94:0.1 シャレイム宗教の初期の教師は、アフリカとユーラシアの最果ての地の部族へと入り、神の恩恵を永遠に獲得する唯一の代償として一柱の宇宙なる神への人の信仰と信頼についてのマキヴェンタの福音をつねに説いた。アブラーハームとのメルキゼデクの盟約は、シャレイムと他の中心地へと伝えられた初期のすべての伝道のための原型であった。ユランチアには、全東半球にわたりメルキゼデクの教えを伝えたこれらの堂々たる男女よりも熱心で活動的な宣教師は、どの宗教にもいなかった。これらの宣教師は、多くの民族と人種から募集され、主に原地の転向者を媒体として自己の教えを広げた。宣教師らは、世界の異なる地域に訓練所を設け、シャレイム宗教を原住民に教え、次にはこれらの生徒に、自身の人民の間で教師として機能する権限を与えた。
94:1.1 メルキゼデクの時代、インドは、近年北と西からきたアンド系のアーリア民族の侵略者の政治上、また宗教上の支配下にあった国際的な国であった。このとき、アーリア人は、半島の北部と西部だけに広範囲に浸透していた。これらのヴェーダ系の新来者は、多くの部族の神を共に連れて来ていた。その宗教の崇拝形式は、まだ父が司祭、母が女司祭として機能するその早期のアンド系先祖の儀式習慣に密接に従っており、家族の囲炉裏は、祭壇としての利用が続いていた。
94:1.2 ヴェーダの集団礼拝は、その頃広がりゆく崇拝儀式を徐々に支配していた教師-聖職者の婆羅門階級の指導に基づく成長と変化の過程にあった。アーリア人のかつての33柱の神の合併は、シャレイム宣教師がインドの北部に進出したとき、すでに進行中であった。
94:1.3 アーリア人の多神教は、部族ごとに祀る神を持つ部族単位への分離によるその早期の一神教の退化を呈した。当初の一神教のこの退化とアンド系メソポタミアの三位一体の考えは、紀元前2千年の初頭における再統合の過程にあった。多くの神は、天空の神ヅヤウスのピター、大気の嵐のように激しい支配者インドラ、3頭の炎の神アグニの三位一体、つまり地球の支配者であり、初期の三位一体の概念の痕跡的な象徴の指導力の下、神の集団へと組織化された。
94:1.4 確かな単一神教の発展は、進化する一神教への道を開いていた。最古の神アグニは、すべての神殿の父-首長としてしばしば高められた。たまにプラヤパティと呼ばれたり梵天と称される神格-父の原理は、婆羅門聖職者が後にシャレイム教師と交えた神学上の一戦に覆い隠された。婆羅門は、ヴェーダの神の集団全体を動かすエネルギー-神性の原理として発想された。
94:1.5 シャレイム宣教師は、メルキゼデクの一神、天のいと高きものについて説いた。この描写は、全ての神の本源としての父-梵天の進展的な概念に完全に不調和であったというわけではないが、シャレイム教義は、儀式偏重主義ではなく、ゆえに婆羅門聖職に関する教義、伝統、教えに直接的に応えるものではなかった。婆羅門聖職者は、信仰による救済についてのシャレイムを教え、つまり、儀礼的な行動や生け贄の儀式を切り離した神の恩恵を決して受け入れようとはしなかった。
94:1.6 神への信頼と信仰を通しての救済に関するメルキゼデクの福音の拒絶は、インドにとっての重大な転機であった。シャレイム宣教師は、古代のすべてのヴェーダ神信仰の損失の大きな原因となったが、ヴェーダの教えの聖職者である指導者達は、1神と単純な1信仰であるメルキゼデクの教えの受諾を拒否した。
94:1.7 婆羅門は、シャレイム教師への対抗目的で当時の聖典を選択し、また後に改訂されるこの編集が、最古の聖典の中の1つであるリグ・ヴェーダとして現代に至った。婆羅門が、その頃の崇拝の儀式を結晶化、形式化、固定化、民族の犠牲を求めるにつれ、第2、第3、第4のヴェーダが続いた。その最良部の取り上げるならば、これらの著述は、概念の美しさと洞察の真実において類似する特徴をもつ他のいかなる著述にも匹敵するものである。かし、この優れた宗教が、南インドの何千もの迷信、集団礼拝、および儀式で汚染されるようになると、それは、次第に必滅の人間によりかつて開発された神学の最も多彩な体系へと変化していった。ヴェーダについての考査は、これまでに考えられる神に関する一部の最高の、一部の最低の概念を明らかにするであろう。
94:2.1 シャレイム宣教師は、ドラヴィダ人のデッカン高原に南へ進出していくと、二次サンギク民族の台頭に直面するアーリア人が、人種の独自性の損失防止ための方策である拡大するカースト制度に直面した。婆羅門聖職者階級は、この制度の本質そのものであったので、この社会組織は、シャレイム教師の前進を大いに遅らせた。アーリア人種の防衛に失敗はしたものの、この階級制度は、婆羅門の永続に成功し、引続き、その婆羅門は、インドにおいて現在に至るまで宗教上の主導権を維持してきた。
94:2.2 それでアーリア人の礼拝集団は、より高い真実の拒絶を通してヴェーダの教えの弱めることで、デッカン高原からの拡大する侵入をうけた。婆羅門階級は、人種的な絶滅と宗教の消滅潮流を止める必死の努力において、他の何よりも自分たちを高めようとした。神格への生贄それ自体が、きわめて効果的であるということ、そしてそれが、力においてきわめて強要的であるということを教えた。かれらは、宇宙の2つの基本の神の原理のうちの1つが婆羅門であり、他方が婆羅門聖職であると公言した。神に属する栄誉を自分たちに委託するために大胆にも神々よりも自分たちを高めた聖職者は、他のユランチア民族の中にはいなかった。ところが、聖職者は、途方もなく思い上がった主張をしたことから、不安定な体制は、周囲のそれほど高度でない文明から流入してくる質を落とす礼拝集団の前にして崩れた。巨大なヴェーダの聖職自体は、自身の利己的かつ賢明でない図々しさが全インドにもたらした慣性と悲観の黒い洪水にもがき、その下に沈んだ。
94:2.3 自己に対する過度の集中は、確かに、人間、野獣、または雑草としての連続的化身の無限の輪における自己の非進化の恐怖へと導いた。そして、新生の一神教に発展したかもしれないものにしかと結びつけられたかもしれない悪影響を及ぼすすべての信仰のうち、デッカン高原から来たこの輪廻の信仰—魂の生まれ変わりの教理—ほど無意味なものはなかった。繰り返される輪廻のうんざりさせる単調な循環のこの信仰は、初期のヴェーダ信仰の一部であった死に際してのその救出と精神的前進を見つけるかねての望みを窮する死すべき者から奪い去った。
94:2.4 哲学的に衰弱させるこの教えの後には、全創造の大霊である婆羅門との絶対的結合からくる普遍的な休息と平和に浸りきり、自己からの永遠の脱出の教理の考案が、すぐに続いた。死すべき者の願望と人間の野心は、事実上奪い去られ、実際に破壊された。2,000年以上の間、インドのより良い心の者は、すべての欲望から逃れようとして、その結果、実際には多くのヒンドゥー民族の魂を束縛した後の集団礼拝と教えの入り口への扉を大きく開いた。全文明の中のヴェーダのアーリア人は、シャレイム福音の拒絶のために最も苛酷な代償を払った。
94:2.5 階級制度だけではアーリア人の宗教-文化体制を永続させることはできず、またデッカン高原の粗悪な宗教が北部に充満すると、失意と絶望の時代が展開した。命を取らない礼拝集団がうまれたのは、これらの暗い日々のことであり、それは、以来ずっと持続している。新しい礼拝集団の多くは、達成可能な救済は、助力なしの人間各自の努力によってのみ起こり得ると主張し、実のところは無神論であった。しかし、この不幸なすべての哲学の大半には、メルキゼデクの教えと、さらにはアダームの教えの名残りさえ辿ることができる。
94:2.6 これらはヒンドゥー信仰、すなわち婆羅門とウパニシャッドの後の経典の編集時代であった。婆羅門教の司祭職は、一柱の神との個人的な信仰経験を貫く個人的宗教の教えを拒絶し、またデッカン高原からの品性を落とし弱体化させる集団礼拝そして教義の氾濫で、すなわち擬人化と転生で汚染されるようになったことから、汚損する信仰に対して激しい反応を経験した。真の現実を求めて見つける断固たる努力があった。婆羅門教徒は、インド人の神格の概念の非擬人化に着手したが、そうするに当たり神の概念を非人格化するという悲しむべき誤りを犯し、また、楽園なる父の崇高で精神的な理想ではなく、あらゆるものを含む絶対者についての距離のある、しかも最終的には極めて抽象的な考えに終わった。
94:2.7 その努力において婆羅門階層は、メルキゼデクの一神を拒絶し、今度は結局は婆羅門、その不幸な日から20世紀までインドにおける精神生活を無力にし、横たえさせたままにしていた非個人的で無力な婆羅門についての仮説、不明瞭で実体のない哲学上の自己に終わった。
94:2.8 仏教がインドで発祥したのは、ウパニシャッドの執筆時代のことであった。しかし、その1,000年の成功にもかかわらず、それは、後のヒンドゥー教に対抗できなかった。より高度の道徳にもかかわらず、神についてのその早期の描写は、ヒンドゥー教のそれよりもはるかに明確ではなく、それが、より劣性の、人格の神を提供した。仏教は、宇宙の最高神としてのアラーの明確な概念をもつ好戦的なイスラム教の猛攻撃の前に北インドで最終的に崩れた。
94:3.1 婆羅門教の最高段階は、とても宗教とは言えなかったが、実にそれは、人間の心が哲学と形而上の領域における最も崇高な広がりの1つであった。究極の現実を発見し始めてからは、インド人の心は、宗教に不可欠の二元的概念、すなわち、宇宙の全生物の宇宙なる父の存在、加えて父が完全であるように完全であれと命じた永遠なる父に到達しようとする他ならぬこれらの生物の宇宙における上昇経験の事実、を除く神学のほとんどあらゆる局面に考えを巡らすまで止むことはなかった。
94:3.2 婆羅門の概念において当時の心は、広く普及する何らかの絶対者についての考えをしっかりと掴んだ。というのも、この公理は、創造的なエネルギーと宇宙反応として同一視していたので。婆羅門は、すべての定義を超えていると、すべての有限の属性の連鎖的な否定によってのみ理解することができると思われた。それは、確実に存在への、絶対的、さらには無限の信仰であったが、この概念は、主として人格属性に欠けており、したがって個々の宗教家による経験が可能ではなかった。
94:3.3 婆羅門-ナーラーヤナは、絶対者、無限のそれはある、潜在的な宇宙の根本的かつ創造的な力、静止状態で存在し全ての永遠を通じ可能性のある普遍なる自己、として生みだされた。当時の哲学者が、神の概念における次なる前進を果たすことができ、婆羅門を結合的で想像的であるものとして、つまり創造され進展する存在による近づきやすい人格として受け入れることができていたならば、そのような教えは、神の総体機能の最初の5段階を包含したことであろうから、ユランチアで最も高度な神の描写になっていたかもしれないし、事によると残る2段階を思い描いていたかもしれない。
94:3.4 生物の全存在の要約の全体としての宇宙の一大霊の特定の局面における概念は、インドの哲学者を崇高なる者の真実へと導いたが、彼らが、婆羅門-ナーラーヤナの理論的な一神教の目標到達への何らかの理に適う、あるいは合理的な個人の方法を発展させることができなかったので、この真実は全く役に立たなかった。
94:3.5 連続性の因果関係についての業の原則は、崇高者の神格臨場におけるすべての時空間の行為の影響統合の真実に、再び、非常に近いのである。しかしこの原則は、決して個々の宗教家による神格への個人の調和の到達に対して備えることはなく、ただ宇宙の大霊によるすべての人格の最終的な取り込みのためだけに備えた。
94:3.6 婆羅門教の哲学は、内在する思考調整者の認識にもまた非常に接近したものの、結果的に真実の誤解を通して歪められた。宇宙なるもののこの宿り以外に人間の個性はないという信仰によって完全に損なわれてこなかったとしたならば、魂は婆羅門の宿りであるという教えは、先進的宗教の序開きとなっていたであろうに。
94:3.7 インドの神学者は、大霊との自己の魂の融合の教義において、つまり、何か人間らしいもの、何か新しく独特であるもの、何か人の意志と神の意志の結合から生まれるもののために備えなかった。婆羅門への魂の復帰の教えは、密接に宇宙なる父の胸への調整者の復帰の真実に平行してはいるが、生き残る調整者、すなわち人間の人格のモロンチア対応者とは何か異なるものがある。そして、この重要な概念が、婆羅門哲学には致命的にも欠如していた。
94:3.8 婆羅門哲学は、宇宙の事実の多くに近づき、幾多の宇宙の真理に迫ったが、あまりにも頻繁に絶対的、超越的、有限的のような現実のいくつかの段階の見分けができない誤りに陥った。それは、絶対段階における有限-錯覚が、有限段階の絶対的実在であるかもしれないことを考慮に入れることを怠ってきた。また、それは、進化する生物の神との限られた経験から楽園の父との永遠なる息子の限りのない経験への全段階で個人的に接触可能な宇宙なる父の不可欠の人格への何の考慮もしなかった。
94:4.1 インドでの何世紀かの経過につれ、庶民は、メルキゼデク宣教師の教えにより変わり、後の婆羅門聖職により具体化されたヴェーダの古代儀式に多少なりとも立ち返った。世界の宗教のなかで最古の、しかも最も国際的なこれは、仏教とジャイナ教に呼応し、また後に登場するイスラム教とキリスト教の影響に一層の変化を被った。しかし、イエスの教えの到着時までには、すでに西方化し過ぎ、それは、「白人の宗教」になってしまい、それ故ヒンドゥー教徒の心には奇妙で無縁となった。
94:4.2 ヒンドゥー教神学は、現在のところ、神格と神性について下降する4段階を描く。
94:4.3 1. 婆羅門、絶対的なもの、無限のもの、それはある。
94:4.4 2. 三神一体、ヒンドゥー教の究極の三位一体。このつながりにおいて、第1の構成者である梵天は、婆羅門—無限—からの自己創造であると考えられた梵天は、汎神論的無限なるものとの近接する同一性がなければ、宇宙なる父の概念の基礎を構成することができた。梵天は、運命とも同一視されている。
94:4.5 第2と第3の構成者、シヴァとヴィシュヌへの崇拝は、キリスト後の最初の1,000年の間に起こった。シヴァは、生と死の主、肥沃の神、破壊の支配者である。ヴィシュヌは、定期的に人間の姿に化身するという信仰のために非常に人気がある。このようにして、ヴィシュヌは、インド人の創造力の中で現実となり、生きている。シヴァとヴィシュヌはそれぞれに、一部の人々によりすべての上に最高であると見なされている。
94:4.6 3. ヴェーダの神とヴェーダの後の神。アグニ、インドラ、ソマのようなアーリア人の古代の神の多くが、三神一体の3名の構成者の補助として持続してきた。多数の付加的な神が、ヴェーダ系インドの初期からずっと生まれてきており、これらは、またヒンドゥーの神々へ取り込まれてきた。
94:4.7 4. 半神半人、。人、半神、英雄、幽霊、悪霊、妖精、怪物、鬼、後の礼拝集団の聖人。
94:4.8 ヒンドゥー教は、長らくインドの人々に生気を与えられないでいたが、他方では許容性のある宗教であった。その大きな強みは、ユランチアに出現する最も順応性のある、また明確な形のない宗教であるという事実にある。それは、ほとんど無制限の変化が可能であり、また知的な婆羅門についての高尚かつ半一神教的思索から、卑しく意気消沈の無知な信者階級の途方もない物神崇拝と原始の礼拝集団の習慣への柔軟性のある異例の調整範囲を持っている。
94:4.9 ヒンドゥー教は、それが本質的にはインドの基本的社会機構の不可欠部分であるが故に存続してきた。それには、妨害されたり、破壊可能な大きな階層がない。それは、人々の生活様式に組成されている。それは、変化する状況に対し他のすべての礼拝集団を凌ぐ適応性があり、また他の多くの宗教にも、ヴィシュヌの再来であると主張される釈迦牟尼仏陀とキリスト自身に対してさえも許容性のある受容態度を見せている。
94:4.10 今日、インドは、イエスの福音—神の父権と全人類の息子性とそれに伴う兄弟関係、そしてそれは、愛ある援助と社会奉仕において個人的に実現されるもの—の描写のための大きな必要がある。インドには哲学的な枠組みが実在し、礼拝集団の構造が存在している。唯一必要とされるのものは、マイケルの生命の贈与を白人の宗教にする傾向にあった西洋の教義と教理が取り除かれた状態の人の息子の本来の福音に描写されている動的な愛の生気を吹き込む火花である。
94:5.1 シャレイム宣教師は、アジアを通過し、いと高き神と信仰による救済の教理を広げつつ、横切っていく様々な国の哲学上、宗教上の考えを多く吸収した。しかし、メルキゼデクとその後継者達に任命された教師達は、その責任を怠らなかった。ユーラシア大陸の総ての民族に浸透し、また中国に到着したのは紀元前の第2千年紀の中頃であった。シー フチュにおいては、シャレイム人が、100年以上の間、その本部を維持し、そこで黄色人種の全領域で教える中国人教師を養成した。
94:5.2 今日その名をもつものより大いに異なる宗教である道教の型が中国で最も早期に生まれたのは、この教育の必然的結果であった。初期の、あるいは原始の道教は、次の要因の複合物であった。
94:5.3 1. シングラントンの残存する教え。天帝、すなわち天の神の概念に存続した。シングラントンの時代の中国の人々は、実際には一神教になった。後に天の霊、宇宙の支配者として知られる一つの真理への崇拝に全力を注いだ。知らぬ間にその後の世紀に多くの下位の神と霊がそれらの宗教に入り込みはしたものの、黄色人種は、神格のこの初期の概念を決して完全に失ったというわけではなかった。
94:5.4 2. 人間の信仰に応え賛意を人類に授与するいと高き創造者の神格のシャレイム宗教。しかし、メルキゼデク宣教師が、黄色人種の地に進入する頃には、彼らの本来の知らせが、マキヴェンタの時代のシャレイムの単純な教理からかなり変えられたというのは、あまりに本当である。
94:5.5 3. すべての悪から逃がれる願望に結びつけられたインド哲学者の婆羅門絶対者の概念。シャレイム宗教の東方への普及における恐らく最大異質の影響は、ヴェーダ信仰のインド人教師によって発揮された。その教師達は、シャレイムの救世者の考えへに婆羅門—絶対者—に関する概念を注入した。
94:5.6 この複合信仰は、宗教-哲学的な思考に潜在的影響として黄色人種と茶色人種の領土中に広がった。日本においてこの原始-道教は、神道として知られており、パレスチナのシャレイムからははるか遠方のこの国では、国民は、人類によって神という名前が忘れられないように地球に住んだマキヴェンタ・メルキゼデクの肉体化について学んだ。
94:5.7 中国におけるこれらの信仰のすべては、後に先祖崇拝の絶えず成長集団礼拝と区別がつかず、混同された。しかし、シングラントンの時代以来の中国人は、聖職者の政略の無力な奴隷に陥ることは決してなかった。黄色人種は、他の人種が恐れたほどには死者の幽霊を恐れさえせず、神への無気力の恐怖からある程度の自由を獲得する最初の者であったことから、野蛮な束縛から秩序正しい文明へと最初に浮上する人々であった。中国は、聖職者からの早期の解放を超える進歩がなく敗北した。ほぼ同様に悲惨な誤りに、つまり先祖崇拝に陥った。
94:5.8 だが、シャレイム人は、無駄骨を折ることはなかった。6世紀の中国の偉大な哲学者等が彼らの教えを確立したのは、シャレイム人の福音を土台にしてのことであった。老子と孔子の時代の道徳的状況と精神的感情は、シャレイム宣教師の初期の教えから育った。
94:6.1 マイケルの到着のおよそ600年前、はるか以前に肉体を離れたメルキゼデクは、地球での自分の教えの純粋さが、古いユランチアの信仰への一般的な吸収により過度に危険にさらされていると思った。マイケルの先触れとしての自分の任務は、しばらくの間失敗の危険にさらされているかのようであった。紀元前6世紀に、ユランチアは、惑星の監督者さえすべてを理解していない精神的作用の異例の調整を介し多面的な宗教上の真実の最も珍しい提示を目のあたりにした。シャレイム福音は、人間の教師数人の働きにより言い換えられ、新しい生命を与えられ、次には、それが提示されたままに、多くが、この論文の時代へと持続した。
94:6.2 この特異な世紀の精神的進歩は、文明世界全体にわたる偉大な宗教、道徳、哲学の教師によって特徴づけられた。中国において傑出の2人の教師は、老子と孔子であった。
94:6.3 老子が、道とは、全創造の第一原因なるものであると宣言したとき、直接シャレイム伝統の概念を踏まえていた。老子は、精神的に洞察力の優れた人であった。老子は、「人の永遠の定められた目標は、道との、崇高なる神と宇宙なる王との永続的結合」であると教えた。根本的因果関係についての老子の理解は、最も明敏であった。次のように著した。「和合は、絶対道から起こり、和合から宇宙の二元性が現れ、そしてそのような二元性から三位一体が誕生し、また、三位一体は、すべての現実の第一根源である。」「総ての現実は、常に宇宙の可能性と現実の間の均衡をとっており、そして、これらは、神性の霊により永遠に調和を保たれている。」
94:6.4 老子はまた、善をもって悪に報いる最も初期の教理の提示の一つをした。「善は善をきたすが、本当に良い者には、悪もまた善をきたす。」
94:6.5 かれは、創造者への被創造者の帰還を教え、死は、被創造者のこの人格の帰宅に似ているが、宇宙の可能性からの人格の出現としての生活について描写した。老子の真の信仰の概念は、独特であり、彼もまたそれを「小さい子供の態度」にたとえた。
94:6.6 神の永遠の目的に関する老子の理解は明確であり、「絶対神格は戦わずしていつも勝利を得ている。人類に強いることはなく常に人類の真の願望に応じる準備ができている。神の意志は、忍耐において永遠であり、その表現の必然性において永遠である。」と言った。また、本物の宗教家については、受け取るよりも与えることがより喜ばしいという真実を言い表した。「善人は、それが、真実の実現であるので自分のために真実を繋ぎ止めようとはせず、むしろこれらの富を仲間に授与しようとする。絶対神の意志は、常にためになり、決して破壊しない。本物の信者の目的は、強要することではなく常に行動することである。」
94:6.7 無抵抗の教えと行為と強制の間の区別は、後に「何も見ず、何もせず、何も考えない」という信仰に曲解された。しかし老子は、そのような誤りを決して教えなかったにもかかわらず、その無抵抗の提示は、中国民族の平和贔屓のさらなる発展要因であった。
94:6.8 だが、20世紀のユランチアの人気のある道教は、それを明らかにした通りの真実を教えた昔の哲学者の高尚な情操と宇宙概念との共通点はあまりない。その真実とは、絶対神に対するその信仰は、世界を作り変えるその神性エネルギーの源であるということ、そして、それにより道、つまり永遠なる神格と宇宙の絶対の創造者との精神的結合へと人が上昇するということ。
94:6.9 孔子(孔夫子)は、6世紀の中国の老子より若い同世代人であった。孔子は、黄色人種の長い歴史のより良い道徳的伝統を自身の教理の基盤とし、シャレイム宣教師の依然として残っている伝統にいくらかの影響を受けた。その主要な仕事は、古代の哲学者の名言の編集にあった。生存中は拒絶された教師であったが、その文章と教えは、以来ずっと、中国と日本においてかなりの影響を及ぼした。孔子は、魔法に代わる道徳を導入した点でシャーマンのための新たな一歩を示した。しかし、かれは、あまりにも立派に構築し過ぎた。社会体制から新しい呪物を作り出し、また、まだこの著述時点での中国人に敬われている先祖の行いに対する敬意を確立した。
94:6.10 道徳についての孔子の説教は、地道は、天道の歪んだ影であるという理論、この世の文明の真の型は、天の永遠の秩序の正反射であるという理論で述べられた。儒教における神に関する潜在的概念は、天の道、つまり宇宙の型に置かれた重点にほぼ完全に入っていた。
94:6.11 東洋においてはごく一部を除いて、老子の教えが失われたが、孔子の著作は、以来ずっと、ユランチアのほとんど3分の1の文化の道徳的な骨組みの基礎を構成してきた。孔子の教訓は、過去の最良のものを永続させつつ、大いに崇められたそれらの成就をもたらしたまさしくその中国人の究明精神にいくらか反目していた。秦の始皇帝の帝国の努力と墨子の教えの双方は、これらの教理の影響において不戦勝に終わった。墨子は、倫理的義務に関してではなく、神の愛に関して築かれるる兄弟愛を宣言した。かれは、新しい真実のために古代の探究を再燃させようとしたが、その教えは、孔子の弟子達の強健な反対の前に失敗した。
94:6.12 多くの他の精神的、道徳的教師と同様、孔子と老子の両者は、道教への信仰の衰退と堕落と、そしてインドからの仏教宣教師の到来との間に介在する中国の精神的に暗い時代の彼らの追随者に最終的には神聖視された。精神的に退廃の世紀に黄色人種の宗教は、悪魔、竜、および悪霊すべて、人間の啓発的でない心からの戻りくる恐怖を予示するすべて、が群がるなかで哀れな神学へと堕落した。そして先進的な宗教により一度は人間社会の先頭にあった中国は、その後、個々の人間だけではなく、時空間の進化の惑星における文化と社会の進歩を特徴づける錯綜し複雑な文明も、真の進歩に不可欠であるその神-意識の真の進行軌道における一時的な進歩の失敗のゆえに後退した。
94:7.1 中国の老子と孔子の同時期の人が、もう一人の真実の偉大な教師がインドに現れた。釈迦は、紀元前6世紀にネパールのインド北部地域で生まれた。その信奉者達は、ゴータマは、途方もなく裕福な支配者の息子であると後に明らかにさせたが、実は、かれは、黙認により南ヒマラヤ山脈の人里離れた小さな山間の谷を統治した下級指揮官の継承者と目された人であった。
94:7.2 ゴータマは、6年間の無駄なヨーガの修行後、その理論を仏教哲学へとまとめた。シッダッタは、高まりを見せる階級制度への決然の、だが効果のない戦いをした。この若い予言者である王子には、当時の人々の心を動かすような高潔な誠意と類稀な無私の姿勢が備わっていた。かれは、肉体的苦悩と個人の苦痛の経験による救済を求める修行をおとしめた。かれは、自分の福音を世界中に伝えるよう追随者に熱心に説いた。
94:7.3 インドの混乱と極端な集団礼拝の実践の真っただ中、ゴータマのより健全で節度ある教えは、爽やかな安堵をもたらした。神、聖職者、犠牲を非難はしたものの、彼もまた一宇宙的の人格に気づけなかった。ゴータマは、もちろん、個々の人間の魂の存在を信じることなく、霊魂輪廻の古くからの信仰に対して勇敢な戦いをした。かれは、人が大いなる宇宙において安心し、くつろいだ気分になるように人を恐怖から救い出すための堂々たる努力はしたが、上昇する死すべき者の真の、崇高な家—楽園—への道、そして永遠の存在の広がりゆく奉仕へ人々を導くことができなかった。
94:7.4 ゴータマは、真の予言者であったし、もし隠者ゴダヅの指示に心を留めていたならば、信仰による救済に関するシャレイム福音の復活の閃きにより全インドを喚起させていたかもしれない。ゴダヅは、メルキゼデク宣教師の伝統を一度も失ったことのない家族の子孫の出であった。
94:7.5 ゴータマは、ワーラーナシーに自分の学校を設立し、一人の生徒のバウタンが、自分の教師にアブラーハームとのメルキゼデクの盟約に関しシャレイム宣教師の伝統について伝えたのはその2年目の年であった。シッダールタには宇宙なる父のまことに明確な概念はなかったものの、信仰による救済への前進姿勢をとった—単純な信仰。かれは、追随者の前でそのように表明し、それからインドの人々に「無償の救済の吉報。すべての者、身分の高い者と低い者は、正義と公正への信仰により至福に達することができるということ」を宣言する60人ずつの学生集団の派遣を開始した。
94:7.6 ゴータマの妻は夫の福音を信じ、尼僧会の創設者でもあった。息子は、彼の後継者になり、その集団礼拝を大いに広げた。息子は、信仰による救済の新しい考えについて理解したが、単なる信仰による神の恩恵のシャレイム福音に関しては後年に心が揺らぎ、また老年のその辞世の言葉は、「自身の救済を実現せよ」ということであった。
94:7.7 ゴータマの普遍的救済に関する福音は、最良の状態で公布されたときは、犠牲、拷問、儀式、聖職者に束縛されることなく、その時代にしては革新的、かつ驚くべきな教理であった。そして驚いたことには、それは、シャレイム福音の復活状態に近づいた。何百万もの絶望的な魂に救援をもたらし、後の世紀のその奇怪なこじつけにもかかわらず、それは、何百万人もの人間の望みとしてまだ存続している。
94:7.8 シッダールタは、彼の名のつく近代の礼拝集団の間で生き延びた真実よりもはるかに多くの真実を教えた。現代の仏教は、キリスト教がナザレのイエスの教えでないのと同様に釈迦の教えではない。
94:8.1 仏教徒になるには、人は単に加護を暗唱することによって信仰を公表した。「私は仏陀に避難する。私は教理に避難する。私は同胞愛に避難する。」
94:8.2 仏教は、神話ではなく歴史的人物に起源を取った。ゴータマの信奉者は、ゴータマを主人、あるいは師を意味するサスタと呼んだ。かれは、自分自身とその教えのいずれに対しても超人的主張をしなかったが、弟子達は、悟りに達した者、仏陀と早くから呼び始めた。後には、釈迦牟尼仏陀と。
94:8.3 ゴータマの最初の福音は、四諦に基づいた。
94:8.4 1. 苦諦
94:8.5 2. 集諦
94:8.6 3. 滅諦
94:8.7 4. 道諦
94:8.8 苦しみとそこからの逃避の教理に密接につながるものは、八正道、すなわち、正見、正思惟、正葉、正業、正命、正精進、正念、正定の哲学であった。ゴータマの狙いは、苦しみからの逃避におけるすべての努力、願望、愛情を破壊する試みではなかった。むしろ、俗世の目標と物質的な目的に向けてのすべての望みと切望を完全に押え込む無用さを人間の心に描かせるよう考案された教えであった。それは、人間の仲間の愛は、回避されるべきであるというよりはむしろ、真の信者は、この物質界を超越した永遠の未来の現実を見るべきであるということであった。
94:8.9 ゴータマの説教の道徳的戒律は、全部で5条であった。
94:8.10 1. 殺さない。
94:8.11 2. 盗まない。
94:8.12 3. 不貞をはたらかない。
94:8.13 4. 嘘をつかない。
94:8.14 5. 酒を飲まない。
94:8.15 いくつかの付加の、あるいは補助的戒律があり、その遵守は信者にとり任意であった。
94:8.16 シッダールタは、人間の人格の不死をほとんど信じなかった。その哲学は、一種の機能的連続性を提供したに過ぎなかった。涅槃の教理に何を盛り込むかを決して明確には定義しなかった。生活で理論的に経験できるという事実は、完全な全滅の状態としては見られないということを示すであろう。それは、人を物質界に束縛するすべての足枷が壊される最高の悟りと崇高な至福の状態を含意した。人間の生活の願望からくる自由と肉体化の再度の経験というすべての危険からの救出があった。
94:8.17 ゴータマの当初の教えによると、神の助けは別として、救済は、人間の努力により達成される。救済する信仰あるいは超自然の力への祈りの余地はない。ゴータマは、インドの迷信を最小にする試みにおいて人に魔術的救済のあからさまな要求を回避させる努力をした。この努力において、かれは、その後継者らが、彼の教えを曲解し、すべての人間の到達への努力は嫌気のさす、また苦痛を与えると宣言する可能性を広げたままにした。その追随者らは、最高の幸福は、価値ある目標の知的で意欲的な追求に関連しているということ、またそのような成果が、宇宙的自己実現で本当の進歩を構成するという事実を見落とした。
94:8.18 シッダールタの教えの大いなる真実は、絶対正義の宇宙を表明するものであった。かれは、これまでに人が創案した無神の最良の哲学を教えた。それは、理想的な人間至上主義であり、その上、迷信、魔術儀式、幽霊あるいは悪霊の恐怖へのすべての根拠を最も効果的に取り除いた。
94:8.19 本来の仏教の福音の大きな弱点は、寡欲な社会奉仕の宗教を生産しなかったということである。仏教の兄弟愛は、長い間、信者の友愛ではなく、むしろ師と門弟の共同体であった。ゴータマは金の受け取りを禁じ、それによって階級性傾向への促進を防ごうとした。ゴータマ自身は、非常に社会的であった。その人生は、まことに、その説教よりもはるかにすばらしかった。
94:9.1 仏教は、仏陀、悟りに達した者への信仰による救済を提供したから繁栄した。それは、東アジア全体で見つけうる他のいかなる宗教体制よりも最もメルキゼデクの真実を代表していた。しかし、仏教は、低い階級君主のアソーカが、自己保護の意味で擁護するまで宗教としては広まらず、エジプトのイフナトンに続いてアソーカ王は、メルキゼデクとマイケルの間にいた最も顕著な民間支配者の一人であった。アソーカ王は、仏教宣教師の宣伝活動により偉大なインド帝国を樹立した。25年の1期間、全世界の最遠の辺境地帯に1万7千人以上の宣教師を養成して送り出した。1世代で、仏教を半分の世界の優位な宗教にした。それは、やがて、チベット、カシミール、セイロン、ビルマ、ジャワ、タイ、韓国、中国、および日本で確立されるようになった。そして、一般的に言って、それは、それが取って代わったり、高められたものよりも大いに優れた宗教であった。
94:9.2 インドのその故国から全アジアへの仏教の普及は、誠実な宗教家の精神的献身と伝道持続の感動的な物語の中の一つである。ゴータマの福音教師は、全アジア大陸における使命を果たし、全民族に信仰の趣旨を持たらすに当たり、陸路の隊商道路の危険に勇敢に立ち向かうばかりでなく、シナ海の危険にも直面した。しかし、この仏教は、もはやゴータマの容易な教理ではなかった。それは、ゴータマを神にする奇跡を加えた福音であった。そして、仏教が、インドのその高地の故郷から遠くへ広まれば広まるほど、ゴータマの教えとはますます異なり、ますます取って代わった宗教のようになった。
94:9.3 後に、仏教は、中国では道教、日本では神道、チベットではキリスト教の影響を相当にうけた。1,000年後、仏教は、インドでは、単に萎み、絶えた。それは、婆羅門化され、後には情けなくイスラム教に明け渡され、一方、東洋の残りのほぼ全体にわたり、それは、釈迦が決して承認しようとしなかった儀式へと衰退した。
94:9.4 シッダールタの教えの南方の原理主義は、セイロン、ビルマ、およびインドシナ半島で存続した。これは、初期の、つまりは反社会的教理にしがみつく小乗仏教の分派である。
94:9.5 しかし、インドでの崩壊前にさえ、ゴータマ信奉者の中国人と北部インドの集団は、小乗仏教、または「小道」に固執する南の純粋主義者とは対照的に救済への「大道」の大乗仏教の教えの動きを始めた。これらの大乗仏教は、仏教の教理に固有の社会的制限からは解き放たれ、以来ずっとこの北方仏教は、中国と日本で発展し続けた。
94:9.6 それが支持者の最高の道徳的な価値の多くの保存に成功していることからり、仏教は、今日、生きており、発達する宗教である。それは、平静と自制の促進、平穏と幸福の増大、悲しみと哀悼の防止のために多くのことをする。この哲学を信じる人々は、信じない多くの者よりもより良い生活を送る。
94:10.1 仏教、ヒンドゥー教、道教、キリスト教に結合されるメルキゼデクの教えの最も奇妙な関連性が、チベットに見られるかもしれない。仏教の伝道師が、チベットに入ったとき、初期のキリスト教宣教師が、ヨーロッパの北方部族の中で見つけたそれと非常に似た原始の野蛮の状態に遭遇した。
94:10.2 これらの単純なチベット人は、自分達の古代の魔術と護符を完全には諦めなかった。現代のチベットの儀式の宗教上の行事についての考査は、鈴、読経、線香、行列、念珠、像、護符、絵画、聖水、派手な礼服、複雑な合唱をとりいれた入念な儀式を行う剃髪の聖職者の大きくなり過ぎた兄弟愛を明らかにする。彼らには、柔軟性のない教義、明確な主義、神秘的儀式、および特別な断食がある。その階層は、僧、尼僧、修道院長、それにダライ・ラマを包含している。かれらは、天使、聖者、聖母と神に祈る。かれらは、告白を慣行し、地獄、浄罪を信じる。その僧院は大規模で、大聖堂は壮麗である。かれらは、神聖な儀式の無限の際限のない反復を続け、またそのような儀式が救済を与えると信じている。祈りは輪転に固定されており、そしてかれらは、その回転と共に誓願が効果をもたらすようになると信じる。とても多くの宗教からのこれほど多くの遵守は、現代の他の民族の間に見い出すことはできない。そして、そのような度重なる礼拝式が、過度に厄介で耐えられないほど重荷となるのは必然である。
94:10.3 チベット人は、イエスの福音の簡単な教えを除いては、すべての主な世界宗教の何かを持っている。神との息子関係、人との兄弟愛、および永遠の宇宙の中の絶えず上昇する市民の資格。
94:11.1 仏教は、キリスト後の第1千年紀に中国に入り、それは、黄色人種の宗教習慣によく収まった。彼らが持っていた先祖崇拝において、かれらは、死者に長い間祈った。今また、彼らは、死者達に祈ることができた。仏教は、すぐ、自壊する道教の残存する儀式主義的習慣と混合した。寺院でのその崇拝と明確な宗教儀式とのこの新しい合成宗教は、やがて中国、韓国、日本の諸国民に一般的に受け入れられる集団礼拝となった。
94:11.2 ゴータマの追随者が、彼を神の存在にするために礼拝集団の伝統と教えを正道から逸らす後まで、仏教が、世界に広げられなかったということは、ある意味で不幸ではあるが、それでもなお、数多くの奇跡で装飾された彼の人生のこの神話は、仏教思想の北方の、すなわち大乗福音の聴取者に非常に魅力的であると分かった。
94:11.3 後の追随者の幾人かは、釈迦牟尼仏陀の霊は、生ける仏陀として定期的に地球に戻ると教え、その結果、仏陀の像、寺院、儀式、および「生ける仏陀」の替え玉の無期の永続化をもたらした。このようにして、ついには抗議を表明するインドの偉大な宗教家は、ゴータマが大変不敵に戦ったもの、そして大変勇敢に糾弾した行事的慣習や儀式的な呪文に束縛された。
94:11.4 仏教哲学における大きな進歩は、全真実の関連性の理解から成った。仏教徒は、この仮説手段を通して自身の経典と他の多くのものとの違いはもとより自身の宗教の経典の中の意見の相違の折り合いをつけたり、また関連させることができた。小さい真実は小さい心のために、大きい心は大きい真実のためのものであるということが教えられた。
94:11.5 この哲学もまた、仏陀(神性)の特質がすべての人間に宿るということ、人間は、自身の努力で、この内部の神性の実現に達することができるということを保持した。そしてこの教えは、かつてユランチアの宗教により作られた内在する調整者の真実の最も明確な提示の1つである。
94:11.6 シッダールタの本来の福音の大きな限界は、かれの追随者が解釈したように、自己を客観的現実から分離する手法によって人間の本質のすべての制限から人間の自己の完全な解放を試みたということであった。宇宙の自己実現は、宇宙現実との、そして空間により制限され時間により条件づけられるエネルギー、心、精神の限りある宇宙との同一化によって生まれる。
94:11.7 しかし、仏教の儀式と外向きの遵守は、それが旅をした土地のそれらで著しく汚染されたが、この退廃は、この考えと信仰の体系を抱いていた偉大な思想家の哲学的人生においては、時として事実に当てはまらなかった。2千年以上も、アジアの優れた人々の多くは、絶対的真実と絶対者の真実を確かめるという問題に集中している。
94:11.8 絶対者についての高度の概念の発展は、多くの思考回路を経て、また遠回りの論理的思考の道筋により成し遂げられた。無限についてのこの主義の上向きの登攀は、ヘブライ神学における神の概念ほどには明確に定義されなかった。それにもかかわらず、仏教徒の心が宇宙の第一根源を思い描く道に達し、留まり、通過する一定の広い段階があった。
94:11.9 1. ゴータマの伝説。概念の根底には、インドの予言者である王子のシッダールタの生涯と教えについての史実があった。この伝説は、何百年もにわたり、しかもアジアの広い土地を横断する間に悟りに達した者としてのゴータマの構想状態を上回る程度にまで神話へと成長した。そして、さらなる特性を呈し始めた。
94:11.10 2. 多くの仏陀。もしゴータマがインドの諸国民に来たのであれば、次には、遠い過去と遠い将来において、疑いようもなく、全人類は、真実の他の教師達に祝福されていたに違いないと結論づけられた。これは、多くの仏陀が存在するという教え、無制限で無限の数、誰もが仏陀になることを望むことさえできるという—仏陀の神性に達すること—教えをもたらした。
94:11.11 3. 絶対の仏陀。仏陀の数が無限に近づくまでには、当時の人々にとりこの扱いにくい概念を再統一する必要に迫られた。それに対応して、総ての仏陀は、多少のより高い本質の顕現、無限の、絶対の存在である永遠なるもの、すべての現実の若干の絶対源以外の何ものでもないということが、教えられ始めた。ここから、仏教の神の概念は、その最高の型では、釈迦の人間の身体から分離するようになり、それを皮紐につないできた擬人的制限から解き放す。永遠なる仏陀のこの終局的な概念は、絶対者として、時として無限の私はある、としてさえ十分に同一視することができる。
94:11.12 絶対神のこの考えは、決してアジア民族の大きな支持を受けていない傍らで、これらの国々の識者が、彼らの哲学を統一し、彼らの宇宙を調和させることを可能にした。仏陀絶対の概念は、時に疑似個人的であり、時に完全に非個人的で—無限の創造の力でさえ—ある。そのような概念は、哲学には有用であるが、宗教発展には重要ではない。擬人観のヤハウェでさえ、仏教か婆羅門教の無限に隔たった絶対よりも大きい宗教価値がある。
94:11.13 時として絶対者は、無限の私はあるの中にあるとさえ考えられた。しかし、これらの推測は、神への信仰が、神の恩恵と永遠の生存を保証するという約束の言葉を聞くこと、シャレイムの単純な福音を聞くことを切望する空腹の大衆への冷え冷えとした安らぎであった。
94:12.1 仏教の宇宙論の大きな弱点は、2要素であった。インドと中国の多くの迷信によるその汚染、そしてまず悟りに達した者、次には永遠なる仏陀としてのゴータマのその昇華。ちょうどキリスト教が、多くの誤った人間の哲学の併合に苦しんだように、同様に仏教は、その人間の生まれつきの痣をもつ。しかしゴータマの教えは、過去2,500年間発展し続けた。悟りに達した仏教徒にとっての仏陀の概念は、開眼のキリスト教徒にとってのエホバの概念が、ホレーブの悪霊と同じではないのと同様に、ゴータマの人間の人格ではない。古い命名法の感傷的な保持と相まった専門用語の不足は、宗教的概念の進化の性格な意味の把握に関する怠慢をしばしば引き起こす。
94:12.2 神の概念は、絶対者に比しての、徐々に仏教に現れ始めた。その源は、小道と大道の信奉者のこの分化の初期に遡ってある。神と絶対の二元的概念が最終的に熟したのは、仏教の後者の分割の中であった。一歩一歩、世紀ごとに、神の概念は、日本の良忍、法然上人、親鸞の教えと相まって発展し、またこの概念は、阿弥陀仏陀への信仰において最終的に実を結んだ。
94:12.3 魂は、死の経験に際し、涅槃、すなわち存在の究極に入る前に楽園での滞在を楽しむことを選ぶかもしれないということが、これらの信者に教えられた。この新たな救済は、神の慈悲と西の楽園の神である阿弥陀の愛に満ちた保護への信仰とによって達成されると広布される。阿弥陀の信奉者は、その哲学において、すべての有限の人間の理解力を超えてある無限の真理にしがみついている。彼らの宗教において、本物の信仰をもち純粋な心をもって阿弥陀の名を呼び求める者は、1人として楽園の崇高な幸せの到達に失敗することのないとても世界を愛し、すべてに慈悲深い阿弥陀の信仰にすがりついている。
94:12.4 仏教の大きな強味は、その支持者がすべての宗教からの真理を自由に選ぶことができることである。そのような選択の自由は、ユランチアの信仰をあまり特徴づけてこなかった。この点で、日本の真宗は、世界一進歩的な宗教集団の1つになった。それは、ゴータマの追随者の古代の伝道の精神を蘇らせ、教師を他の民族に送り始めた。ありとあらゆる源から真実を充当するこの意欲こそが、20世紀前半、宗教信者の間に現れる称賛に値する傾向である。
94:12.5 仏教自体は、20世紀の復興を経験している。キリスト教との接触において仏教の社会的局面は大いに高められた。学ぶという願望は、僧聖職者の兄弟愛の心で再燃し、またこの宗教を通じての教育の普及は、確かに宗教発展に新たな進歩をもたらすであろう。
94:12.6 アジアの大半は、この著述の時点において仏教にその望みを置いている。過去の暗黒時代を果敢に生き続けてきたこの崇高な信仰は、かつてインドの弟子達が偉大な師の新たな真実の宣言を聞いたように広がった宇宙現実の真実をもう一度受け入れるのであろうか。この古代の信仰は、もう一度、非常に長い間求めてきた神と絶対者の新概念の提示を活気づける刺激に反応するのであろうか。
94:12.7 全ユランチアは、19世紀の蓄積された教理と主義の進化的起源をもつ宗教との接触に妨げられないマイケルの高尚な主旨の宣言を待ちうけている。仏教、キリスト教、ヒンドゥー教への、すべての信仰の民族にまでも、イエスに関する福音ではなく、イエスの福音の生きた、精霊的な現実の提示のための時を告げている。
94:12.8 [ネバドンのメルキゼデクによる提示]