191:0.1 復活の日曜日は、使徒の人生においてひどい日であった。10人は、1日のかなりを扉に閂をかけた上階の部屋で過ごした。彼らは、エルサレムから逃げだせたかもしれないが、もしかして外で見つけられ、シネヅリオン派の回し者に捕らえられることを恐れていた。トーマスは、ベスファゲで一人自分の問題に思いをめぐらせていた。彼が、仲間の使徒とともに残っていたならば、 うまくやっていけたであろうに、またより役立つ線に沿う議論を引き出す助けをしたであろうに。
191:0.2 ヨハネは、イエスが甦ったという考えを一日中是認した。あるじが再び甦るとそして3日目と、暗示したのは少なくとも3回であったと数え直した。異なる機会に少なくとも5回以上、ヨハネの態度は、皆に、特にジェームスとナサナエルの兄弟にかなりの影響を及ぼした。ヨハネが、一団の最年少者でなかったならば、彼らにさらに影響したことであったろう。
191:0.3 各自の孤立は、各人の問題と非常に関係があった。ヨハネ・マルコスは、寺院周辺の情報と都で広まっている多くの噂を彼らに知らせ続けたが、イエスが、すでに現れた異なる集団信者からの情報収集ということは、彼には思い浮かばなかった。それは、これまでダーヴィドの使者によって与えられてきた活動の種類であったが、使者達は、エルサレムから遠く離れて住む信者集団に復活を触れ回る最後の任務で全員不在であった。王国の仕事に関する日々の情報においてどれほどまでにダーヴィドの使者に依存していたかを、使徒達は、これらの年月を経て初めて理解した。
191:0.4 ペトロスは、この日丸一日、あるじの復活に関して特徴的、感情的に信仰と疑問の間で揺れていた。ペトロスは、まるでイエスの体がちょうど墓用の布の中から蒸発したかのように、墓のそこにあるその布の光景から逃がれることができなかった。「しかし、」ペトロスは、「甦り、女性達に自分を見せることができるならば、なぜ我々使徒には見せないのか。」と考えた。彼が、ハナンージャの中庭でその夜、彼を否定したことであり、自分が使徒の間にいたので、イエスは、多分皆のところには来ないと考えるとき、ペトロスは、悲しくなるのであった。同時に、かれは、その女性によってもたらされた「行って使徒に—そして、ペトロスに—言いなさい。」という言葉に励まされるのであった。しかし、この報告から励みを得るには、女性達が本当に復活したあるじを見て聞いたということを彼が信じなければならないということを意味した。このように、ペトロスは、8時少し過ぎまで、思い切って中庭へ出るまで、一日中信仰と疑いの間を行き来した。ペトロスは、自分があるじを否定したことにより、イエスが使徒の前に来ることを防げることのないようにと皆から立ち去ろうと考えた。[1]
191:0.5 ジェームス・ゼベダイオスは、初めに、全員で墓に行くことを提唱した。神秘の真相を究明するための何かをすることを強く支持した。ジェームスの強い勧めに反応して人前に出かけることを防いだのはナサナエルであり、このとき命を過度に危険にさらさないようにとのイエスの警告を皆に思い出させることによりこうしたのであった。正午までに、ジェームスは、他の者と共に落ち着いて注意深く待機をしていた。ジェームスは、あまり口をきかなかった。かれは、イエスが自分達に姿を見せないのでひどく失望し、しかも他の集団や個人へのあるじの幾度もの出現を知らなかった。
191:0.6 アンドレアスは、この日多くのことに耳を傾けた。かれは、状況に甚だ当惑し、人一倍の疑いを持っていたが、少なくとも使徒仲間の指導的責任からの開放感を味わった。心を悩ます時がのしかかる前に、あるじが指導者の重荷から自分を釈放してくれたことに、かれは本当に感謝した。
191:0.7 この悲惨な日の長く、疲れる時間の中で、一度ならず、集団を維持する唯一の影響力は、ナサナエルの哲学的特徴の助言での頻繁な貢献であった。かれは、実に1日中、10人の中での操縦的な影響力であった。一度として、かれは、あるじの復活への信念、あるいは疑惑に関しても自己を表明することは決してなかった。しかし、時間が経つにつれ、かれは、イエスが再び甦るという約束を果たしたとますます信じる傾向にあった。
191:0.8 シーモン・ゼローテースは、議論に参加するには打ちひしがれ過ぎていた。かれは、壁に顔を向けて部屋の隅の寝椅子に凭れ掛かっていることが多かった。1日を通して話したは6回もなかった。彼の王国の概念は、音をたてて崩壊し、あるじの復活が実質的に状況を変えることができ得たことを認識できなかった。彼の失望は、非常に私的なものであり、復活のように途轍もない事実に直面してでさえ急には回復できないほどに切実なものであった。
191:0.9 記録するには奇妙なことだが、平素は無表情なフィリッポスにしては、この日の午後は口数が多かっった。午前中にはあまり口を開かなかったが、午後はずっと他の使徒に質問をした。ペトロスは、フィリッポスの質問にしばしば苛立ったが、他の者は、穏やかにその質問に対応した。イエスが本当に墓から甦ったのであるならば、その身体に磔の物的な跡形があるのかどうかを特に知りたいと願ってやまなかった。
191:0.10 マタイオスは非常に混乱していた。かれは、仲間の議論を聞いてはいたが、心では自分達の将来の経済問題に思いを巡らせながら大部分の時間を費やした。イエスの想定された復活にもかかわらず、ユダは、いなかった。そして、ダーヴィドは、マタイオスに気軽に基金を渡し、かれらは、信頼すべき権威ある指導者なしであった。復活に関する重大な考慮をする時間をもつ以前に、マタイオスは、すでにあるじに直接会っていた。
191:0.11 アルフェウスの双子は、これらの重大な議論にあまり加わらなかった。二人は、通常の奉仕でかなり忙しくしていた。フィリッポスに訊かれた質問への返答で、「復活については分からないが、母があるじと話したと言うのであるから母を信じる。」と言ったとき、二人のうちの一人は、両者の態度を示した。
191:0.12 トーマスは、絶望的な抑鬱の特徴的な発作の最中にいた。かれは、1日の一部を睡眠で、残りの時間を丘で歩き回って過ごした。再び仲間の使徒に再会したいという衝動を感じはしたが、一人でいる願望の方が強かった。
191:0.13 あるじは、多くの理由から使徒への最初のモロンチア出現を延期した。第一に、彼らが、自分の復活について耳にした後、まだ肉体の姿で共にいたときに、彼が死と復活について話したことについてよく考える時間を皆に望んでいた。皆の前に現れるに先だって、あるじは、ペトロスが彼に固有の幾つかの困難と取り組むことを望んだ。第二に、かれは、最初の出現時点でトーマスが居合わせることを望んでいた。ヨハネ・マルコスは、この日曜日の早朝ベスファゲのシーモンの家にトーマスの居場所をつきとめ、11時頃に使徒に知らせを持って来た。ナサナエルまたは他の2人の使徒が、この日のうちに迎えに行っていたならば、トーマスは、戻っていたことであろう。かれは、本当に戻りたかったのだが、その前夜の去り方が去り方であっただけに自ら戻るには自尊心が高すぎた。かれは、翌日までには非常に落ち込んでいて、回復するにほぼ1週間を要するほどであった。使徒達は、トーマスを待ち、トーマスは、同胞が自分を捜し出し、戻るように頼むことを待っていた。その結果、トーマスは、ペトロスとヨハネが、次の土曜日の夕方暗くなってからベスファゲにやって来て、彼を連れ戻るまで仲間から離れたままであった。これも、イエスが最初に使徒に姿を見せてからすぐにガリラヤに行かなかった理由でもある。かれらは、トーマスを伴わずには行こうとはしなかった。[2]
191:1.1 イエスがマルコスの家の庭でシーモン・ペトロスに姿を現したのは、この日曜日の夜、8時半頃であった。これは、8回目のモロンチア顕現であった。ペトロスは、あるじを否定して以来、懐疑と罪悪感の重荷の下で生きていた。土曜日とこの日曜日のまる二日間、自分はもはや恐らく使徒ではないという恐怖と闘っていた。ユダの運命に身を震わせ、自分もまた、あるじを裏切ってしまった、と思いさえした。もちろん、もし本当に甦ったのであるならば、イエスが使徒の前に現れるのを妨げているのは自分の同席のせいかもしれないと、かれは、この午後ずっと考えていた。そして、イエスが現れたのは、打ち萎れたこの使徒が、そのような心境で、そのような魂の状態で花と潅木の中を逍遥していたペトロスにであった。[3]
191:1.2 ペトロスが、ハナンージャの柱廊の玄関を通過した時、あるじの情愛深い表情を思いやったとき、また、その朝早々に空の墓から来た女性達が持たらした「「行って使徒に—そして、ペトロスに—言いなさい。」というその素晴らしい伝言に思いを巡らすとき—これらの慈悲の印を深く考えるとき、彼の信仰は、懐疑を打ち破り始め、かれは、静止し、拳を握りしめて、声高に言った。「私は、あの方が甦ったと信じる。同胞に告げに行こう。」こう言うと、正面に人の姿をした者が、突然現れ、耳慣れた声で言った。「ペトロス、敵は、君を手に入れようと願っていたが、私は君を諦めようとはしなかった。私には君が心から私との縁を切ったのではないことが分かっていた、だから、君が求める前にすら許していた。しかし、暗闇に座る人々に福音の朗報を届ける準備をする間、いま君は、自分自身と現時点の問題について考えることを止めなければならない。もはや、自分が王国から得られるものに関心をもつよりも、むしろ、差し迫っている精霊窮乏の中で生きる人々に与えることができることに汗を流すべきである。仕度をしなさい、シーモン。新しい日の戦いのために、精霊の暗黒との戦い、そして人間本来の心の中の邪悪な懐疑での藻掻きのために。」[4][5]
191:1.3 ペトロスとモロンチアのイエスは、庭を歩き、過去、現在、未来の事について5分間ほど話した。そして、あるじは、「それでは ペトロス。君の同胞と共に君に会う時まで」と言い、見つめているペトロスの前から消え去った。
191:1.4 しばらくの間、ペトロスは、復活したあるじと話したということ、まだ自分は王国の大使であり得るという認識に圧倒されていた。栄光に輝くあるじが、自分に福音を説き続けるように勧めるのをたった今聞いたのであった。そして、このすべてが心の中にこみ上げる状態で、かれは、上の部屋へと、仲間の使徒のいるところへと急行し、息を切らせた興奮のまま、「あるじさまを見た。庭におられた。私は話をしたし、あの方は私を許された。」と大声で言った。
191:1.5 庭でイエスを見たというペトロスの主張は、仲間の使徒に深い印象を与え、そこで、アンドレアスが、立ち上がり、彼らに弟の報告にあまり影響を受けないように警告したとき、皆には疑心を捨て去る用意がほぼできていた。アンドレアスは、ペトロスが、以前本当でないものを見たことがあると仄めかした。アンドレアスは、あるじが自分達の方に水の上を歩いて来るのを見たとペトロスが主張するガリラヤ湖上での夜の幻影には直接に言及はしなかったが、この事件を思い描いているということは、居合わせる者全てに示すには充分であった。シーモン・ペトロスは、兄の仄めかしに非常に傷つき、すぐさま元気のない沈黙に陥った。双子は、とても気の毒に思い、同情の念を表わし、自分等は、彼を信じており、また二人の母もあるじを見たと重ねて主張するためにペトロスの方に行った。
191:2.1 その夜9時直後クレオーパスとヤコブの出発後、アルフェウスの双子は、ペトロスを慰め、ナサナエルは、アンドレアスを諌め、10人の使徒が、逮捕の恐怖に上階の部屋の全ての戸に閂をかけて集合していると、モロンチア姿のあるじが、皆の直中に突然現れて言った。「君達に平和あれ。まるで精霊でも見たかのように、私が現れるとなぜそのように怯えるのか。私は、生身で共にいる時、君達にこれらのことを話しはしなかったか。私は、殺すために祭司長と支配者達に引き渡されると、君達の一人が私を裏切ると、そして3日目に甦ると言わなかったか。女性達、クレオーパス、ヤコブの報告について、さらにはペトロスの報告についてさえ、いかなる訳での、君達全員の疑いと議論なのか。どれくらい、君達は、私の言葉を疑い、私の約束を信じるのを拒否するのであろうか。また君達は、いま実際に私を見ていて、信じてもらえるのか。今でも、君達の1人は不在である。もう一度、君達が集められるとき、 そして、人の息子が墓から甦ったと全員が確信してから、そこから、ガリラヤに向かいなさい。神を信じなさい。互いを信じなさい。そうして、天の王国の新しい奉仕に身を投じなさい。ガリラヤに向かう用意ができるまで、私は、君達と共にエルサレムに留まるつもりである。私の平和を君達に残す。」[6][7][8]
191:2.2 モロンチアのイエスは、話し終えると、すぐさま皆からは見えなくなった。彼らは全員、顔を伏せ、神を称賛し、消え去ったあるじを敬った。これがあるじの9回目のモロンチア出現であった。
191:3.1 翌日、月曜日は、そのときユランチアにいたモロンチアの被創造物と共に費やされた。あるじのモロンチア変遷の経験における関係者として、100万人以上のモロンチア指導官や同僚が、サタニアの7大邸宅世界からの様々な序列の過渡期にある生き物とユランチアにやって来た。モロンチアのイエスは、これらのすばらしい有識者と40日間を共に過ごした。彼らに命令し、また、皆がモロンチア圏の体制を通過する間、かれは、サタニアの棲息界の生き物が横断する際、モロンチア変遷の生活を指導官達に学んだ。
191:3.2 この月曜日の真夜中頃、あるじのモロンチアの姿は、モロンチア進行の第二段階への変遷のために調整された。あるじが次に地球の人間の子供達に出現したとき、それは、第二段階のモロンチア存在体としてであった。あるじがモロンチア経歴における進歩とともに、モロンチア有識者とその変遷する仲間にとり、人間の目と物質的な目ではあるじを見ることが、技術的にますます難しくなった。
191:3.3 イエスは、4月14日、金曜日にモロンチアの第3段階への変遷を果たした。17日、月曜日、第4段階へ。22日、土曜日、第5段階へ。27日、木曜日、第6段階へ。5月2日、火曜日、第7段階へ。7日、日曜日、ジェルーセム市民へ。そして14日、日曜日にエデンチアのいと高きものの迎え入れに。
191:3.4 この様に、ネバドンのマイケルは、前の贈与に関連して星座の本部での滞在から超宇宙本部奉仕への、またそれを通じてさえの時空間の上向する必滅者の人生を完全に経験したので、宇宙経験の奉仕を終了した。そして、これは、ネバドンの創造者たる息子が、7回目の、そして最後の宇宙贈与を本当に終え、しかも適切に終了したのは、まさしくこれらのモロンチア経験によってであった。
191:4.1 人間認識へのイエスの10回目のモロンチア顕現は、4月11日、火曜日の8時少し過ぎにフィラデルフィアで起こり、そこで、かれは、アブネー、ラーザロス、70人以上の福音伝道者軍団を含む150人ほどの仲間に姿を見せた。この出現は、ダーヴィドの使者によってもたらされたイエスの磔と、つい最近の復活の報告を議論するためにアブネーに召集された特別な会堂での会合の直後に起きた。復活したラーザロスが、現在この信者集団の構成員であるが故に、イエスが甦ったという報告を信じるのは、彼らには難くはなかった。
191:4.2 信者の全聴衆があるじの姿が突然現れるのを見たとき、会堂での会合は、アブネーとラーザロスによって開かれたばかりで、二人は、聖壇に並んで立っていた。あるじは、アブネーとラーザロスの間に現れた場所から進み出た。そのどちらも、イエスを見てはいなかった。イエスは、一行に挨拶をしながら言った。
191:4.3 「君達に平和あれ。君達は皆、我々には天に1人の父がおられるということ、そして、わずかに一つの王国の福音—人が信仰によって受ける永遠の生命の贈り物に関する朗報—しかないことを知っている。君達が、福音への忠誠を喜ぶように、心で同胞に対する新しく、よりすばらしい愛を広く注ぐために真実の父に祈りなさい。私が君達を愛していたように、君達はすべての人を愛するようになっている。私が君達にしたように、君達はすべての人に仕えるようになっている。理解に基づく思いやりと兄弟らしい愛情で、ユダヤ人であろうが、非ユダヤ人であろうが、あるいは、ギリシア人であろうがローマ人であろうが、ペルシア人であろうがエチオピア人であろうが、朗報の公布に捧げられるすべての同胞と親交を持ちなさい。ヨハネは、前もって王国を宣言した。君達は、力つよく福音を説いた。ギリシア人は、すでに朗報を教えている。私は、すぐに真実の精霊をこれらの全ての魂に、私の同胞に、人生を精霊の暗闇にある仲間の啓発に私心なく捧げた者達に送ることになっている。君達は皆、光の子である。したがって、必滅者の猜疑と人間の狭量の誤解の縺れに躓いてはいけない。また、君達が、信仰の恩恵により、無信仰者を愛するために気高くされるならば、信仰のはるかかなたの家庭にいる仲間の信者である者達をも同様に愛すべきではないのか。覚えていなさい、君達が互いに愛するとき、すべての人は、君達が私の弟子であることを知るであろう。[9][10][11][12][13]
191:4.4 「それから、神の父性と人の兄弟愛に関するこの福音を全ての国と民族に宣言しに行き、そして、人類の異なる民族と種族に朗報を提示する方法の選択において賢明であり続けなさい。君達は、自由にこの王国の福音を受け入れたし、自由に朗報を万国に伝えるであろう。私は君達と常に、時代の終わりまでさえも、ともにいるのであるから、悪の抵抗を恐れるではない。私の平和を君達に残す。」[14][15][16][17][18]
191:4.5 「私の平和を君達に残す。」と言ったとき、あるじは、彼らの視覚から消え去った。500人を越える信者がイエスを見たガリラヤでの出現の1つを除いては、フィラデルフィアでのこの集団が、一度にイエスに会った人間の最多の数を擁していた。
191:4.6 翌朝早く、トーマスの感情的な回復を待ち受けて使徒達がエルサレムで待っている間にさえ、フィラデルフィアのこれらの信者は、ナザレのイエスが甦ったと宣言しに出掛けて行った。
191:4.7 翌日の水曜日、イエスは、間断なくモロンチア仲間との交流で時を過ごし、昼下がりの間、ノーランティアデクの星座の棲息圏のあらゆる地域体制の大邸宅世界からのモロンチア代表の訪問者を迎えた。皆は、宇宙の知性ある者達自身の序列の1つとして自分達の創造者を知って歓喜した。
191:5.1 トーマスは、オリーヴ山周辺の丘で単独で寂しい週を過ごした。かれは、この間シーモンの家に居た者達とヨハネ・マルコスだけを見た。2人の使徒が彼を見つけ、待合せ場所のマルコスの家に連れ戻ったのは、4月15日、土曜日の9時頃であった。翌日、トーマスは、あるじの様々な出現の話が語られるのを聞いたが、信じることを堅く拒否した。ペトロスは、彼らにあるじを見たと考えるように夢中にさせたと主張した。ナサナエルは、説き伏せようとしたが無駄であった。習慣的な疑い深さに関連した感情的な頑固さがあり、この心の状態が、皆から逃げ出してしまったという無念さに結びつく、トーマス自身さえ完全に理解しなかった孤立状況を作り出す羽目となった。かれは、仲間から引き下がり、自身の方向に行き、皆のところに戻ってからも、無意識のうちに相容れないない態度をとる傾向があった。かれは、降伏するのに時間が掛かった。かれは、譲ることが嫌いであった。それを意図することなく、かれは、自分に向けられる注意を本当に楽しんだ。かれは、彼を納得させ、変えようとするすべての仲間の努力から無意識のうちに満足感を得ていた。かれは、まる1週間、皆がいないのを淋しく感じており、皆からの持続的な注目からかなりの喜びを得た。
191:5.2 トーマスの片側にペトロスが、その反対側にナサナエルが座り、「自分の目であるじを見、自分の指をその釘の跡に突っ込まない限り、私は信じない。」とこの疑っている使徒がこう言ったときは、6時を少しまわっており、皆は、夕食をとっていた。こうして彼らが夕食の座に着き、戸は確実に閉じられ、閂がかけられていたが、モロンチアのあるじは、食卓の湾曲部分に突然現れ、直接トーマスの正面に立って言った。[19][20]
191:5.3 「君達に平和あれ。全世界に出掛け、この福音を説く委託を聞くために皆が揃ったところでもう一度現れることができるように、私は、まる1週間、留まっていたのである。もう1度言う。父がこの世界に私を送られたように君達を送り出す。私が父を明らかにしたように、単に言葉ではなく、日々の生活の中で、君達は神の愛を明らかにする。君達が、人の魂を愛するためにではなく、人を愛するために、私は、君達を送り出す。神の贈り物として、信仰を通して、すでに永遠の生命を得たのであるから、君達は、日々の人生経験の中で単に天国の喜びを宣言するのではなく、神性の人生のこれらの精霊的な現実をも示すことになっている。信仰があるとき、天から力が、すなわち真実の精霊が、君達の上に来るとき、自分の光を閉じられた戸の後ろのここに隠さないであろう。君達は、神の愛と慈悲を全人類に明らかにするであろう。恐怖ゆえに君達はいま、不愉快な経験の事実から逃げるが、真実の精霊で洗礼されるとき、神の王国の永遠の生命に関する朗報を宣言する新しい経験に遭遇するために、勇敢に、嬉々として先へ進むであろう。伝統主義の威光の誤った安定から生きた経験の最高の現実に対する事実、真実、そして信仰の権威の新秩序への変遷の衝撃から立ち直るする間、君達は、こことガリラヤに留まることができる。世界への君達の任務は、私が君達の間で神を顕示する生活を送ったという事実に基づいている。君達と他のすべての人々が、神の息子であるという真実に。そして、それは、君達が人の間で送る生活—人を愛し人に仕える、まさに私が君達を愛し、君達に仕えたような実際の、そして生きる経験—に成り立つのである。信仰に君達の光を世界へと明らかにさせなさい。伝統によりくらむ目を真実の顕示に開かせなさい。無知によって生み出される偏見を君達の愛ある奉仕に効果的に破壊させなさい。理解ある同情と寡欲な献身で君達の仲間に近づくことによって、君達は、彼らを父の愛の救済の知識へと導くであろう。ユダヤ人は善を絶賛した。ギリシア人は美を高めた。インド人は献身を説く。遠くにいる行者は敬意を教える。ローマ人は忠誠を求める。「しかし、私は、弟子に生命を求める、肉体をもつ兄弟のために愛する奉仕の生活さえ。」[21][22][23][24][25][26]
191:5.4 あるじはこう話すと、トーマスの顔をじっと見て言った。「そして、君、トーマスよ、私を見て、私の手の釘跡に指を置くことができるまで信じないと言った者は、いま私を見て、私の言葉を聞いた。私が、君もこの世を離れるときに持つ姿で甦ったので、私の手には何の釘跡も見ないが、きみは、同胞に何と言うのか。きみは、真実を認めるであろう、なぜならそれほど激しく自分の不信仰を断言した時にさえ、すでに心では信じ始めたのであるから。トーマス、君の疑念は、それがまさに崩れようとするとき、つねに最も頑として主張している。トーマス、私は、君が不信仰ではなく、信じることを命じる—そして、私は、君が信じると、全心で信じると知っている。」[27]
191:5.5 これらの言葉を聞くと、トーマスは、モロンチアのあるじの前に跪き「信じます。ご主人さま、あるじさま」と大声で叫んだ。その時、イエスは、「トーマス、きみは、信じた、本当に私を見、私の声を聞いたので。来る時代の信じる者達は、肉体の目で見ず、必滅の耳でも聞かずに祝福される。」と言った。[28]
191:5.6 それから、あるじの姿は、食卓の上座近くに移動し、全員に話し掛けた。「さあ、全員ガリラヤへ行きなさい。そこで、私はほどなく姿を現す。」こう言うと、皆の視覚から消え失せた。[29]
191:5.7 11人の使徒は、そのとき、イエスが甦ったと完全に確信した。そして、次の朝早々に、夜明け前に、ガリラヤへと出発した。
191:6.1 11人の使徒が、ガリラヤへの道にあり、4月18日、旅も終わりに近づいた火曜日の夜8時半過ぎ、イエスは、アレキサンドリアでロダンと80人ほどの他の信者に姿を見せた。これは、モロンチア姿のあるじの12回目の出現であった。イエスは、ダーヴィドの使者の磔に関する報告の終わりに、これらのギリシア人とユダヤ人の前に現れた。エルサレム-アレキサンドリア間の継走の5人目であるこの使者は、その午後遅くアレキサンドリアに到着し、そして彼がロダンに報告し終えると、使者自身からのこの悲惨な言葉を伝えるためきくために信者達の招集が決められた。8時頃、この使者ブシリスのナサンは、この一行の前に来て、前走者によって伝えられたそのすべてを詳細に話した。ナサンは、これらの言葉で自分の感動的な話を終えた。「しかし、この知らせを我々に伝えるダーヴィドは、あるじが自分の死を予告する際に、再び甦ると宣言したと報告する。」ナサンが話したその時、モロンチア姿のあるじは、全員が見えるところに現れた。ナサンが座ると、イエスは言った。
191:6.2 「あなた方に平和あれ。父が、世界に確立させるために私を送り出したものは、民族や国家にも、または教師や伝道者のいかなる特別集団にも属さない。王国のこの福音は、双方のユダヤ人と非ユダヤ人、富者と貧者、自由な者と縛られる者、男と女、そして小さい子にさえも属する。そして、あなた方全員が、肉体で送る生活により愛と真実のこの福音を広めようとしている。あなた方は、新しくて驚異的な愛情をもってお互いを愛するべきである、ちょうど私が、あなたを愛したように。あなた方は、新しくて驚くべき献身で人類に奉仕するべきである。ちょうど私が、あなた方に仕えたように。そして、あなた方がそのように人を愛するのを見るとき、また、あなた方がいかに熱烈に人に仕えるかを見るとき、人は、あなた方が、天の王国の信仰仲間になったと見て取るであろうし、永遠の救済の発見への、あなた方の人生に見受ける真実の精霊のあとについて行くであろう。
191:6.3 「父が私をこの世界に送り出したように、私は、いまあなた方を同じように送り出す。あなた方は皆、暗闇に座る人々に朗報を届けるために呼ばれた。王国のこの福音は、それを信じるすべての者に属している。それは、聖職者だけの保護に委ねられることはない。追って真実の精霊が来て、あなた方をすべての真実に導くのである。だから、この福音を説いて全世界へと行きなさい、そして見なさい、私は、いつもあなた方と共にいる、時代の終わりまでさえも。」[30][31][32][33][34]
191:6.4 そのように話し終えると、あるじは、皆の視覚から消え去った。その夜ずっと、これらの信者は、王国の信者として自分達の経験について詳しく語り、ロダンと仲間からの多くの話を聞き、そこに一緒に残った。そして、彼らは皆、イエスが甦ったと信じた。ダーヴィドの伝令使は、この2日後に到着し、自分の発表に対して、これらの信者が、復活に関して「はい、我々は、あの方に会ったので知っています。。かれは、我々におととい姿を現されました。」と、答えたときのダーヴィドの伝令使の驚きを想像しなさい。