81:0.1 人類の基本的生物進化は、カリガスティアとアダームの任務に示された世界改善のための計画の失敗にもかかわらず、人間の進歩と人種の発展の段階において民族を前進させ続けた。進化は、遅らせることはできるが、それを止めることはできない。
81:0.2 紫色人種の勢力は、計画したよりも少数ではあるが、その以前の全存在のほぼ百万年に渡る人類の進歩をはるかに超えたアダームの時代以来の文明の進歩を生み出した。
81:1.1 文明の揺りかごは、アダームの時代のおよそ3万5千年後に、ナイル渓谷の東部からわずかに北へとアラビア北部を越え、メソポタミアまわりでトルキスタンへ伸びる南西アジアにあった。また、気候は、その領域の文明確立における決定的要素であった。
81:1.2 彼らのヨーロッパ入りを拡大された地中海で妨げ、トルキスタンへの北と東の移動の流れを逸らし、アダーム系の初期の移動を終了させたのが、北アフリカと西アジアにおける気候と地質の大々的な変化であった。これらの土地の隆起の完了と関連する気候変化の時期、すなわち紀元前1万5千年頃までには、文明は、アジアの東の山々により、またヨーロッパの西に広がる森林によりいまだに閉じ込められたアンド系の文化の発酵と生物学的蓄えを除いては、世界的規模で行き詰まっていた。
81:1.3 気候の展開が、いま他の総ての努力が成し得なかったことを達成しようとしており、すなわちユーラシア人が、牧畜や農耕のより高度な求め(職業)のために狩猟の放棄を強制していた。進化は、遅いかもしれないが、それは非常に効果的である。
81:1.4 早期の農業家は、一般的に奴隷をよく使役していたことから、農夫は、かつて猟師と牧夫の両者に軽蔑された。土地耕作は、長い間、卑しいこととしてみなされた。それゆえに、土を扱う労働という考えは、呪いであるのだが、すべての天恵の中でそれは最もすばらしいのである。カインとハーベルの時代においてでさえ、遊牧生活の生贄は、農業の捧げ物より高い評価があった。[1][2]
81:1.5 人は、通常、牧夫時代を変遷し猟師から農夫になり、これは、アンド系の間でもそうであったが、気候の必然性からくる進化上の強制は、しばしば全部族を直接に猟師から成功する農夫へと移らせる。しかし狩猟から農業への速やかなこの移行現象は、紫色群体と高度の人種混合のあったそれらの領域にのみ起こった。
81:1.6 進化的民族(とりわけ中国人)は、偶然に湿った種子、または故人への食物として墓に置かれた種子の発芽の観測を経験し、種子を撒くことや作物を育てることを学んだ。アンド系は、アジアの南西地域の至る所で、肥よくな川底と、また隣接する平野沿いに第二の園の境界内での農耕と園芸を主要な仕事としていた先祖から引き継いだ改良農業技術を実施していた。
81:1.7 アダームの子孫は、何千年間も、園で改良された通りの小麦と大麦をメソポタミア上流の境界の高地の至る所で育てていた。アダームとアダームソンの子孫は、ここで出会い、取り引きをし、交流した。
81:1.8 食習慣でそれほどまでにかなりの人類を雑食性にしたのが、生活条件でのこれらの強制的変化であった。そして、小麦、米、野菜と家畜の肉との摂取の組み合わせが、これらの古代民族の健康と活力に大きな前進を印した。
81:2.1 文化の発展は、文明の道具の開発に基づいた。そして、未開状態からの向上で人が利用した道具は、人力を課せられたより高度の仕事の遂行のために自由にするという程度にまで効を奏した。
81:2.2 社会に芽生え始めた文化と始まりつつある進歩の現代の情勢の真っ只中に今生きている人は、つまり、社会と文明についての考えに割く時間をもたない人は、初期の祖先には、考え深い反省や社会的な考えに当て得る暇もほとんどなかったという事実を見過ごしてはならない。
81:2.3 人間の文明における最初の4つの大いなる進歩は:
81:2.4 1. 火の扱いに慣れること
81:2.5 2. 動物の家畜化
81:2.6 3. 捕虜の奴隷化
81:2.7 4. 私財
81:2.8 火、すなわち最初の重要な発見は、科学世界の扉を徐々に開錠はしたものの、この点については原始人にとってはほとんど価値はなかった。原始人は、ありふれた現象についての説明として自然的要因を認めることを拒んだ。
81:2.9 火がどこから来たかと尋ねられると、アンドンと火打ち石についての簡単な話は、やがて何人かのプロメテウスが、天からそれをいかにして盗んだかという伝説とすり替えられた。古代人は、個人の理解の範疇にではなく、すべての自然現象に超自然的説明を求めた。そして多くの現代人が、これをし続けている。いわゆる自然現象の非人格化は、長い時を必要とし、それはまだ完成されていない。しかし、率直で、正直で、恐れを知らない真の理由への探究は、現代科学を生んだ。それは、占星術を天文学へ、錬金術を化学へ、魔術を薬へと変えた。
81:2.10 前機械時代に自分でそれをせずに仕事を成し遂げることができた唯一の方法は、動物の使用であった。動物の家畜化は、人に生きた道具を、農業、輸送の両方のための道を用意する道具の賢明な使用法を与えた。そして、人は、これらの動物がいなければ、その原始の生活状態からその後の文明水準に上昇できなかったかもしれない。
81:2.11 家畜化に最も適した動物の大半は、アジアで、特に中央から南西の領域で見かけられた。これが、文明が世界の他の場所よりもその地方でより速く進歩した1つの理由であった。動物の多くは、前に二度飼いならされていたし、アンド系の時代にもう一度飼いならされた。しかし犬は、大昔に青色人種に採り入れられてからずっと漁師と共にいた。
81:2.12 トルキスタンのアンド系が、大規模に馬を飼いならす最初の民族であり、そしてこれが、なぜその文化が非常に長く優勢であるかというもう一つの理由である。メソポタミア、トルキスタン、および中国の農夫は、紀元前5,000年までには羊、ヤギ、雌牛、ラクダ、馬、家禽、および象を育成し始めた。かれらは、役畜として雄牛、ラクダ、馬、および野牛を使った。人は、ある時には自身が荷物運搬用動物であった。青色人種のある支配者は、かつてその植民地に10万人の荷物運搬者人を抱えていた。
81:2.13 奴隷制度と土地の個人所有権が、農業とともに到来した。奴隷制度は、主人の生活水準を上げ、社会的な文化により多くの余暇を提供した。
81:2.14 未開人は、自然の奴隷であるが、科学文明は、増大する自由をゆっくりと人類に授与している。人は、動物、火、風、水、電気、および未知のエネルギー源を通して根気強く不断の苦労への必要性から自身を解放してきたし、これからも続けるであろう。実りある機械の発明により生じた一過性の問題にもかかわらず、そのような機械発明から得られる最大利益は計り知れない。文明は、人が考え、計画し、事をするに当たりより新しく、より良い方法を想像する余裕をもつまでは、決して栄えることはできず、ましてや確立されることはない。
81:2.15 人は、まず単に避難所を占有した。つまり、岩棚の下に、または洞窟の中に住んでいた。次に、木や石のような自然素材を家族用の小屋の作成に適合させた。最後に、住宅建築の創造的段階に入った。すなわち、煉瓦や他の建材の製造を習得した。
81:2.16 トルキスタンの高地民族は、アメリカの開拓移住者の初期の丸太小屋によく似た木造の家を建てる最も現代的な最初の人種であった。平原の至るところで人間の住居は、煉瓦で、後には焼かれた煉瓦で造られた。
81:2.17 昔の川の人種は、地面に円形に高い棒を立てて小屋を造った。葦を横に絡ませた小屋の骨組みを造り、上端で一纏めにし、創作物全体は、逆さにした篭に似せてあった。この構造物は、日光で乾燥され、そこで粘土を塗ることができ、風雨に耐えられる非常に実用的な住居を作られるのであった。
81:2.18 独自に始まった篭編みについてのその後のいろいろの思いつきは、これらの初期の小屋からであった。1集団での陶器を作る思いつきは、これらの骨組みに湿った粘土を塗りつける効果の観測から生まれた。陶器を焼くことで堅くする習慣は、これらの粘土で覆われた原始の小屋の1つが偶然燃えたときに発見された。往時の芸術は、しばしば初期の民族の日常生活での偶然の出来事から得られた。少なくとも、これは人類の進化過程についてもアダームの到着までほぼ当てはまっていた。
81:2.19 陶器は、ほぼ50万年前に王子の部下により最初に導入されていたものの、土器の作成は、実際には15万年以上も中断していた。湾岸沿いの前スメール人のノヅ系だけが、土器を作成し続けた。陶器作成の芸術は、アダームの時代に蘇った。この芸術の普及は、アフリカ、アラビア、中央アジアの砂漠地帯の拡大と同時であり、それは、技術向上の連続する高まりの中でメソポタミアから東半球へと広がった。
81:2.20 陶器もしくは他の芸術の工程により、いつもアンド系時代のこれらの文明を辿ることができるというわけではない。人間の進化の平坦な過程は、ダラマティアとエーデンの両体制により途方もなく複雑になった。後の壷と道具の方が、より純血なアンド系民族の早期の製品よりも粗悪であるということがしばしばある。
81:3.1 紀元前1万2千年頃に始まるトルキスタンの豊かで広々とした草原の狩り場と放牧地の気候の破壊は、それらの領域の人々が新形式の産業と粗雑な製造に頼らざるを得なくした。一部は、飼い慣らされた動物の群れの飼育に転じたり、他のものは、農業者か水生食物の採集者になったりしたが、より高度のアンド系識者の型は、通商と製造に従事することを選んだ。一産業の発展に専心することが、部族全体の慣習になりさえした。ナイル渓谷からヒンヅークシュ山脈まで、それにガンジス川から黄河まで、優れた部族の主要な家業は、交易を兼業とする土の耕作になった。
81:3.2 通商と原材料からの様々な商品製造の増加は、文化と文明の芸術を拡大に非常に影響があった初期の、幾分平和的共同体を生み出す直接的な助けとなっていた。大規模な世界貿易時代に先立つ社会的共同体は、部族—拡大された家族集団—であった。通商は、異なる人間の種類を仲間意識へと至らせ、その結果、文化間のより迅速な交雑受精をもたらした。
81:3.3 およそ1万2千年前、独立都市の時代が明けていた。これらの原始の交易と製造都市は、つねに農業と牧畜地帯に囲まれていた。産業が、生活水準の向上により促進されたことは本当である一方で、初期の都市生活の改良に関し誤解があってはならない。初期の人種は、あまり清楚ではなく、原始の平均的地域社会は、単なる土と廃物の蓄積の結果、25年ごとに30センチメートルから60センチメートル上昇した。焼かれていない泥を固めた小屋は長続きせず、またその古い廃墟の上に新住居を造るのが習慣であったことから、昔のこれらの特定の都市は、周囲の地面より非常に速く上昇した。
81:3.4 広範囲の金属利用は、初期の産業と通商の都市におけるこの時代の特徴であった。人は、紀元前9,000年以前のトルキスタンの青銅文化をすでに見つけ、アンド系は、早くから鉄、金、および銅の扱いを身につけた。しかし状況は、高度な文明の中心地からの遠くにおいては、非常に異なっていた。石器時代、青銅時代、および鉄器時代のような明確な時代区分はなかった。3時代全てが、同時に異なる場所に存在した。
81:3.5 金は、人が探した最初の金属であった。当初、それは、扱いが簡単で単に装飾品として用いられた。銅が、その次に用いられたが、より固い青銅を作るために錫と混合されるまでは大規模ではなかった。トルキスタンのアダームソン系の1人が、トルキスタン高地の銅山にたまたま錫堆積物に並列してあったことから青銅を作るための銅と錫を混ぜる発見をした。
81:3.6 天然のままの製造と初期産業の台頭に伴い、商業は急速に文化的文明の普及に最も強い影響を与えた。陸と海とによる流通経路の開拓が、文明の融合と同様に、大いに旅と文化の混合を容易にした。馬は、紀元前5千年まで、文明的または半文明的である土地の至るところで一般的に用いられていた。後の人種は、飼い慣らされた馬だけでなく、様々な種類の荷車や戦車も持っていた。車輪は、とうの昔に使用されていたが、今や相当に整備された車輌が、交易と戦争で一般的に採用されるようにった。
81:3.7 旅商人や放浪する探検家が、他のすべての併合的影響よりも、はるかに歴史的文明を前進させたのであった。後の宗教により助成される軍事的征服、植民地化、および伝道活動もまた、文化普及の要因であった。しかしこれらは、総て急速に発展する技術産業と科学産業によって加速された通商関係に次ぐものであった。
81:3.8 人類へのアダームの血統注入は、文明の速度を速めるだけでなく、やがてユーラシアと北アフリカが、急速に増加するアンド系の混血子孫に占領されるという結果により冒険と探検への彼らの性癖を大いに刺激した。
81:4.1 人類の混合人種は、歴史上の時代の夜明けになると全ユーラシア、北アフリカ、太平洋の諸島に広がった。今日のこれらの人種は、ユランチアの基本的な5種類の人種の血統の混合と再混合から生まれた。
81:4.2 ユランチアのそれぞれの人種は、一定の物理的特性によって識別された。アダーム系とノヅ系は長い頭であった。アンドン系は広い頭であった。サンギク人種は、ふつうの頭の大きさで、黄色人種と青色人種は、広い頭の傾向にあった。青色人種が、アンドン系と混合すると明らかに広い頭であった。準サンギク人種は、普通か、長い頭であった。
81:4.3 これらの頭蓋骨の寸法は、人種の起源を解読するのに実用的であるが、概して骸骨の方がはるかに信頼できる。ユランチア人種の初期の進化には、本来異なる5つの骨組みの型があった。
81:4.4 1. アンドン系、ユランチア原住民
81:4.5 2. 第一サンギク系、赤色人種、黄色人種、青色人種
81:4.6 3. 二次サンギク系、橙色人種、緑色人種、藍色人種
81:4.7 4. ノヅ系、ダラマティア系子孫
81:4.8 5. アダーム系、紫色人種
81:4.9 継続的混合は、これらの5大の人種集団が大規模に混ざり合うと、サンギク系の遺伝的優勢によってアンドン系の型をぼかす傾向があった。ラップ人とエスキモー人は、アンドン系とサンギク系青色人種の混合である。それらの骨格構造は、土着のアンドン型の存続に最も近い。しかし、アダーム系とノヅ系は、他の人種とそれほどまでに混合されるようになったので、単に一般化された白色人種の系列としてのみ見つけられる。
81:4.10 したがって、ここ2万年にわたる人骨が掘り出されるとき、一般的に言って、本来の5つの型を区別することは、明らかに不可能であろう。そのような骨格構造の研究は、現在人類は、およそ3分割されるということが明らかになるであろう。
81:4.11 1. 白色人種—ノヅ系とアダーム系血統の混合であるアンド系、さらに一次と(いくらかの)二次サンギクによる混合と、かなりのアンドン系との掛け合わせによってさらに変更された。西洋の白色人種は、一部のインド人とトゥラン民族と共にこの集団に含まれる。この区分の統一因子は、アンド系遺産の比率がより大きいか、 より少ないかである。
81:4.12 2. モンゴル人—第一サンギク型、最初の赤色、黄色、青色人種を含む。中国人とアメリカ原住民は、この集団に属する。ヨーロッパでは、モンゴル人型は、二次サンギクとアンドン系の混血によって、さらにはアンド系注入によって変更された。マレー人と他のインドネシア民族は、高い割合の二次サンギクの血液を有するもののこの種別に含まれている。
81:4.13 3. ネグロイド—二次サンギク型、それは、最初は橙色、緑色、藍色の人種を含んだ。これは、黒人が最も良い例証の型であり、アフリカ、インド、インドネシアの二次サンギク系が居住したどこにでも見つけられるであろう。
81:4.14 北部中国には、多少の白色人種系の混合とモンゴル系の型がある。レヴァント地方では、白色人種系とネグロイドが混合した。インドでは、南米でそうであるように、全3種類の型が相当する。そして、生残する3種類の型の骨格の特徴は、いまだに存続しており、現代人類のその後の祖先の識別を助ける。
81:5.1 生物進化と文化的文明は、必ずしも関連していない。いかなる時代の生物進化も、文化の退廃のその真っ只中で妨害されずに続くかもしれない。しかし長期に渡る人間の歴史が概観されるとき、進化と文化は、最終的には原因と結果として関連づけられるようになるということに気づくであろう。進化は、文化の不在において進むかもしれないが、文化的文明は、先行する人種的進行の適切な背景なしでは繁栄しない。アダームとハヴァーは、人間社会の進歩に馴染まない何の文明技術も導入しなかったが、アダームの遺伝子をもつ者達は、生来備わっている人種の能力を高め、経済開発と産業発展を加速した。アダームの贈与は、人種の脳の力を向上させ、その結果、自然的発展過程を大いに早めた。
81:5.2 人類は、農業、動物の家畜化、それに改良された建築物によって生きるための絶え間ない苦闘の最悪状態から徐々に脱出し、生活の過程を有利にするあらゆるものを探し回り始めた。これは、ますますの、しかも常に高い物質的安らぎの水準のための努力の始まりであった。人は、製造と産業を通して必滅の人生の快楽の中味を徐々に増大させている。
81:5.3 にもかかわらず、文化的社会は、すべての人が自由な構成員であり、完全な平等をもって生まれてくる引き継がれた特権のすばらしくかつ慈悲深い同好会ではない。それは、むしろ、その子供とまたその孫がその後の時代に生き、かつ前進するかもしれない世界をより良い場所にするために努力するそれらの労働者のうちの高潔な者だけを構成員として認める地球の労働者の高められ、絶えず前進する同業組合なのである。文明のこの同業組合は、高価な入場料を取り立て、厳格で厳しい規律を強要し、すべての反対者と非協調者に重刑を課し、一方では共通する危険と人種的危難に対し強化された防衛手段を除いては、わずかな個人的認可または特権を与える。
81:5.4 社会的な繋がりは、人間が有益であるということを学んだ生存保険の形態である。したがって、ほとんどの個人は、社会がこの機能強化された集団保護の見返りにその構成員から取り立てる自己犠牲や個人の自由の削減を保険料として支払うことを望むのである。要するに、現代社会の仕組みは、人類の早期の経験を特徴づけたひどい反社会的状態への逆戻りに対する幾分かの保証と保護を提供するように設計された試行錯誤の保険案である。
81:5.5 社会は、その結果、制度を介しての公民の自由、資本と発明を介しての経済的自由、文化を介しての社会的自由、警察の取り締まりを介しての暴力からの自由を保証するための協力的枠組となる。
81:5.6 力は、権利を作り上げないかもしれないが、それは、次の各世代の一般的に認識された権利を行使する。政府の主要任務は、権利の定義、階級差の正当かつ公平な調整、法規則の下における機会均等の行使である。あらゆる人間の権利は、社会的な義務に関連づけられる。集団の特権は、集団への奉仕のために厳しく要求する保険料の完全な支払いを失することなく請求する保険の仕組みである。そして、性欲への傾向の規制を含めて集団の権利は、個人の権利と同様に保護されなければならない。
81:5.7 集団規則を前提とする自由は、社会発展の正当な目標である。無制限の自由は、不安定で気紛れな人間の心の空しく非現実的な夢である。
81:6.1 生物進化が上向きに進行する一方で、文化の発展の多くが、ユーフラテス渓谷から波のように伝播し、その波は、やがてアダームの純血の全後代のもの達が旅立ち、アジアとヨーロッパの文明を豊かにするまで時の経過と共に逐次弱まっていった。人種は、完全に混合されたというわけではないが、その文明は、かなりの程度まで混合した。文化は、ゆっくりと世界中に広まった。そして、今日この文明は、文化の新たな源も存在せず、文明発展の鈍い進行を鼓舞したり刺激する一人のアンド系もいないのであるから、維持と育成がなされなければならない。
81:6.2 ユランチアで現在進展しつつある文明は、次の要因から始まり、また現在それに基づいている。
81:6.3 1. 自然情況。物質文明の特徴と範囲は、利用可能な天然資源に大きく決定される。気候、天候、および数多くの物理状態は、文化の発展要因である。
81:6.4 アンド系時代の始まりには、大規模で肥沃の広々とした狩猟地域が、世界にはたった2個所しかなかった。1つは、北アメリカにあり、そこにはアメリカ原住民が一面に広がっていた。他方は、トルキスタンの北にあり、アンド系黄色人種が、部分的に陣取っていた。南西アジアでの優れた文化の発展における決定的要因は、人種と気候であった。アンド系は、偉大な民族であったものの、その文明の進路決定の決定的要因は、イラン、トルキスタン、新疆での増大する乾燥であり、それが、生産性の落ちていく肥沃な土地から生計を捻りとる新たで高度な方法の発明と導入をかれらに強いた。
81:6.5 大陸の形状と他の土地配列の状況は、平和か戦争かの決定に非常に影響を及ぼす。ユランチア人は、北アメリカの民族が享受されたような—事実上、四方を広大な海洋に保護されている—連続的かつ邪魔のない発展の好機にはあまり恵まれなかった。
81:6.6 2. 資本財。文化は、貧困状況のもとでは決して発展しない。余暇は、文明進歩に不可欠である。個人の道徳的、精神的価値の特徴は、物質的な富を欠いても得られるかもしれないが、文化的文明は、大望に結合される余暇を促進するその物質的繁栄条件からしか得られない。
81:6.7 ユランチアにおける原始時代の生活は、真剣かつ地味なものであった。人類が、熱帯の健康的な気候に向かって絶えず漂流する傾向にあったのは、この絶え間ない戦いと果てしない労苦から逃げることであった。暖かい区域での居住が、生存のための激しい戦いからの何らかの和らぎを与えたが、こうして容易さを求めた人種と部族は、文明の前進のために労せずして得た余暇をほとんど活用しなかった。社会的進歩は、知的な労役により減少された努力と短縮された労働日数で土地からの暮らしをもぎとる方法を身につけるというそれらの人種の考えや計画から必然的にもたらされ、その結果、もらって当然の、しかも有益な余暇の幅を味わうことができた。
81:6.8 3. 科学知識。文明の物質的局面は、科学的資料の蓄積を常に待ち受けなければならない。人が、弓矢の発見と効力のための動物の活用から始まり、風と水を役立てる方法を学び、次に蒸気と電気の使用するようになるまでには長い時間がかかった。しかし文明の道具は、ゆっくりと改善された。機織り、陶器、動物の家畜化、金属加工、書くことと印刷の時代が続いた。
81:6.9 知識は、力である。発明は、つねに世界規模の文化発展の促進に先行する。科学と発明は、とりわけ印刷機から恩恵を得て、しかも、これらのすべての文化的、発明的活動の相互作用が、文化の振興速度に途方もないほどに拍車をかけた。
81:6.10 科学は、人に数学の新言語を話すことを教え、厳格な精度に沿っての考えを教え込む。科学は、また誤りの除去により哲学を安定させるが、それは、同時に迷信の破壊により宗教を清める。
81:6.11 4. 人的資源。人力は、文明の普及に不可欠である。すべての条件が同じ場合、多くの人々は、小規模の人種の文明を支配するであろう。それ故に、一定程度にまで数を増やさないということは、国家の運命の完全な実現を阻むが、一層の人口増加には、自滅的な時点がやってくる。人間対陸の通常比率の最適条件を超える数の増加は、生活水準の低下か、あるいは平和的進入か軍事征服、すなわち、力ずくの占領による領土境界の即座の拡大を意味する。
81:6.12 人は、時おり戦争の破壊行為に衝撃を受けるが、社会と道徳発展の十分な機会を生むためには多くの死すべき者を生産する必要性を認めるべきである。惑星のそのような出産率には、人口過剰の深刻な問題が、すぐに生じる。ほとんどの棲息世界は小さい。ユランチアは、平均的であり、恐らくわずかに小型であろう。国の人口の最上の安定化は、文化を高め、戦争を防ぐ。そして増大をいつ止めるかを知ることが、賢明な国というものである。
81:6.13 だが、最も豊かな天然堆積物と最も高度な機械設備をもつ大陸は、もしその人々の知力が下降線をたどるなら、あまり進歩しないであろう。知識は教育によって得られるが、真の文化に不可欠である分別は、本質的に知的な男女による経験を通じてのみ保証され得る。そのような民族は、経験から学ぶことができる。それらは真に賢明になれるかもしれない。
81:6.14 5. 物質資源の有効性。天然資源、科学知識、資本財、人間の可能性の利用において発揮される知恵にかなり依存している。早期の文明における主な要因は、賢明で社会的に優れた者が奮った力であった。原始人は、優れた同時代人に文明を文字通り押しつけられた。十分に組織化された優れた少数が、主にこの世界を統治した。
81:6.15 力は、正義を引き起こさないかもしれないが、力は、今存在すること、そして歴史にあったことを作る。最近、ユランチアは、進んで力と正義の倫理を討論する社会状況に達した。
81:6.16 6. 言語の有効性。文明の普及は、言語を待たなければならない。存続し進歩する言語は、文明的な考えと計画の拡大を保証する。初期における重要な進歩は、言語が果たした。現代は、進化する考えの表現を容易にするすばらしい言語の一層の発達が必要である。
81:6.17 言語は、団体組織、つまり地域の各団体が、それぞれの言葉の交換体系を発展させることで発達した。。言語は、身振り、合図、叫び、擬声音、抑揚、および口調を通してその後のアルファベットの発声へと進歩した。言語は、人の最もすばらしく、そして実用的な思考の道具であるが、社会集団が幾らかの余暇を取得するまでは決して栄えなかった。言語をもてあそぶ傾向は、新しい言葉—俗語—を生み出す。多数の者が、俗語を取り入れるならば、慣用が、それを言語の構成要素にする。方言の起源は、家族集団内での「幼児語」が欲しいままにされることで例証されている。
81:6.18 言語の違いは、常に平和拡大への大きな障害であった。方言の克服は、人種全体、1大陸、または全世界に渡る文化普及に先行しなければならない。世界共通語は、平和を促進し、文化を保証し、幸福を増大させる。世界の言語が、少数に減少するときでさえ、主要な文化的民族による支配は、世界的な平和と繁栄の達成に強い影響を及ぼす。[3]
81:6.19 ユランチアでは国際的言語を生み出すことに向けての進歩は、あまりみられないが、国際間の商業上の交易の確立によって多くのことが達成された。これらの国際関係のすべてが、言語、貿易、芸術、科学、競技、または宗教にかかわるか否かに関係なく、育成されなければならない。
81:6.20 7. 機械装置の有効性。文明の進歩は、道具、機械、および流通経路の開発と所有に直接的に関わりがある。改良された道具、精巧で効率的な機械は、前進する文明の舞台で競い合う集団の生存を左右する。
81:6.21 初期において、耕作に適用された唯一の労力は、人力であった。雄牛を人の代わりに用いることは、人を無職へと放り投げるのであるがゆえに長い間の葛藤であった。後に、機械が、人に取り替わるようになり、その上、人力をより重要な課題達成のために自由にすることから、そうしたあらゆる進歩が、直接社会の進歩に寄与している。
81:6.22 知恵に導かれる科学は、人にとっての偉大な社会解放者になるかもしれない。機械時代は、省力化への新型機械の速すぎる発明の結果起こる突然の大勢の雇用損失失業から生まれる過渡期における困難さに対し、首尾のよい適応のための賢明な方法と十分な技術を発明するには知的水準が低過ぎる国に限り悲惨であるとはっきりと示すことができる。
81:6.23 8. 文明の先駆者の人格。社会的遺産は、人が、すべての先んじる者や文化と知識全体に何かを貢献した者の成果の上に立つことを可能にする。次世代への文化の松明を伝えるこの仕事において、家庭は、常に基盤的制度になるであろう。複雑で非常に組織化された社会においては遊びと社会生活が、次にくるし、最後に等しく不可欠な状態で学校がくる。
81:6.24 昆虫は、生活—実に非常に限られ、しかも完全に本能的な生存—にむけて十分に教えられ備えができて生まれてくる。人間の乳児は、教育なしで生まれる。それ故に、人は、若い世代の教育指導を制御することにより文明の進化過程を大きく変更する力を持っている。
81:6.25 文明推進と文化の進歩に及ぼす20世紀最大の影響は、世界旅行の著しい増加と伝達方法の比類なき改良である。しかし、教育改善は、拡大する社会構造と歩調を揃えてこなかった。倫理に対する現代の認識も、より純粋に知的で科学的な線に沿う成長に一致して開発されてはいない。そして現代文明は、精神的発達と家族制度の保護に行き詰まっている。
81:6.26 9. 人種の理想。1世代の理想は、次世代の子孫のための運命の方向を切り開く。社会指導者の質は、文明が前進するか後退するかを決定するであろう。1世代の家庭、教会、学校は、後続世代の特徴的傾向を運命づける。人種、もしくは国の道徳的、かつ精神的勢いは、その文明の文化的速度を大きく決定する。
81:6.27 理想は、社会の流れの源泉を高める。たとえどのような圧力手法、あるいは方向制御が駆使されようとも、いかなる流れもその水源より高くは上がらない。文化的文明の最たる物質的側面の駆動力は、最少に物質的な社会的成就にある。知性は文明の仕組みを制御するかもしれないし、知恵がそれを導くかもしれないが、精神的理想は、人間文化を1つの水準から別の水準へと真に向上させ、前進させるエネルギーである。
81:6.28 生活は、最初存在のための苦闘であった。現在は生活水準のため。次にそれは、思索の特質、つまり人間の来るべき地球の目標のためとなるであろう。
81:6.29 10. 専門家の連携。文明は、早期の分業により、またその後の専門化の必然的結果により大いに進められてきた。文明は、現在、専門家の有効な連携に依存している。社会が拡大するとき、様々な専門家を引き寄せる何らかの方法を見つけなければならない。
81:6.30 社会、芸術、技術、それに産業の専門家は、技能や器用さを増やし続けるであろう。そして能力のこの多様化と雇用の不同性は、もし連携と協力の効果的方法が開発されなければ、ついには人間社会を弱め崩壊させるであろう。しかし、そのような創作力と専門化を可能にする知性は、急速な発明力の成長や加速度的文化の拡大から生じるすべての問題に対し、適切な制御と調整手段の工夫において完全に有能であるべきである。
81:6.31 11. 場所を見つける装置。社会開発の次の時代は、絶えず増加し拡大する専門化のより良く、より効果的な協力と連携が取り入れられるであろう。そして、個人を適切な雇用に方向づけるための何らかの方法が、労働の多様化につれ工夫されなければならない。機械は、ユランチアの文明的民族の間の失業の唯一の原因ではない。経済の複雑さと産業の、そして職業専門化の恒常的な伸びが、作業配置の問題に拍車をかける。
81:6.32 仕事に向けて人を訓練するだけでは、十分ではない。場所発見の効率的方法もまた、複雑な社会にはなくてはならない。国民は、生計を立てるための非常に専門化された技術訓練を受ける前に、専門職で一時的に失業した際、1つ、あるいはそれ以上の当たり前の労働、つまり有用とされる職業を仕込まれるべきである。どんな文明も、長年にわたる大人数の失業者階級の抱え込みを乗り切ることはできない。国庫援助の受け入れは、そのうちに国民の中の最良者達さえ歪め、やる気をなくさせるようになるであろう。健康な市民への個人の慈善行為でさえも、長々と延長されると有害となる。
81:6.33 そのような高度に分化された社会は、昔の民族の共同的、封建的な古代の習わしには馴染まないであろう。多くの一般業務は、本当に許容でき、しかも有益に社会化されるが、非常に訓練され、極端に専門化された人間は、何らかの知的な協力方法により管理できるのが最善である。近代化された連携と友愛的規制の方が、より古く、 より原始の共産主義的方法、あるいは力に基づく独裁的規制的機関よりも長続きする協力を生むであろう。
81:6.34 12. 協力する意欲。人間社会の進歩への大きな妨害の1つは、より大きく、より社会に適合した人間集団と、反社会的傾向の1個人は言うまでもなく、より小さく、相容れない反社会的な人間の結社との間での利害と繁栄の葛藤である。
81:6.35 どの国家文明も、その教育方法と宗教理想が、知的な愛国心と国家への献身の気高い型を発奮させない限り、長くは続かない。万国は、この種の知的な愛国心と文化的連帯意識なくしては、偏狭的妬みや局所的利己心の結果、崩壊しがちである。
81:6.36 世界的文明の維持は、いかに平和と友愛のうちに共存すべきかを学ぶ人間によって決まる。産業文明は、効果的連携がなければ、極端な専門化の危機に脅かされる。単調さ、狭さ、および不信と嫉妬を引き起こす傾向。
81:6.37 13. 敏腕で賢明な始動力。文明においては、熱心で敏腕であり重荷を担う精神の多くに、非常に多くに左右される。大きな荷物を持ち上げるには、一緒に—全員同時に—持ち上げない限り、10人は、一人以上に価値があるわけではない。そのような共同作業—社会的協力—は、指導力で決まる。過去と現在の文化的文明は、賢明で進歩的な指導者との市民の知的協力に基づいてきた。文明は、人が、より高い水準に進化するまで、賢明で主導的な指導力を頼り続けるであろう。
81:6.38 高度の文明は、物質的富、知性の卓越さ、道徳的価値、社会の巧妙さ、および宇宙洞察の賢明な相関関係から生まれる。
81:6.39 14. 社会的変化。社会は神性団体ではない。それは、段階的発展現象である。前進する文明は、その指導者が、その時代の科学開発の対応に不可欠な社会組織におけるそれらの変更に遅鈍であるときに常に遅れる。とは言うものの、ただ古いという理由だけで物事を軽蔑してはいけないし、ただ珍奇で新しいという理由だけで無条件に考えというものを迎え入れるべきでもない。
81:6.40 人は、社会の仕組みを試すことを恐れるべきではない。文化の調整における冒険は、社会的発展の歴史に完全に詳しい人々によって常に調整されるべきである。また、これらの革新者は、社会的、あるいは経済的角度から検討した実験領域において実際に経験をした人々の見識による助言を常に受けるべきである。大きい社会的、あるいは経済的変化も決して突然に試みるべきではない。人間のすべての調整の型—物理的、社会的、または経済的—には時間が、不可欠である。道徳的、そして精神的調整だけが、即座に可能であり、これらでさえも、物質的、社会的影響の完全な成就のための時間の経過を必要とする。人種の理想は、文明が1段階から別の段階へ推移する重要な期間の主要な支えと保証である。
81:6.41 15. 過渡期の挫折防止。社会とは、何世代にもわたる試行錯誤の所産である。それは、惑星情勢における動物から人間の高さへの人類の長年の上昇の連続的段階における選択的調整と再調整を乗り切ったものである。重大な危険は、どの文明にとっても—いかなる瞬間においても—確立された過去の方法から新しくより良い、しかし未経験の未来の方法への変遷時期の挫折の脅威である。
81:6.42 指導力は、進歩にとり不可欠である。知恵、洞察、先見は、国の存続に不可欠である。文明は、指導力が消失し始めるまで実は決して危険にさらされない。そして、そのような賢明な指導の数量は、決して人口の1パーセントを超えたことがない。
81:6.43 またそれは、文明が急速に広がりつつある20世紀文化に到達したそれらの強力な影響を開始することができたその場所に登った進化の梯子の横木によるものであった。人は、これらの基礎への固守だけで続けられた開発と確かな生存に備えつつ現代文明の維持を望むことができる。
81:6.44 これが、地球の民族が文明を確立しようとアダームの時代以来奮闘した長い、長い戦いの要旨である。現代の文化は、この精力的な発展の最終結果である。1世代が、非常に速くその先輩の業績から恩恵を受けられず、印刷発見の前、進歩は比較的遅かった。しかし、現在人間社会は、文明が戦った全時代の蓄積された勢いの下で前方に突入している。
81:6.45 [ネバドンの大天使による提示]