134:0.1 地中海の旅行中、イエスは、出会った人々と通過した国々をじっくり調査してきた。そして、この時期に地球での人生の残りに関する最終的な決定に達した。パレスチナでユダヤ人の両親に生まれたと予め定められたその計画を十分に考慮し、今や最終的に承認した。従って公のための真実の教師として自分の一生の仕事の始まりを待ち受けるためにわざわざガリラヤに戻った。かれは、父親ヨセフの身内のその土地で公的な経歴の計画を立て始めた。また、イエスは、彼自身の自由選択でこれをした。
134:0.2 イエスは、地球での人生の終章設定をし、最終場面を演じるために、パレスチナが、ローマ世界で最善の場所であることを個人的に人生経験を通して知った。初めて、故郷のパレスチナのユダヤ人と非ユダヤ人の間で公然と自己の本質を表し、また自己の神性の正体を明らかにする計画に完全に満足していた。かれは、無力な赤子として人間生活に入った同じ土地で確実に地球での人生を終え、限りある命の自己の使命を全うすると決めた。彼のユランチア経歴はパレスチナのユダヤ人の中で始まり、かれは、パレスチナのユダヤ人の中でその人生を終えることを選んだ。
134:1.1 ハラクスでゴノドとガニドに暇乞いをした後(西暦23年、12月)、イエスは、ウル経由でバビロンへ戻った。そこで、彼は、ダマスカスへ行く途中の砂漠の隊商隊に合流した。ダマスカスからナザレに行き、ほんの数時間カペルナムに寄り、ゼベダイの家族を訪問した。そこで、かれは、以前いつか自分の代わりにゼベダイの船の作業場に働きに来た弟のジェームスに会った。ジェームスとユダ(また偶然カペルナムにいた)と話した後に、ゼベダイ・ヨハネがなんとか買うことができた小さい家をジェームスに引き渡した後に、イエスは、ナザレに進んだ。
134:1.2 地中海旅行の終わりに、イエスは、ほぼ公のための職務の始まりまでには、生活費用を満たすに足りる金額を受領していた。しかし、カペルナムのゼベダイとこの並はずれた旅で会った人々は別として、世間は、イエスがこの旅行をしたことを全く知らなかった。家族は、彼がこの時期アレキサンドリアで研究して勉強に費やすと常に考えていた。イエスはこれらの思い込みを決して確かめなかったし、そのような誤解を公然と否定もしなかった。
134:1.3 数週間のナザレでの滞在中、イエスは、家族や友人と雑談し、修理工場で弟ヨセフと若干の時を過ごしたが、大部分はマリヤとルツへ注意を注いだ。ルツは当時15歳ほどであり、年若い女性となってからは、これが彼女と長く話すイエスの最初の機会であった。
134:1.4 サイモンとユダの両者は、少し前から結婚したかったのであるが、イエスの同意なくしては嫌であった。従って、長兄の帰りを期待して、彼らは、この行事を延期していた。ほとんどの事柄に関してジェームスを家族の代表と見なしてはいたものの、結婚するに当たっては、彼らは皆、イエスの祝福を望んだ。それで、サイモンとユダは、この年西暦24 年、3 月上旬に二組の結婚式を挙げた。年上の子供達が今や皆結婚した。一番年下のルツだけが、マリヤと家に残った。
134:1.5 イエスは、家族の個々人と全く普通に自然に雑談したが、皆が揃ったときは、それほど話さなかったので、かれらは、それに気づき、感想を述べ合うほどであった。マリヤは、特に長子の息子のこの異常に独特な振舞いに当惑した。
134:1.6 イエスがナザレを去る準備をしていた頃、都を通過していた大隊商隊の案内人が、激しい病にかかった。そこで外国語に通じたイエスが、その代役を買って出た。この旅行は1年間の彼の不在を必要とする理由で、その上すべての弟が結婚しており、母はルツと家にいたので、イエスは、家族会議を召集し、母とルツには、つい最近ジェームスに与えたカペルナムの家に移り住むことを提案した。従って、イエスが隊商隊と去った数日後、マリヤとルツは、カペルナムに移り、かれらは、イエスが用意した家でマリヤの余生の間を暮らした。ヨセフとその家族は、古いナザレの家に引っ越した。
134:1.7 これは、人の息子の内面的経験におけるより変わった年の1つであった。人間の心と内在する調整者との間の有効な調和をもたらす素晴らしい進歩が見られた。調整者は、遠くない将来の大きな出来事に対する考えの再編成と心の習熟に活発に従事していた。イエスの人格は、世界に対する自己の心構えにおける大きな変化に備えていた。これらは、変わり目の時、神が人として姿を現す人生を始め、今人が神として地球でのその人生を完了しようと準備をしている過渡期であった。
134:2.1 イエスがカスピ海地域への隊商旅行でナザレを去ったのは、西暦24年4月1日であった。イエスがその案内人として加わった隊商隊は、エルサレムからダマスカスとウルミア湖経由で、アッシリア、メディアおよびパルチアを通過し、南東のカスピ海地方に行く予定であった。かれが、この旅行から戻るまでにはまる1年かかった。
134:2.2 イエスにとってのこの隊商の旅は、探査と直接奉仕のもう一つの冒険であった。隊商隊の家族—乗客、番人、ラクダの御者達—との面白い経験をした。隊商の沿道に住む何十人も多くのの男女、および子供等は、ありふれた隊商の並はずれた案内人であるイエスとの接触の結果、より豊かな人生を送った。彼の個人的奉仕の機会を全ての者が楽しんだ訳ではないが、彼と出合い話したかなりの人々は、自然の余生がより良くされた。
134:2.3 彼のすべての世界旅行のうち、このカスピ海旅行が、東洋の最も近くにイエスを移動させ、また極東民族をより理解することを可能にした。かれは、赤い民族を除いてユランチアに生き残っている各種族との親密かつ直接的な接触をした。かれは、等しくこれらの様々な種族、混合した民族のそれぞれへの個人的な奉仕を楽しんだし、彼らは皆、イエスの携えてきた生きた真実を受け入れた。極西部地方からのヨーロッパ人と極東からのアジア人はみな同じで、望みと永遠の命のイエスの言葉に注目し、かれが、自分達の間でとても慈悲深く暮らしたイエスの愛の奉仕と精神的活動の人生によっても等しく影響を受けた。
134:2.4 隊商旅行はあらゆる面で成功であった。この年ずっと物資の責任を委ねられ、また隊商を構成している旅行者の安全な指揮の責任ある経営伎倆において機能したので、これは、イエスの人間生活での最も興味深い挿話であった。そして、彼は、最も忠実に、効率的に、賢明に自分の複数の職務を履行した。
134:2.5 カスピ海地方からの戻り、イエスは、ウルミア湖で隊商の指揮をあきらめ、そこに2 週間余り滞在した。彼は、後発の隊商の乗客としてダマスカスに戻った。そこでは、ラクダの所有者達が、彼等の業務活動に留まるよう懇願した。この申し出を断り、隊商の行列とカペルナムへと旅を続け、西暦25 年4 月1 日到着した。もはや、かれは、ナザレを故郷とは見なさなかった。カペルナムは、イエス、ジェームス、マリヤ、およびルツの家となった。しかし、イエスは、決して家族と再び暮らさなかった。かれは、カペルナムでは、ゼベダイ家を自分の家庭とした。
134:3.1 カスピ海への途中、イエスは、ウルミア湖西岸のウルミアの古いペルシアの都市で休息と回復のために数日間留まった。ウルミア近くの沖合にある一群の島の中で最大のものには、「宗教の霊」に捧げた大きい建物—講議用円形劇場—があった。この建物は、実は宗教の哲学の寺院であった。
134:3.2 この宗教寺院は、ウルミアの豪商とその3 人の息子により建設された。この男は、キンボイトンといい、先祖は多くの多様な民族を含む。
134:3.3 この宗教学校での講義と討議は、平日毎朝10 時に始まった。午後の集会は3 時に始まり、夜の討論は8 時に開かれた。キンボイトンか3 人の息子のうちの一人は、いつも教育、議論と討論のこれらの集会の議長をした。この異色の宗教学校の創設者は、一度も自分の個人的な信仰を明らかにすることなく生きて、死んだ。
134:3.4 時折、イエスは、これらの議論に参加し、そしてウルミア出発前に、キンボイトンは、帰路には2 週間自分達と滞在し、「人間の兄弟愛」に関して24 回講議し、そして特に彼の講義に関して、また全体を通しての人間の兄弟愛に関する質問、議論と討論の12 回にわたる夜の集会を開くための打ち合わせをイエスとした。
134:3.5 この取り決めに従って、イエスは、帰路の途中に立ち寄り、これらの講義をした。これは、ウランチアでの全てのあるじの教えの中でも最も系統だった、正式なものであった。人間の兄弟愛に関わるこれらの講義と議論に含まれた1つの主題についてこれほどまでに多くを言ったことは前にも後にも決してなかった。これらの講義は、事実上、「神の王国」と「人間の王国」についてであった。
134:3.6 30以上の宗教と宗派は、宗教的な哲学のこの寺院の教授陣に見受けられた。これらの教師は、選ばれ、支持され、またそれぞれの宗教集団によって完全に公認された。このとき、教授陣にはおよそ75 人がおり、かれらは、12 人程度収容できる小家屋に住んでいた。この集団は、新月毎に、多くの顔ぶれと入れ換えられた。寛容のなさ、争い好きな態度、また共同体の滑らかな運営を妨げるような他のいかなる他の気質も、問題のある教師の即時、即刻の解雇をもたらすのであった。その教師は、形式ばらずに解雇され、控えの補欠がすぐに、その位置に就任するのであった。
134:3.7 様々な宗教のこれらの教師は、かれらの宗教が、この人生と次の世界の人生における基本的な事に関していかに相似しているかについて示すかなりの努力をした。この教授陣に席を得るために受け入れなければならないわずかに1 つの主義—すべての教師が、神、ある種の最高の神格、を認識する宗教を代表しなければならない—が、あった。組織化された宗教を代表しない5 人の独立した教師が教授陣にいた。そして、イエスが現れ出向いたのは、そういう独立した教師達であった。
134:3.8 [我々ミッドウエイヤーがウルミアでイエスの教えに関する概要を最初に準備したとき、ユランチア啓示のこれらの教えを含む知恵に関する教会の熾天使と進歩する熾天使との間に、相違いが、起きた。これらの世界機能が20世紀に存在するようには、ウルミアであるじの教えを神の王国と人の王国の問題に適合させるのは誠に困難なことであったように、宗教と人間の政府の両方で優勢である20 世紀の状況は、イエスの時代の優勢さとはかなり異なっている。我々は、惑星政府のこれらの熾天使の両集団が満足できるあるじの教えを系統立てて述べることができなかった。最終的に、天啓委員会のメルキゼデク議長は、ユランチアに関する20世紀の宗教上の、そして政治状況に適合するように、あるじのウルミアの教えの視点を準備するために我々の集団からの3 名の委員会を任命した。従って、我々3 名の二次中間者は、イエスのそのような教えの翻案を完成し、現代の世界情勢に適用して彼の公式見解を言い換えて、天啓委員会のメルキゼデク議長によって編集された後に、我々は、あるがままのこの声明をいま提示する。]
134:4.1 人間の兄弟愛は神の父性に基づく。神の家族は、神の愛に由来しており—神は愛である。神なる父は、その子等全てを神々しく愛している。[1]
134:4.2 神の政府、天の王国は、神の主権、神は霊である、という事実に基づく。神は精霊であるので、この王国は精霊的である。天の王国は物質的でもなく、単に知的でもない。それは、神と人との精霊的な関係である。[2]
134:4.3 異なる宗教が神なる父の精霊主権を認識するならば、すべてのそのような宗教は平和のままであろう。1 つの宗教が、他のすべてよりもいくらか優れている、また他の宗教の上に独占的な権限を保持すると仮定する時だけ、そのような宗教は、他の宗教を受け入れないないか、または他の宗教信者を敢えて迫害することになるであろう。
134:4.4 宗教平和—兄弟愛—は、全宗教が、全ての教会の権威を完全に剥奪し、精霊主権の全ての概念を完全に放棄することを進んでしない限り、決して存在し得ない。神のみが精霊主権者である。
134:4.5 全ての宗教が、何らかの超人的段階に、神自身への全ての宗教主権の譲渡に同意しない限り、宗教戦争無しには、宗教(信仰の自由)の間に平等はあり得ない。
134:4.6 人間の心の天の王国は、宗教統一(必ず一様であるというわけではない)を生み出すであろうから、そのような宗教信者から成るすべての宗教団体は、教会の権限—宗教主権の全て—のすべての概念から自由になるであろう。[3]
134:4.7 神は精霊であり、神は人の心に住むために自分の精霊の破片を与える。精霊的に、全ての人間は平等である。天の王国には、カースト制度、階級、社会的水準、および経済集団がない。皆が、同胞である。[4][5][6]
134:4.8 しかし、人が、神なる父の精霊主権を見失うその瞬間、ある1 つの宗教は、他の宗教の上にその優越について主張し始めるであろう。そうなると、地球の平和と人の間の善意の代わりに、不和、非難の逆襲、宗教戦争さえ、少なくとも宗教家の間の戦争、が始まるであろう。
134:4.9 自身を同等のものと見なす自由意志を持つ者たちは、いくらかの超主権を、自身の上に何らかの権威を条件として相互に認めない限り、遅かれ早かれ、他の人々や集団の上に力と権威を獲得するため彼等の手腕を試用したくなる。平等の概念は、「超主権」のいくらかの支配過剰の影響の相互認識を除いたのでは、平和を決してもたらさない。
134:4.10 ウルミアの宗教家たちは、宗教主権に関する全ての概念を完全に放棄したので、比較的平和に平静に共存した。精霊的に、彼らは全員、主権を有する神を信じた。社会的には、議長—キンボイトンに完全かつ非-挑戦の権力を委任した。かれらは、仲間教師の上に立とうとした教師に、何が起こるかを熟知していた。すべての宗教集団が、神の偏愛、選ばれた人々、宗教主権に関する全ての概念を惜しげなく放棄するまで、ユランチアに持続する宗教平和をもたらすことはできない。神なる父が最高となるときにだけ、人間は、地球で宗教の兄弟となり平和に共存するようになるのである。
134:5.1 [神の主権に関するあるじの教えは、真理—世界の宗教の中で彼に関するその後の宗教の台頭によって複雑になったに過ぎない—であるとともに、政治的な主権に関する彼の発表は、この1,900 年間もその上も、国の生活の政治的進化によって非常に複雑になった。イエスの時代の世界には、2大強国—西洋のローマ帝国と東洋の漢帝国—しかなく、これらは、パルティア王国、そしてカスピ海とトルキスタン領域に介在する他の国々とにより遠く切り離されていた。我々は、従って、ウルミアでの政治主権に関するあるじの教えの要旨からは、次の提示においてより遠く離れてしまった。同時に、それらが、キリスト以後の20 世紀に政治的主権の発展の格別に重要な段階に適用できるような教えの移入の叙述を試みる。]
134:5.2 国が無制限な国家主権の錯覚に基づく概念に執着する限り、ユランチアにおける戦争は決して終わらないであろう。棲息世界には2 局面の相対的主権しかない。一個人の精神的な自由意志と人類の総体的な主権。個々の人間の局面と人類総体の局面の間では、すべての分類づけと集団は相対的であり、一時的であり、また個人と惑星全体—個人と人類—の福祉、幸福、進展を高める限りにおいては価値がある。
134:5.3 宗教教師は、神の精霊的主権が、全ての介在する精霊的忠誠心と取って代わるということをつねに思い出さなければならない。いつか市民の統治者は、いと高き者が人の王国で統治するということを知るであろう。[7]
134:5.4 人の王国におけるいと高き者のこの統治は、いかなる人間の、殊に贔屓された集団の特別な利益ではない。「選民」というようなものはないのである。いと高き者達の統治、政治的進化の過度の統制者達は、すべての人間の最大多数のための最長期間にわたる最善を促進するように考案された規則である。
134:5.5 主権は、力であり、組織化により成長する。政権組織のこの成長は、人類全体の絶えず拡大する部分を含む傾向があることから、好ましく、適切である。しかし、政治団体のこの同じ成長は、政権の初期で自然の組織—家族—と政治的な成長の最終的成就—全人類による、そして全人類のための全人類の政府—の間に介入するあらゆる段階で問題を生じさせる。
134:5.6 政治的主権は、家族集団において親の力で始め、家族が様々な理由のために血縁の一族と重なり部族に合一—超血族の政治上の分類づけ—するように、組織化により進化する。そして、取引、商業、および征服により、部族は国として統一され、国自体は時おり帝国により統一されるようになる。
134:5.7 主権がより小さい集団からより大きい集団へと移行するにつれ、戦争は減少する。すなわち、小国間の小戦争は減少するが、複数の国が主権を拡大するにつれ、より大きな戦争の可能性が増大する。やがて、全世界が調査され、占領されてしまうとき、国が少なく、強く、強力であるとき、これらの強大で、おそらくは主権をもつ国々が国境を接するとき、その上海洋だけがそれらを切り離すとき、重大な戦争、世界的な紛争のために舞台が設定されるであろう。いわゆる主権国家というものは、紛争を引き起こすことなく、戦争を起こすことなく、交流はできない。
134:5.8 家族から全人類への政治主権の進化の困難は、介在する全ての段階において示される慣性抵抗にある。時々家族は、その一族に逆らってきたし、一族と部族は、しばしば地方国家の主権を覆してきた。政治主権のそれぞれの新たで前向きの進化は、政治団体の過去の開発の「足場段階」によって躊躇し、妨げられるし、(今までもずっとそうであった)。そして、これは、いったん動かされた人間の忠誠心は、変えにくいので本当である。部族の発展を可能にする同じ忠誠は、「超部族」—領国—の発展を難しくする。そして、領土の状態の進化を可能にする同じ忠誠心(愛国心)は、すべての人類の政府の進展的発達を非常に複雑にする。
134:5.9 政治主権というものは、まず、家族内個人により、それから部族やより大きい分類分けに関わる一族による自己決定主義の降伏から生まれる。より小さいものから非常に大きい政治団体へのこの進歩的な自己決定の移行は、明とムガール王朝の確立以来、東洋においては概して衰えずに続行した。西洋においては、不幸な後退する動きが、多数の小集団の潜んでいた政治主権をヨーロッパに再確立することによってこの通常な傾向を一時的に覆したとき、世界大戦の終わりまでの1,000年以上これを手にしていた。
134:5.10 ユランチアは、いわゆる主権国家が、主権を賢明にかつ完全に人間の兄弟の手—人類政府—に引き渡さない限り長続きする平和を味わないであろう。。国際主義—国際連盟—は、人類に永久的平和を決してもたらすことはできない。世界規模の国家同盟は、小規模戦争を効果的に防ぎ、小国をまずまず制御するであろうが、世界大戦を防いだり、最も強力な3、4、または5 つの政府を抑制はしないであろう。実際の紛争に直面の際、これらの大国の1つは、同盟から脱退し、戦争を宣言するであろう。国家主権の妄想の害毒に感染状態でいる限り、国同士の戦争をくい止めることはできない。国際主義は、正しい方向への一歩である。国際的警察力は、多くの小戦争を防ぐであろうが、それは、大きな戦争、地球の相当の軍事政府同士の闘争を防ぐに当たっては効果的ではなかろう。
134:5.11 本当に主権国家(強国)の数が著しく減少するに従い、人類政府ののための機会と必要性の双方も、増加する。ほんのいくつかの本当の主権の(強力な)国家が存在する時、国家(帝国)覇権のための生死の争いに乗り出さなければならないか、さもなくば、主権の特権の自発的な引き渡しにより、かれらは、全人類の真の主権の始まりとして役目を果たす超国家力の不可欠な中枢を設けなければならない。
134:5.12 すべてのいわゆる主権国家が全人類の代理政府手に戦争を起こすその力を引き渡すまで、ユランチアに平和は来ないであろう。政治主権は、世界の民族に本来備わっている。ユランチアの全民族が世界政府を創設するとき、彼らにはそのような統治主権を握る権利と力がある。そして、そのような代表または民主主義の世界の強国が、世界の陸、空、海軍を支配するとき、地球の平和、および人の間の善意の波及が可能となる—だが、それまでは、、、。
134:5.13 重要な19 世紀と20 世紀の具体例を用いるために: アメリカ連邦国家の48 州が長い間、平和を享受してきた。彼等の間に戦争は、もうない。連邦政府に自分達の主権を放棄し、戦争の仲裁を経て、自決の妄想に対する全ての要求を断念した。各州がその内政事情を管理する旁ら、外交関係、関税、出入国管理、軍事、または各州間の商業には関わらず、個々の州も、市民権の問題に関係しない。連邦政府の主権が何らかの危険にさらされるときだけ、48 州が戦争による損害を被る。
134:5.14 これらの48 州、主権と自決の対の詭弁を捨て、州の間の平和と安らぎを楽しむ。同様に、ユランチアの国々は、それぞれの主権を地球の政府—人間の兄弟の主権—の手に自由に明け渡すとき、平和を味わい始める。ロードアイランドの小さい州がニューヨークの人口の多い州、またはテキサスの大きい州と全く同等にアメリカ議会に2 人の上院議員がいるように、この世界国家においては、小さい国々は、大きい国々と同じくらい強力であろう。
134:5.15 この48 州の限られた(州の)主権は、人間により人間のために創出された。アメリカ連邦政府の超州的(国家的)主権は、最初の13 州により自州のために、そして人間のために創出された。いつか、人類の惑星政府の超国家主権は、国家により自国の利益と全ての人間のために同じように確立されるであろう。
134:5.16 国民は政府のために生まれない。政府は、人のために設立され、考案される組織である。全人類の主権政府の出現を達成するまでは政治主権の発展に終わりのあるはずはない。他のすべての主権は、価値においては相対的であり、意味においては中間的であり、状態においては従的である。
134:5.17 科学の進歩と共に、戦争は、ほとんど民族的に自滅状態になるまでますます破壊的になるであろう。人間が、人類の政府を設立を望み、永久的平和と善意の安らぎ—世界規模の善意の祝福—を享受し始めるまでに、どれくらいの世界大戦が戦われなければならないのか、そして、どれくらいの国際連盟が失敗しなければならないのか。
134:6.1 1 人の人間が解放—自由—を切望するならば、他の全ての人間も同じ自由を熱望するということに気がつかねばならない。そのような自由を好む人間集団は、全ての仲間の人間に等しい自由を保証すると同時に、各人に同程度の自由を与えるそのような法、規則、条例に従属することなくして安らかに共存することができない。1 人の人間が絶対に自由になるつもりであるならば、他者は、完全な奴隷にならなければならない。そして、自由の相対的な本質は、社会的に、経済的に、政治的に存在する。自由は、法の施行によって可能になる文明の贈り物である。
134:6.2 宗教は、人間の兄弟愛がわかることを精神的に可能にするが、人間の幸福と能率のような目標に関連した社会的、経済的、政治的な問題を調整するための人類政府を必要とするであろう。
134:6.3 世界の政治主権が、分割され、1群の民族国家により不当に保持される限り、戦争や戦争の噂を聞くだろう—国は国に敵対して立ち上がるであろう。それぞれの主権をあきらめ、イギリスに置くまで、イングランド、スコットランド、ウェールズは、つねに互いに戦ってきた。[8]
134:6.4 もう一つの世界大戦は、主権国家と呼ばれる国々にある種の連邦を形成することを教え、その結果小規模戦争、つまり弱国間での戦争を防ぐための機構を設定することであろう。しかし、人類の政府が創設されるまで、世界戦争は続くであろう。全世界の主権は、世界的な戦争を防ぐであろう—他の何もできない。
134:6.5 48 のアメリカの自由な州は、平和に共存する。絶えず交戦中のヨーロッパの国々に住んでいる様々な国籍と民族の全てが、この48 州の国民の間にいる。これらのアメリカ人は、全世界のほとんどすべての宗教、宗派、およびカルトを代表するが、ここ北アメリカでは、平穏に共存している。そして、この48 州がその主権を引き渡し、想定された自決権の全概念を断念したので、この全てが可能になる。
134:6.6 それは、軍備または武装解除の問題ではない。世界規模の平和を維持するこれらの問題を決するのは、徴兵制または自発兵役制のどちらのでもない。強国からあらゆる形の近代軍備とすべての型の爆発物を取りあげるならば、かれらが国家主権の神授の王権の妄想に執着する限り、彼らは拳、石、棒切れで戦うであろう。
134:6.7 戦争は、人間のたいへんで恐ろしい病気ではない。戦争は、兆候、結果である。本当の病気は国家主権の病原菌である。
134:6.8 ユランチアの国々には、本当の主権を備えていなかった。彼らには、世界大戦の破壊行為と荒廃から彼らを保護することのできた主権は決してなかった。人類の世界的な政府の創設において、今後すべての戦争から完全に保護することのできる真の、正真正銘の、長続きする世界主権を実際に確立しているほどには、国家は、主権を放棄してはいない。地方の問題は、地方自治体が取り扱うであろう。国家の問題は、国家の政府が、国際問題は、世界的な政府が管理するであろう。
134:6.9 条約、外交、外国政策、同盟、力の均衡、または他のいかなる型のその場限りの国家主義の主権の操作でも、世界平和を維持することはできない。世界法の誕生が必然であり、世界政府によって施工されねばならない—全人類の主権。
134:6.10 個人は、世界政府の下ではるかに多くの自由を楽しむであろう。今日、列強の国民は、ほとんど圧政的に課税され、規制され、支配されており、中央政府が、その主権を国際的な問題に関しては世界政府の手へ進で移行するとき、現在のこの個々の自由に対する干渉の多くが消滅するであろう。
134:6.11 世界政府の下、本物の民主主義の個人の自由に気づき、味わう真の機会が、国家集団に与えられるであろう。自決の誤りは終わるであろう。金銭と貿易の世界的な規制とともに、世界平和の新時代が来るであろう。やがて世界共通言語が進化し、少なくとも何時か世界的な宗教—または、世界的観点をもつ宗教—を得る幾らかの望みがある。
134:6.12 集合体が、すべての人類を含むまで、決して集団安全保証は平和をもたらさないであろう。
134:6.13 人類が代表する政府の政治主権は、地球に恒久平和をもたらすであろうし、人の精神的な兄弟愛は、すべての人間の間の善意を永遠に保証するであろう。そして、地球平和と人の間の善意を実現され得る如何なる方法も他にはない。[9]
134:6.15 キンボイトンの死後、息子達は、温和な教授陣の維持において大変な困難に遭遇した。もしウルミア教授陣に加わった後のキリスト教の教師陣が、より多くの知恵を示し、より多くの寛容を行使させていたならば、イエスの教えの影響は、はるかに大きかったであろう。
134:6.16 キンボイトンの長男は、フィラデルフィアでアブネーに助けを求めたが、教師達は、頑固で、容易に妥協しないと判明したので、アブネーの教師の選択は最も不運であった。これらの教師は、自分たちの宗教を他の信仰の上に優位にしようとした。かれらは、しばしば言及された隊商案内人の講演は、イエス自身のものであったということを決して推測しなかった。
134:6.17 教授陣の中での混乱が拡大するにつれ、3 兄弟は、資金援助を撤回し、5 年後には、学校が閉鎖した。その後、それは、ミスラ寺院として再開され、遂には自分達の組織の祝賀の際に焼失した。
134:7.1 イエスがカスピ海への旅から戻った時、かれは、自分の世界旅行はほとんど終わりだと知っていた。かれは、パレスチナの外へのもうひとつの旅行だけをした。それは、シリアへであった。かれは、カペルナムへの短い訪問後、数日の訪問のためにナザレに立ち寄った。4 月中旬、かれは、テュロスへ向けてナザレを立った。そこから北へと旅を続け、シドーンに数日間留まりはしたものの目的地はアンチオケであった。
134:7.2 これは、パレスチナとシリアを通過するイエスの単独の放浪の年である。この旅の年を通して、かれは、この地域の異なる地域で様々な名前で知られていた。ナザレの大工、カペルナムの船大工、ダマスカスの筆記者、及びアレキサンドリアの教師。
134:7.3 人の息子は、アンチオケで働き、観察し、学習し、訪問し、奉仕し、そして、人はどのように生きるのか、自分は、どのように考え、感じ、また人間の存在の環境に反応するのかを学びながら2カ月以上暮らした。かれは、この期間の3 週間、天幕職人として働いた。この旅行で訪問した他のどの所よりもアンチオケに長く滞留した。10 年後、使徒パウーロスがアンチオケで説教をしていたとき、信奉者達がダマスカスの筆記者の教義について話すのを聞いたとき、自分の生徒達があるじそのものの声を聞いたとは、あるじ自身による教えを聞いたとは、ほとんど知らなかった。[10]
134:7.4 イエスは、アンチオケから海岸沿いを南にカエサレアへと旅した。そこで、数週間滞在し、海岸をヨッパへと進んだ。ヨッパからイアムニア、アシュドド、ガザへと内陸を旅した。ガザから、ベーシェバへと内陸路を取り、そこに 1 週間留まった。
134:7.5 イエスは、それからパレスチナの中心を通り、南のベーシェバから北のダンまで行く一個人としての最終的な歴遊を始めた。この北方への旅では、ヘブロン、ベスレヘム(自分の出生地を見た所)、エルサレム(ベサニアは訪問しなかった)ベールス、レボナハ、シハー、シェケム、サマリア、ゲバ、エンガニエム、エンドール、マードに立ち寄り、マグダラとカペルナムを通過し、北ヘと旅を続けた。そしてかれは、メロム湖の東を通りカラフタ経由でダン、すなわちカエサリア・ピリピに行った。
134:7.6 内在する調整者は、その時イエスに人間の居住地域を見捨て、かれが、人間の心を習得する仕事を終え、地球での一生の仕事の残りに完全な献身を果たす任務を遂行できるようにヘルモン山に行くように導いた。[11]
134:7.7 これは、ユランチアにおけるあるじの地球人生における稀で驚異的な時代の1 つであった。もう一つの、非常に似通ったものは、彼が洗礼の直後、ペラの近くの丘を一人で通過した経験であった。ヘルモン山の隔離のこの期間は、純粋に人間の経歴の終了、すなわち、厳密には人間贈与の終了の特性を現し、一方後の隔離は、贈与におけるより神の局面の始まりを示したが。イエスは、6 週間ヘルモン山の斜面で一人で神と暮らした。
134:8.1 カエサリア・ピリピの近隣で若干の時を過ごした後に、イエスは、物資の準備をし、荷役用の動物とティグラスという若者を確保し、西ダマスカス道路沿いに、ヘルモン山麓の丘のかつてベイト・ジェンとして知られた村に向かった。西暦25年8月の中旬近く、かれは、本拠地をここに設立し、ティグラスの管理のもとに物資を残し、孤立した山の斜面を上った。ティグラスは、この初日イエスに指定された標高およそ1,800 メートルの地点へ同伴し、2人は、ティグラスが1 週間に2度食物を置くはずのこの場所に石の容器を造った。
134:8.2 1日目、ティグラスを残した後、祈りのために止まったとき、イエスは、まだほんの少ししか山を上っていなかった。他の事柄と合わせて、かれは、「ティグラスといる」ための後見熾天使を送り返すように父に頼んだ。彼は、人間生活における現実との最後の戦いまで一人で進むことを容認されることを要請した。そして、要請は受け入れられた。イエスは、彼を誘導し、支えるために内在する調整者とだけで大試練に突入した。
134:8.3 山にいる間、イエスは質素に食した。食物を口にしない日は1 日か2 日に抑えた。彼が、この山で立ち向かってきた超人的生物に精神で格闘し、力で破ったのは本当であった。かれらは、サターニア系の彼の大敵であった。かれらは、現実と紊乱した心の幻影との区別ができない弱化し空腹な人間の知的な気まぐれから発展する想像力の幻影ではなかった。[12]
134:8.4 イエスは、ヘルモン山で8 月の最後の3 週間と9 月の最初の3 週間を過ごした。これらの数週間、彼は、心の理解と人格制御の環を成し遂げる人間としての任務を終えた。天なる父とのこの期間の親交を通し、内在する調整者も、課された仕事を完了した。この地球の被創造物の人間の目標は、そこで遂げられた。心と調整者との調和の最終局面だけが完成されないまま残った。
134:8.5 楽園の父との5 週間以上におよぶ中断することのない交わりの後、イエスは、彼の本質と時空間の人格顕現の物質的段階における勝利の確実性で絶対的に確信するようになった。かれは、神の資性が人間の資性に優勢となることを完全に信じ、断言することを躊躇わなかった。
134:8.6 イエスは、山での滞在の終わり近く、人の息子として、ヨシュア・ベン・ヨセフとしてサターニアの敵との協議の開催を許可されないものかどうかを父に尋ねた。この要求は承諾された。ヘルモン山での最後の週、途轍も無い誘惑、宇宙規模の試練が起きた。魔王(ルーキフェレーンスを代表する)と反抗的な惑星王子カリガスティアが、イエスとともにいて、イエスに完全に見えるようにした。そして、この「誘惑」、反逆的人格の詐称に直面した人間の忠誠心のこの最後の試練は、食物、寺院の尖塔、または僭越行為と関係するものではなかった。それは、この世界の王国に関するものではないが、広大かつ素晴らしい宇宙の主権に関するものであった。記録の象徴するところは、 世界の子供らしい考えの無教育な時代のために意図された。そして、後の世代は、人の息子がヘルモン山でのその波瀾万丈の日に如何に途轍もない戦いをくぐり抜けたかを理解するべきである。[13]
134:8.7 ルーキフェレーンスの密偵からの多くの提案と対案に、イエスは、単に、「楽園の父の意志が打ち勝ちますように。そして、お前達を、我が反逆の息子達を、日の老いたるものが神らしく審判しますように。私は、お前達の創造者たる父である。おそらく私には公正にお前達を裁けないし、お前達はすでに私の慈悲を拒んだ。私は、お前達をより大きい宇宙の裁判官達の採決に委ねる。」と答えただけであった。
134:8.8 ルーキフェレーンスに提案された全ての妥協と一時凌ぎに対し、肉体化の贈与に関するそのような全てのまことしやかな提案に対し、イエスは、「楽園の父の意志は為される。」と単に答えた。そして、つらい試練が終わったとき、分離されていた後見熾天使はイエスの側に戻り、彼に力をかした。
134:8.9 晩夏のある午後、木立ちの中で、自然の静けさの中で、ネバドンのマイケルは、自己の宇宙の疑いのない主権を勝ち取った。任務を完遂したその日、時と空間の進化の世界で人間の肉体に似せた化身の生活を完全に送るため創造者たる息子のもとへと出発した。この重大な業績の宇宙発表は、その後何カ月も、彼の洗礼の日までされなかったが、それは、すべて、その日山で本当に起きたのであった。そして、イエスがヘルモン山から下りて来たとき、サターニアのルーキフェレーンス反逆とユランチアのカリガスティア脱退事実上決着がついた。イエスは、自分の宇宙の主権を獲得するために課された最後の代価を払った。そして、それは、すべての反逆者の地位を管理し、今後の全てのそのような大変動(もし起こるならば)が、即座に、有効に対処されるように確定する。従って、イエスのいわゆる「大いなる誘惑」がその出来事のすぐ後ではなく、彼の洗礼前に行われたということが分かるかもしれない。
134:8.10 山でのこの滞在の終わりに、イエスが下山していると、ティグラスが食物を持って会いに来るのに行き掛かった。彼に帰らせながら、「休息の時期は終わっった。私は父のための仕事に戻らなければならない。」とだけ言った。かれらが、ダンへの戻る旅の間、イエスは、口数少なく全く変わった人であった。かれは、その場所で若者に別れを告げ、ロバを与えた。それから前来た道を南へカペルナムへと進んで行った。
134:9.1 それは、夏の終わり近くの贖罪の日と礼拝堂の祝宴の頃であった。イエスは、安息日の間にカペルナムで家族会議を開き、翌日ゼベダイの息子のヨハネと湖の東方へ行き、ゲラーサ経由でヨルダン渓谷を下がりエルサレムに出発した。道中、同伴者と多少の会話をしているうちに、ヨハネは、イエスの大きい変化に気づいた。
134:9.2 イエスとヨハネは、ベサニアのラザロとその妹達のところで一夜を過ごし、翌朝早くエルサレムに行った。かれらは、少なくともヨハネは、その都市周辺で3 週間ほど過ごした。イエスが近辺の丘を散策し、何日も天の父との精霊的な交わりに従事する間、ヨハネの方は、何日も単独でエルサレムに入った。
134:9.3 贖罪の日の厳粛な礼拝の儀式には両者ともに出席した。ヨハネは、ユダヤ人の宗教儀式における最も重要な日の儀式に非常に感動したが、イエスは、終始考え深く黙っている見物人でいた。人の息子にとって、この儀式の執行は、哀れで無念であった。彼は、その全てを天の父の性質と属性の不正確な表現として見た。無限の慈悲の神の正義と真実に関わる事実の茶番劇だと傍観した。かれは、父の優しい性質と宇宙におけるその慈悲深い行為につい燃えるほどに漏らしたかったのだが、誠実な訓戒者は、彼の時間はまだ来ていないと諭した。しかし、その夜イエスは、ベサニアでヨハネが大いに不安になる数多くの所見を漏らした。しかもヨハネは、その晩自分達の聞いたイエスが言ったことの真の意味を決して完全に理解はしていなかった。
134:9.4 イエスは、ヨハネと神殿の祝宴の週を通して留まる予定をした。この祝宴は、全パレスチナの毎年の休日であった。ユダヤ人の休暇の時であった。イエスは、この時の歓楽に参加はしなかったが、老若の気楽で楽しい奔放さを見るにつけ喜びを得て、満足を経験したのは明白であった。
134:9.5 祝賀の週の真っ只中、祭礼が終わる前、イエスは、楽園の父とのよりよい心の交わりができる丘に退きたいと言ってヨハネと別れた。ヨハネは一緒に行きたかったであろうが、イエスは、「人の息子の重荷に耐える必要はない。都が安らかに眠る間、番人だけが不寝番をしなければならない。」と、彼に祭礼のあいだ留まるように言い張った。イエスは、エルサレムに戻らなかった。かれは、ベサニア近くの丘に一人でほぼ1 週間いた後にカペルナムへと出発した。帰り道では、シャウール王が自身の命を取った場所近くのギルボアの斜面で、単独で一 昼夜を過ごした。カペルナムに到着したときは、かれは、ヨハネをエルサレムに残した時よりも明かるく見えた。[14]
134:9.6 イエスは、翌朝ゼベダイの仕事場に置いてあった手回り品の入った箱の場所に行き、前掛けをつけて仕事の構えで現れ、「私の時間が来るのを待つ間、忙しくしているのが当然である」と言った。かれは、翌年の1 月まで数カ月、船小屋で弟ジェームスの横で働いた。イエスとの作業のこの期間の後、例え如何ような疑いが人の息子の生涯の仕事に対するジェームスの理解を曇らせようとも、かれは、イエスの任務に対する信念を決して二度と完全に諦めることはなかった。
134:9.7 船小屋でのイエスの仕事のこの最後の期間、いくつかの大型船の内装仕上げに時間の大部分を費やした。全ての手仕事にかなりの苦心をし、立派な作品を完成したとき、かれは、人間の業績の満足感を経験するように思えた。かれは、瑣事には時間を無駄にはしなかったが、与えられたいかなる仕事の本質的な事に関しては、骨身を惜しまない労働者であった。
134:9.8 時が経つにつれ、ヨルダン川で悔悟者を洗礼しながら説教しているヨハネという者の噂がカペルナムに届いた。ヨハネは、「天の王国は近い。悔悟し、洗礼をうけよ。」と説いた。ヨハネが、エルサレムに最も近い川の浅瀬からヨルダン渓谷をゆっくり説教しながら進むに間、イエスは、これらの報告を聞いた。しかし、イエスは、ヨハネが、翌年、西暦26年の1 月にペラ近くに川を上ってくるまで船を作り働き続け、自分の道具を置いて、「私の時が来た。」と宣言し、やがて、洗礼のためヨハネのもとに赴いた。[15][16]
134:9.9 しかし、大きい変化が、イエスの上に起きていた。国を往来するごとに、彼の訪問や奉仕活動を受けてきた人々のうちの僅かしか、過ぎ去った歳月に1 個人として知り合い、慕ってきた同じ人物が、公の師だとはその後ずっと気づかなかった。そして、早期の受益者達が、公の、権威ある教師の後の役割でイエスと気づかないこの失敗には理由があった。それは、心と精神のこの変化は、長年にわたり進行しており、ヘルモン山での重要な滞在中に終わった。