の片腕となる助手と最高責任者が与えられ、広大で素晴らしい異なる創造物の配列の誕生が続く。地方宇宙の息子と娘が現れつつあり、その後間もなく宇宙の最高協議会から星座の父と地方体系—意志をもつ被創造物の人間の様々な人種の家となるよう設計されるそれらの世界の集合体--の君主へと広がるそのような創造の政府が設置される。そして、これらの世界のそれぞれが、惑星王子により統括されるであろう。
32:2.8 次いで、創造者たる息子は、これほどまでにそのような宇宙が完全に組織化され、要員が十分に配置されると、人間を自分と父の神格の姿に創造するという父の提案を実行し始めるのである。[2]
32:2.9 惑星居住の組織化は、この宇宙が、オーヴォントンの星と惑星の領域の実に若い一団であるが故に、ネバドンでは今なお進行中である。最後の登録でネバドンには384万101の居住惑星があり、またあなたの世界の地方体系であるサタニアは、他の体系を大いに代表するものである。
32:2.10 サタニアは、一定の物理的体系ではなく単一の天体単位でも組織でもない。その619の居住世界は、500以上の異なる物理的体系に位置する。そのうちの5体系のみが、3個以上の棲息界をもち、その内の1つだけが人の住まう4個の惑星を持ち、一方2つの居住世界を持つのは、46体系である。
32:2.11 棲息界のサタニア系は、ユヴァーサと7番目の超宇宙の物理の、あるいは天文の中心として機能するその大なる太陽集団からは遠くに取り外されている。それは、サタニア本部のジェルーセムから銀河密集状態の直径のはるかかなたのオーヴォントンにある超宇宙の物理的中心部へは20万光年以上ある。サタニアは地方宇宙の外周にあり、ネバドンは、現在オーヴォントンのはずれのかなり外側にある。棲息界の一番はずれの体系から超宇宙の中心へは、25万光年足らずである。
32:2.12 ネバドンの宇宙は、現在オーヴォントンの超宇宙回路の遠く南東に揺動する。最近接の宇宙は次の通りである。アヴァロン、ヘンセロン、サンセロン、ポータロン、ウォルヴェリング、ファノヴィング、アルヴォリング。
32:2.13 それにしても、地方宇宙の発展は、長きにわたる物語である。超宇宙を扱う論文は、この主題を紹介し、地方創造を扱うこの部分の論文は、それを続け、その後に続く論文は、ユランチアの歴史と将来の目標に触れて物語を終える。しかし、あなたは、かつてあなた自身の進化する世界において人間の姿でのその生活を送ったような創造者たる息子に関する人生と教えの物語の精読によってのみ、そのような地方創造の人間の将来の目標を適切に理解できるのである。
32:3.1 時間と空間の物理的体系は、元来はすべて進化的である。それらは、各超宇宙の定着回路にのせるまで物理的にさえ安定していない。地方宇宙は、拡大と開発の物理的可能性が消耗するまで、その上、そのすべての棲息界の精霊の地位が永遠に治まり安定するまで光と生命の中に定着はしない。
32:3.2 時間と空間の物理的体系は、起源においてはすべて進化的である。それらはそれぞれの超宇宙の定着回路にのせるまで物理的にさえ安定していない。地方宇宙は、拡大と開発の物理的可能性が消耗するまで、その上、そのすべての棲息界の精霊の地位が永遠に治まり、安定するまで、光と生命の中に定着しない。
32:3.3 完全性は、中央宇宙の中以外では進歩的到達である。我々は、主要な創造においては完全性の型を持っているが、他のすべての領域では、それらの特定の世界か宇宙の前進のために確立された方法によりその完全性に到達しなければならない。そして、ほとんどの無限の多様性は、各地方宇宙の組織、発展、矯正の教授、加えて、定着に向けて創造者たる息子の計画を特徴づける。
32:3.4 あらゆる地方宇宙は、父の神格の臨場を除き、ある意味において、中央の行政組織、あるいは型創造の複製である。宇宙なる父は、居住宇宙に自ら臨場してはいるものの、時間と空間の人間の魂と共に文字通りの意味で住んでいるようにはその宇宙に起源をもつ存在体の心には宿らない。広範囲の創造の精霊的活動の調整と規則には、すべて賢明な補償があるように思える。父は、中央宇宙においてはそのようなものとして個人的に臨場しているが、完全なその創造の子供の心には不在である。空間の宇宙においては、君主たる息子が、代理を努めており、父本人は、不在である。その間、父は、これらの意志をもつ被創造物の心に住まう神秘訓戒者の前人格の臨場が精霊的に代理を努め、人間の子供達の心に親密に臨場する。
32:3.5 宇宙なる父の人格的臨場を除く自己充足的権威と行政自治をもつすべての創造者と創造的人格が、地方宇宙の本部に住んでいる。地方宇宙には、宇宙なる父を除く中央宇宙に存在する全階級の知的存在体の何者かについて、また何者かの何かについての発見がある。宇宙なる父は、地方宇宙には自らは臨場していないとはいえ、直接には創造者たる息子、神の先の代理人、後には主権を有する最高の、君主たる支配者が、その代理を務める。
32:3.6 我々が生命の段階を下方に行けば行くほど、目には見えない父の居場所の信仰の目による識別は、ますます困難になる。下等の被創造物には、—時としては高等の人格でさえ—創造者たる息子の中に宇宙なる父を常に認識することは難しいと分かる。精霊的高揚の時を待つ間、発達の完全化が神に直接に会うことを可能にするとき、下等の被創造物は、次第に疲れてきて、精霊上の疑問をいだき、混乱に陥り、こうして時間と宇宙の進歩的な精霊の目的から自分自身を隔離する。彼らは、このように創造者たる息子をじっくり見ているときに父に会う能力を失う。父に至る長い葛藤を通じての生物のための最も確かな防衛は、生来の状態がそのような到達を不可能にするこの時、その息子の中の父の臨場の真実-事実に粘り強く掴まることである。父と息子は、文字通りにも比喩的にも、精霊的にも人格的にも一つである。これは事実である。創造者たる息子を見たものは父を見たということ。[3][4]
32:3.7 ある宇宙の人格は、最初は、神格への関係の度合に比例してのみ安定し信頼できる。生物起源が、最初の神性の根源からかなり遠のくと、我々が神の息子、あるいは無限の精霊に属する奉仕活動の被創造物に対応しているか否かに関係なく、不調和、混乱、時には反逆—罪—の可能性が増大する。
32:3.8 神格起源の完全な存在体は例外として、超宇宙の意志をもつすべての被創造物は、下等の状態に始まり上向きに登る、事実上は内へと進化の本質をもつものである。非常に精霊的な人格でさえ、生活から生活へと、世界から世界へと向上的移動による生命の段階を昇り続ける。神秘訓戒者を歓待する者の場合は、その精霊的上昇と宇宙到達の可能な高さには、実に何の限界もない。
32:3.9 時間の生物の完成とは、遂に達成されるとき、完全に修得というもの、正真正銘の人格所有というものである。恩恵の要素は、自由に混合しているとは言うものの、創造物到達は、個々の努力と実際の生活、すなわち既存環境への人格反応の結果である。
32:3.10 動物進化の起源の事実は、それが意志をもつ有限の知的創造物の2つの基本的な型の1つを産する排他的方法であるので、宇宙の観点からすればいかなる人格にも汚名を着せない。完全性と永遠の高みに達するとき、人生の低部に始まり、そして嬉々として、ぐるぐると、生命のはしごを登る者の、また、栄光の絶頂に達するとき、人生の底部から天辺までのあらゆる局面に関わる実際の知識を具体化する個人的経験を積む者のなお一層の栄誉である。
32:3.11 創造者の知恵は、すべてに示されているのである。すべての人間を完全なものにすること、自らの神の言葉によって完全性を伝えることは、宇宙なる父にとって同じく簡単であろう。しかし、それは、長くゆるやかな内部への潜り込みに付随する冒険と鍛練からの素晴らしい経験、つまり幸運にも生活のどん底から始める者によってのみ積まれる経験を奪うであろう。
32:3.12 ハヴォーナを取り囲む宇宙においては、生命の進化段階にいる上昇者向けの模範教師の案内者の需要に合致する数の完全な被創造物だけを有する。進化の型の人格の経験的本質は、楽園-ハヴォーナ創造物のつねに完全な本質がもつ、の、宇宙の自然な補足物である。現実には、完全な創造物と完成された創造物の両者は、有限全体の点では不完全である。しかし両者の型は、進化的宇宙から上昇する経験的には完成された終局者との楽園-ハヴォーナ体系の実存的には完全な創造物の補完的関係において固有の限界からの解放を見い出し、その結果、創造物の究極の地位における高尚な高みへの到達を共同で試みるかもしれない。
32:3.13 創造物のこれらの処置は、七重の神格の中の活動と反応であり、そこでは、楽園三位一体の永遠の神性が、崇高なるものの力の実現化の中において、それにより、またそれを介しての時空間宇宙の崇高な創造者の発展する神性と結合される。
32:3.14 神のように完全な創造物と完成された進化的創造物は、神性の可能性の度合いにおいては等しいが、本質的に異なる。それぞれが、奉仕の崇高性に達するために他方に頼らなければならない。進化的超宇宙は、上昇する公民のための最終訓練を提供するために完全なハヴォーナに頼るが、完全な中央宇宙もまたその下降する居住者の完全な進化に備えるために完成する超宇宙の臨場を必要とするのである。
32:3.15 有限現実の2つの主要な顕現は、すなわち先天の完全性と進化された完全性は、人格か宇宙であるかにかかわらず、調和し、依存し、統合している。それぞれが、機能、奉仕、将来の目標の完成を遂げるためにもう一方を必要とする。
32:4.1 宇宙なる父は、それほどまでに自分自身と力の多くを他者へ委任したという理由で、神格の協力関係につらなる沈黙の、あるいは不活発な成員であるという考えを抱いてはいけない。人格の領域と調整者の贈与は別として、宇宙なる父は、極力永遠の目的遂行を果たすために神格等位者、自分の息子、および多数の創造された有識者に許すそれに明らかに楽園の神格の中で最も積極的でないのである。対等の、あるいは従属の仲間のいずれもが、できることを決してしないという理由においてのみ、創造的な三つ組の中の沈黙の一員である。
32:4.2 神は、あらゆる知的な生物の機能と経験の必要性に十分に理解があり、それゆえあらゆる状況において、宇宙の目標に関するものであろうと、被創造物の中の最下級にある者達の福祉に関するものであろうと、本質的に自分と任意の宇宙状況または創造的な出来事の間にきら星のようにいる創造物の人格と創造者の人格を支持して活動から退く。しかし、この退役、すなわち無限の調整のこの提示にもかかわらず、神としては、これらの定められた媒体と人格により、そしてそれらを通じてのこれらの出来事における実際の、文字通りの、そして個人的な参加がある。父は、広範囲にわたる自分の全創造の福祉のためにこれらの全回路のにおいて働いている。
32:4.3 宇宙なる父は、地方宇宙の政策、運営、行政に関して創造者たる息子の人の中にあって行動する。息子と神の相互関係において、第三根源と中枢内の人格の集団の関連性において、または人間といったような他のいかなる創造物との関係において、—宇宙なる父は、そのような関連性に決して介入しない。創造者たる息子の法、星座の父、体制君主、惑星王子の規則、—その宇宙のために定められた方針と手順—は、常に優先する。権威にいかなる分割もない。神性の力とその目的に、決して相反の働きはない。複数の神格には、完全で不変の合意がある。
32:4.4 創造者たる息子は、倫理的関連性、すなわち他のどのような階級への創造物のいかなる分割関係、またはいかなる任意の集団中の2名あるいはそれ以上の個人の関係の全ての問題において統治する。だが、そのような計画は、宇宙なる父が自身の方法で介入しないかもしれないということを意味しないし、その個人の現在の状態か将来の見通しに関し、また父の永遠の計画と無限の目的に関し全創造の中のいかなる個々の生物とともに神の心を喜ばせるものは何でもしないということを意味しない。
32:4.5 意志をもつ必滅の創造物の中の父は、前人格の自分の精霊である内住する調整者に実際に臨場する。そして父もまた意志をもつそのような必滅の創造物の人格の源である。
32:4.6 宇宙なる父の贈与であるこれらの調整者は、かなり孤立しており、人間の心に宿るはするが、地方創造の倫理的問題には識別し得る何のつながりもない。それらは、熾天使の奉仕とも、また体制、星座、地方宇宙の行政とも、意志が自分の宇宙の最高の法である創造者たる息子の規則にさえ直接連携していない。
32:4.7 内住する調整者は、無限も同然の創造物と接触する神の別の、しかも統一された形態の1つである。人間には見えない神は、その臨場を明らかにし、またそうできれば、さらに他の方法で我々に自分を見せるであろうが、そのような更なる顕示は、神としてはありえない。[5]
32:4.8 我々は、息子が自分の管轄の宇宙にかかわる親密かつ完全な知識を享受することにより機構を見て理解できる。我々には、神がそれほどまでに完全に、また直に宇宙の中の宇宙に精通しているその方法を完全に理解できないとはいえ、我々は、宇宙なる父が、自らの膨大な創造の存在体に関する情報を受け、またそれに自己の臨場を示すことができる手段に気づくことができる。父は、人格回路を通して認識する—直接的認識がある—全宇宙の全創造の全体制における全存在体の考えや行為について。我々は、子供との神の親交のこの方法を完全に理解できるわけではないが、「主は自分の子供を知る」ということ、我々各自の「生まれた場所に気づく」ということを確信して元気づけられることができる。[6]
32:4.9 宇宙なる父は、あなたの宇宙の中とあなたの心の中に、精霊的立場から言って、主たる7精霊の1名によって、特に人間の心の深層に住まい、働き、待っている神性の調整者によって臨場している。
32:4.10 神は、自己中心の人格ではない。父は、自由に自分の創造と創造物に自身を分配する。神は、神格ばかりにではなく神らしく行ない得る全行為をゆだねるその息子の中にもまた生きて行動する。宇宙なる父は、実に別の存在が実行できるあらゆる機能を自ら剥ぎ取った。これは、地方宇宙本部において神の代理で統治する創造者たる息子と同様にちょうど人間についても当てはまる。こうして、我々は宇宙なる父の理想的で無限の愛の仕事を見る。
32:4.11 我々は、神自身のこの普遍の贈与の中に父の神性の本質の重要性とその度量の両者についての十分な裏付けを得る。もし神が、宇宙創造に何にせよ自分を与えずにいたならば、その結果、その残留物の中から領域の人間に思考調整者を、つまり永遠に続く命の人間の候補者にとても我慢強く宿る時間の神秘訓戒者を、余りあるほどの寛大さで贈与する。
32:4.12 宇宙なる父は、言うなれば、人格所有と精霊的可能な到達において全創造を豊かにするために自分自身を注ぎ出した。我々が、神に似ることができるように我々に神自身を与え、他の全てをこのように投げ出してしまうほどの愛のためにそれらのものの維持に必要な自らの力と栄光を留めおいた。
32:5.1 偉大で栄光ある目的が、空間を通過する宇宙の行進にはある。あなたの人間としての戦いのすべてが、空しいわけではない。我々は皆、計り知れない計画、巨大な事業の一部であり、それは、いかなる時も、またいかなる一生涯においてもその大部分を見ることは不可能である仕事の巨大さである。我々全員は、神が監督し成し遂げている永遠の事業の一部である。驚異で普遍的な全体構造は、空間を第一根源と中枢の無限の考えと永遠の目的の韻律ある音楽へと厳然として移動する。
32:5.2 永遠の神の永遠の目標は、高い精霊的理想である。時間の出来事と物質的存在の闘いは、他方への、すなわち精霊の現実と崇高な生活の約束の地に橋渡しをする一時的な足場である。もちろん、あなた方死すべき者には、永遠の目標についての考えを理解することは難しいと思う。あなたには実際、決して何か始まっていないもの、また決して終わっていないものである永遠という考えを理解することができない。あなたにとってすべての馴染み深いものには、終わりというものがある。
32:5.3 我々には、個々の人生、領域の持続時間、あるいは関連する一連の出来事の年表に関し、孤立する時間の広がりを扱っているように思えるであろう。すべてには、始めと終わりがあるように思える。そして連続的に配列されるとき、そのような一連の経験、生活、時代、紀元は、一直線、すなわち永遠の無限の顔の向こう側に一瞬にきらいて孤立する時間の出来事を構成するように見えるであろう。このすべてを我々が裏面から見るとき、より包括的視点、より完全な理解というものは、永遠の根本的目的と基本的な反応との時間の相互作用を適切に明らかにするにはそのような説明は不十分であり、纏まりがなく、完全に相入れないということを暗示している。
32:5.4 私には、人間の心への説明の目的のために、周期としての永遠と、無限の円つまり一時的物質の時間の周期と何らかの方法で同時進行させる永遠の周期としての永遠の目的を考え合わせることが、より当然に思える。我々には、永遠の循環と接続された時間の領域に関しては、また、その部分の形成に関しては、ちょうど時間の世界の一時的な生命が、生まれ、生き、死ぬのと同様に、そのような一時的新時代が、生まれ、生き、死ぬという認識を迫られる。ほとんどの人間は、調整者融合の精霊段階の到達に失敗して死ぬので、死の著しい変化が、時間の枷と物質的創造の拘束を回避できる唯一可能な手順を構成し、その結果永遠の躍進的進行で精霊的歩みをとることを可能にされる。あなたは、時間と物質生活の試練の人生を乗り切った後、永遠と、部分としての永遠とさえ接触し続け、永遠の時代の回路の周りで空間の世界とともに揺り動き続けることが可能となる。
32:5.5 時間の領域は、人間の姿での人格の閃きのようなものである。時間の領域は、しばらくの間現れ、次には人間からは見えなくなり、永遠の回路の周りでの絶え間ない振りのより高度の生命の新しい俳優として、また連続する要素として再び現れる。宇宙なる父の中央の居住地域の周りの広大で、引き伸ばされた円を移動する範囲を定められた宇宙に永遠を一直線と思い描くことは、我々の信念に照らしてみて、決してできない。
32:5.6 率直に言って、永遠は、時間の有限の心にとっては不可解である。あなたは、断じてそれを把握することはできない。それを理解することはできない。私は完全にそれを心に描くというわけではないし、もしそうしたとしても自分の概念を人間の心に伝えることは不可能であろう。にもかかわらず、私は、我々の観点の幾分かを描くために、永遠であるものについての我々の理解する幾分かをあなたに伝えるために最善をつくしてきた。私は、無限の本質と永遠の重要性をもつこれらの価値に関するあなたの考えの結晶化においてあなたを支援するための努力をしている。
32:5.7 神の心にはすべての広大な領域のあらゆる創造物を抱く計画があり、この計画は、限りのない機会、無制限の進歩、無限の生命の永遠の目的である。そして、そのような無比の経歴の宝物は、努力するあなたのものである。
32:5.8 永遠の目標が、前途にある。神性到達の冒険が、あなたの前に横たわっている。完全に向けての競争は、進行中である。望むものは誰でも参加でき、また確かな勝利というものが、信用と信頼の競争において走る一歩一歩を内住する調整者の先導と全ての人間に思う存分注いできた宇宙なる息子のその良い精霊の指導に頼るすべての人間の努力に栄誉で報いるであろう。[7][8][9]
32:5.9 [一時的にネバドンの最高会議に配属され、サルヴィントンのガブリエルによりこの任務に充当された強力な使者による提示]